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第四話

【五】

 ミフト大陸で海賊たちを乗せた艦が、ようやくオーカキス島へ上陸した。先触れの報告を受けたディールアは労って笑みを見せる。だがその心は晴れない。
 今回の陣頭指揮を執ったヴェラークやイートシャン、マーラソスら三人は先に本土へ戻っていた。ガヴィルート総督からの緊急出頭命令が下ったためだ。恐らく今回の騒ぎに関して追及があるのだろう。そのことが、イリアを欠いたヴェラークにどのような影響が現れるのかなど、考えたくもない。
 ディールアは表面上だけの笑みを見せながら皆を労った。
 青々とした海原に視線を向ける。先日までの戦火はない。海はイリアたちを隠したまま穏やかさを取り戻している。嵐が過ぎ去ったあとの海はどこまでも広く青く、果てを感じさせない。
 能力者たちがどんなに手を尽くしてもイリアたちはまだ見つからない。シャルゼもまだ、昏倒したまま目を覚まさない。
「俺はお前の退任に署名なんざしたくねぇぞ」
 ディールアは皆から外れた場所で仏頂面をつくり、呟きを洩らした。今回の責任はヴェラークにばかり重きを置くわけにはいかないと総督も分かっているはずだ。だがそれでもヴェラークへの追及は免れないだろう。イートシャンが隣にいるならば、彼は必ずヴェラークの不明を責めるだろう。
 ディールアは最悪の想像をしながら視線を艦に戻した。
 大体の手筈は整っている。萌黄色の識別軍服をまとう艦長が近づいてくることに気付き、ディールアもそちらに向かう。
 背後に待機させていたリディオールやイサミア、オーカキス島の駐屯軍を率いて港に向かう。道は本土の王軍が固めている。島の者たちが野次馬として群がってきている。見慣れぬ軍人たちに不安そうな顔をしながらも、瞳は好奇心に溢れている。
 そんな奇妙さに、ディールアは笑いたくなった。
 カラドレットやエルミナは、ヴェラークに連れられて先に本土へ赴いている。
「到着が遅れて申し訳ない。能力者たちのほとんどを先遣隊に割いていたからな。私一人の力ではこれが最速であった」
「なんの、ご苦労だった。着いた早々で申し訳ないが、ここから本土へ直ぐに出発となる。補給が済んだら出航だ」
 概要はすでに通信でやり取りをしていたため混乱はない。手筈通りにことは進む。派遣された王軍が監視するように周囲を固め、片時も目を離そうとしない。それを少しだけ煩わしく感じながらディールアは振り返る。
「海賊たちを船に乗せて先導しろ。俺とラーダ艦長が両翼に展開する」
 彼らの部下である兵たちが敬礼し、港に停泊した艦がゆっくりと動き出した。
 オーカキス島の軍港は、設備こそ整っているが大きさはさほどではない。必要な艦だけを停泊させ、あとの艦は入れ替わりになるようにして補給をし始める。補給が済んだ艦から沖に出て行く。
 ジェフリス国が誇る艦隊すべてを収容できるのは、やはりジェフリス国だけだ。
「オーカキス島には……誰もいなくなるの?」
 ポツリと零された声にディールアは振り返った。
 今回の騒ぎの主犯格に近い者たちが二人並んでいる。そのうち暗い声を発したのはイサミアだった。
「……誰もいなくなる訳じゃないさ。いつも通りの駐屯軍が残るだけだ」
「それでも、ここにはもう能力者はいなくなるんだわ。貴方たちがいなくなったら、お兄ちゃんたちの捜索を指揮する者もいなくなるわ」
 暗い表情のまま切羽詰った声で訴えるイサミアに比べ、隣に並ぶリディオールの表情は勝気に綻んでいた。白銀の髪は強い灼熱を受け入れ、彼女の双眸は爛々と輝いている。対照的な二人だ。
 王軍の一人がイサミアを引き立てた。
「ディールア――」
 背中を押され、まろぶように足を出したイサミアは泣きそうな顔でディールアを振り返り、懇願する。けれどディールアは無言を通した。イサミアの声は続かない。彼女の体は王軍の中へ消えていく。
 佇むディールアの横をリディオールが悠然と歩いていく。彼女はこれから先の不安など感じていないのか。
 ディールアは頭を掻いて自分も艦へ向かおうとした。ふと思いとどまって足を止め、最後にオーカキス島の司令部を振り返る。大きな塔が空高く聳えているのが見える。
 サーフォルー海軍の軍旗が掲げられた司令部の窓には、残される軍人たちが鈴なりになっていた。その中にはティニスやスロットたちの姿もある。彼らはディールアを複雑な表情で見下ろしている。
 今回の出頭命令は、今回の事件に関わる全ての軍人たちに下りていた。しかしその数は半端ではない。一度に本土へ行っても調べは何ヶ月もかかかるだろう。その間、オーカキス島の軍機能を停止させるわけにもいかない。先に本土へ渡った軍人たちの取調べが終わるまで、ティニスたちはここへ足止めされるというわけだ。
 オーカキス島にはサーフォルー海軍だけではなく、ミフトからの陸軍駐屯軍もいた。彼らはディールアの情報を知っているのか、司令部を出る前に一度ディールアへと挨拶に来てくれた。ミフト大陸で指揮官となったライデン少将のことを話の種とした。今回の見送りにも幾つかの陸軍部隊が参加している。
 雑多な民族が溢れるオーカキス島。
 すべての配置が完了したと報告を受けたディールアは正面を向いた。
 ――あとは貴方だけか。
 ディールアは胸中だけで呟いて歩き出した。
 脳裏に浮かぶのは鮮やかな金髪。いつでも自信を見失わない軍人見習いのシャルゼ。色々と性格に難はあるが、その頭脳は確かだ。シャルゼはいまだオーカキス島の一室に寝かされている。
 ディールアは艦に乗り込んだ。
 オーカキス島に残るザグレイたちに話はついている。彼らは直ぐにも動いてくれるだろう。それを祈るしかない。人任せにしかできない状況に重たい溜息が出てくる。
 バンクの咎めるような視線を感じて号令をかけた。
 銅鑼の音が鳴り響く。
 沖に出ている艦からゆっくりと動き出す。その動きがディールアの乗る艦に伝わるまで時間は大分ある。待つ間にディールアは再び視線を司令部に向けた。
 ――願わくば。
 最後にそう思って、ディールアは航路に意識を切替えた。


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 遠くで銅鑼の音が鳴り響いた。十三艦隊の残りの艦隊が出港したのだろう。
 短い期間ではあったが、ずいぶんと長い滞在だったようにも思える。
 オーカキス島は今日から通常通りに機能するのだろう。今まで艦長たちに部屋を譲っていた駐屯軍のとある兵士たちは今日からまた自分の部屋で寝泊りできると密かに喜んでいるらしい。
 シャルゼは音の余韻が消えてから瞼をあけた。憮然としながら掛け布団を跳ね除け、寝台から下りる。爆発したかのような金髪に手を入れて梳かす。癖のある髪は常にシャルゼの悩みの種だ。できれば本当に誰かの髪と交換したいくらいだった。
 本土から持参した私服に着替えて溜息をつく。部屋に備え付けの洗面台で顔を洗い、一通りの仕度を整える。
 十三艦隊が本土に戻ったのなら、やらなければならないことがあった。
 目覚めたときから眉間に皺を刻み続けていることを自覚しながら、シャルゼは部屋の奥にある本棚に視線を向けた。その中の一冊に意識を集中させ、空気を凝縮させて風を起こしてみる。本は少し震えた後に、狙い通り音を立てて床に落ちた。その結果に満足して笑う。
「戻っているわ」
 その声は少しの安堵を含んだもの。
 シャルゼは両手を見下ろし、次いで視線を窓に向ける。海には遠ざかる艦影が見えている。
 ドアを叩く小さな音があった。
 シャルゼは視線を向けると「どうぞ」と促す。誰が訪れたのか想像はついていた。
 果たして、直ぐに開けられた扉の向こう側には、シャルゼの予想通り三人の姿がある。
「おはようシャルゼ。目覚めて良かったよ」
 スロットが悪意のない笑顔で告げた。他にもティニス、ザグレイと続き、扉が閉められる。シャルゼは言いようのない不快感を覚えながら彼らを迎えた。苛立ちを込めた視線が彼らを睨む。
「ぬけぬけと言うわ。私を意識不明の重体者に祀り上げたのは誰かしら」
 シャルゼが意識を回復させたのは昨夜のことだった。彼女が現状を把握するのは驚くほど早かった。イリアたちが見つからぬまま十三艦隊が引き上げることを知ると、同じ船で本土へ戻ろうとした。意識が回復したばかりで無茶な話だ。
 だが彼女の回復はヴェラークたちには知らされず、知るのはスロットたち三人の士官と、ディールアだけだった。
 自分の都合をねじまげられて島へ残されたのだ。不機嫌さも当然だ。
「オーカキス島の海図は見終わったのか?」
 静かなシャルゼの怒りを解せずティニスは問う。シャルゼにとって彼は大先輩だが、今は敬う気持ちも忘れている。睨みつけ、不機嫌な口調で返す。
「私を誰だと思っているの。この辺りの海図はすべて頭に叩き込んだわ。貴方たちが時間を提供してくれたお陰でね」
 スロットは肩を竦め、ティニスは重いため息をついた。ザグレイは難しい表情をしながら廊下の気配を探っている。混乱している今、盗み聞かれていたら大変なことになる。
 ティニスは部屋の奥へ歩き、先ほどシャルゼが床に落としていた本を拾い上げた。分厚いその本には、ティニスたちが昨夜提供した資料がぎっしりと挟まれている。なかにはとても古い、オーカキス島の全景が描かれた、とても古い資料もあった。
「どの年代の物が欲しい?」
 ティニスはシャルゼの様子を眺めながら淡々と問いかけた。
「今から50年前まで遡った気象情報と海底観測情報。それから、鉱山資料は閉山されたものもすべてよ」
「了解」
 無茶とも言える要求に、ティニスは顔色を変えることなく頷いた。それどころか彼は満足そうに微笑んでみせる。先を思ったスロットの悲鳴を誘う。
「イサミアたちの処刑が決行されてからでは遅いのよ」
 シャルゼの強い声に、スロットは渋々承諾した。
「見てなさいよ、ディールア。この屈辱は決して忘れないわ……。イリアを取り戻したら、声高らかに笑ってみせるんだから!」
 他人には良く分からない意欲を燃やすシャルゼ。カラドレットの懐刀である三人は複雑な笑みを浮かべた。

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