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第四話

【四】

 篭った地熱がどこへ行くのかは分かりきっていたことだ。敢えて考えないようにしていただけ。もう少し行けば楽になる、などという慰めは微塵も報われない。
 登り道を進みながらイリアは瞳を懸命に擦った。視界が霞む。息も絶え絶えだ。ダルスの背を見つめながら何度も意識を飛ばしかける。
「エルミナ准佐は――ダルスの、何?」
 瞼を閉じているのか開けているのかすら分からなくなってきた。
 イリアは惰性で歩き続けながら問いかける。視界の端でダルスが振り返ったような気もしたが、幻か現か定かではない。
「俺が子どもの頃、住んでいた島が海賊に襲われた」
 ポツリと零された声は、鮮明に響いた。
 イリアは顔を上げる。
 ダルスは背中を向けながら歩き続けていた。足場は平坦ではない。急な傾斜面を登り続ける。同時に篭る熱も上がり、体はとうに限界を訴えている。それでもダルスはまるで負担を感じさせずに進んでいく。イリアはそのことに頼もしさを覚えると同時に不安を覚えていた。
「俺と、イサミアと、ラヤダが生き残った。親はそのときに死んだ」
「前に……お父様から、ダルスたち海賊の世代交代が行われたって、聞いたことがあるわ。世襲じゃないの?」
「船長の座には実力でついた。みな、血こそ繋がってないが、前の船長を父と仰いでいる。あんなしょぼくれた老人を有難がったって、なにも解決しないのにな」
 ダルスは吐き捨てる。だがその声には、言葉ほど憎々しいものは含まれていない。瞳を覗き込めば優しい色が宿っているのだろう。
 肝心の問いかけに答えはまだ遠いが、イリアは文句を言わなかった。ダルスの声を聞いていれば、まだ正気を保っていられる。
「残された子どもだけで生きていくのは厳しい。俺らはエルミナの保護下に入った。あいつには感謝している」
 ガリ、と音を立ててダルスの爪がカール鉱石を引っかいた。
 上昇するにつれて透明度を低くさせていた鉱石は、一瞬だけ白濁した光を放って崩れた。
「感謝してるっていうわりには声がそう聞こえない」
 イリアは軽く笑う。ダルスが少しだけ振り返る。腕を伸ばされ、イリアはためらいなくその手をつかんだ。少し高くなった段差を、彼の腕に支えられながら飛び越える。ちらりとダルスの傷口を見たが、出血はないように思われた。能力によって抑えられているのかもしれないが、まだ大丈夫のようである。
 イリアが無事に段差を渡り終えたことを確認してからダルスは再び歩き出した。
「本当は殺したいくらいに憎んでた。今でも、思い出せば腸《はらわた》が煮えくり返る」
「どうして? 海賊って、それこそ、海軍よりも一致団結してて、絆が強いって思ってた」
 少しだけ洞窟の天井が低くなった。どうやら進むにつれて幅が狭まっているようだ。
「ラヤダを海に出したのはエルミナだ」
 イリアは顔をしかめる。エルミナの横顔を思い出し、もう一度ダルスを見上げた。
「――でも、今は憎んではいないのね」
「時間は偉大だな」
 皮肉に。ダルスは本心からではないように唇を歪めて笑った。憎んでいないことが不本意だというような仕草だ。
 イリアは何か言おうと口を開いたが、不意に立ち止まったダルスにつられて止まり、機会は失われた。
「ここは、船乗りたちの間では有名な墓場――オーカキス島に眠る、死者たちの島だ」
「え?」
 振り返ったダルスの視線を追いかけてイリアも振り返る。遥か下方に見える道にイリアは立ち眩み、転げ落ちそうになるのをダルスに止められる。いつの間にこんな高さまで登ってきていたのだろうと驚いた。
「ただの伝説だ。天国地獄や天界冥界と同じような意味の場所だ。名前はない」
 イリアたちを取り巻く環境は変わらぬカール鉱石の洞窟だったが、その鉱石は当初と少しだけ様相を違えていた。地上に出回っているカール鉱石よりも遥かに純度が高い鉱石に囲まれていたはずなのに、今はその輝きが落ちている。市場で売買されている鉱石と同じような色になっている。それは即ち、地上が近いことを示している。
 無言のままそれに気づかされたイリアは疲れも吹き飛ぶ嬉しさに顔を輝かせた。
 嬉々として先に進もうとしたが、先は急速に天井が低くなっており、腰を屈めて進まなければいけないようになっている。カール鉱石の光に導かれるまま先を見通そうとしたが、瞳を細めても蒼光しか見えない。下手をすれば行き止まりのような予感がする。手を伸ばせば淀んだ熱風が体を包むような気がした。
「ただの推測だ。ただの憶測で――海賊たちの間で語り継がれてきた情報だが」
「なに?」
 赤銅色の髪に蒼光が映り込む。ダルスの顔色は酷い病人のように思えた。
「オーカキス島の海底よりももっと深い地底を這う、カール鉱石の洞窟。それはアイスス海を抜けてスアシャ大陸まで続いている。証拠に、オーカキス島で産出されるカール鉱石と良く似た鉱石が、スアシャ大陸のラジュマ山岳地帯で稀に見つかる」
「じゃあ私たち、地繋がりでアイスス海を渡ったことになるのかしら!?」
「そんな距離を歩いた覚えはないな。もし今、天井に穴をあけても――」
 ダルスは頭上を仰ぐ。透き通る神秘的な海の色が、まるでカール鉱石に染み込んでいるかのように蒼い色をしている。微かに発光しているようにも思える。
 海の色を瞳に宿したイリアは、その瞳を微かに翳らす。
「頭上は、海……?」
「可能性は高い」
 ダルスは眉を寄せた。アイスス海の水深は何百メートルかということをブツブツと呟き始めたが、イリアにとっては絶望と同じことだ。先に目を凝らしても、この道がどこまで続いているか分からない。そのような場所を延々と這う勇気はなかった。
「どうしよう……」
 イリアはその場にしゃがみこんだ。カール鉱石が太腿を傷つけたが、イリアは痛みも感じない。両手を床について途方に暮れる。
「歩いてきた距離から考えて、運がよければサーフォルー大陸側のスアシャ大陸に近いだろう。海のど真ん中に出たら終わりだけどな。あの辺りは海軍も海賊も民間船も寄り付かない海域だ」
 一人で楽しげに呟き続けるダルスをイリアは見上げた。彼がなにを言っているのか分からない。
「見てみろ、イリア」
 その言葉に視線を動かす。
「墓場にいたときと違って、ここのカール鉱石は微かにだが発光しているだろう」
 イリアは瞳を瞬かせる。
「墓場にも違うルートで真水が流れていたし、ここまで来れば天井は薄い。ナイフを楔として突き刺せば、この場所は簡単に砕けるだろう」
 黙って聞いていたイリアは意味を理解して絶句した。青い顔をして立ち上がる。
「冗談言わないでよ! 一気に海水がなだれ込めば私たちだって無事じゃいられない。こんな、カール鉱石が群生してるなかで流れに呑まれたら、傷だらけになるに決まってるじゃない。ダルスの言い分は私が水の能力者だから大丈夫だろうっていうことなんでしょうけど、ここじゃあ水よりも石の脅威が」
 喚くイリアの言葉途中でダルスは笑い、腰にくくりつけていたナイフを取り出した。イリアの言葉は続いていたが、ダルスは頓着せずにナイフを握り締め、無造作に天井に突き刺した。
「な――」
 止める間もない行動にイリアは絶句する。
 カール鉱石の悲鳴かのような澄んだ高い音が響き、それは他の鉱石たちに反響して高く遠く鳴り響いていく。まるで木霊である。
 声は多くの声と唱和し、ナイフが突き立った場所は瞬く間に光を生む。一瞬で亀裂が走り、強い光が二人を照らす。
 まるで海底に新たな太陽が生まれたかのようだ。
「ダルスの馬鹿! 死んだって知らないんだから!」
 覚悟を決めるしかないのだと、短い時間の中で悟ったイリアは両手で顔を覆って叫んだ。ダルスの笑い声が癪に障る。決断の時間ぐらいは欲しかったと思うが、そんな時間があれば延々と否定し続けるだろうことは分かっている。嫌になるくらい自分本位のダルスである。
「どのみち生か死か、どっちかしかないんだ。気負って助けろよ、イリア」
 イリアは光が強まる合間に手を伸ばし、ダルスの腕をつかんだ。それだけではまた離れてしまう気がして、不本意ではあるが抱きつく。さすがにダルスが驚いたような顔をしたが、イリアはそれどころではない。ここでダルスと逸れてしまえばラヤダとの約束を果たせなくなるし、何より自分が一番嫌だった。必死の思いでしがみ付く。
 ピシリと天井が鳴って、一筋の海水が洩れた。魔導師が描く水魔法のように鮮やかに、カール鉱石が生んだ光の中で水が弾けた。
 きっと、すぐに大きな波が来る。経験していなくても直感で分かる。
 最初に走った亀裂を破壊するように、空気が震撼して海水が叩き付けられる――その直前、イリアは顔を上げた。この危機の前でどんな顔をしているのか見てみたかった。
 顔を上げたイリアは瞳を瞬かせる。
 ダルスは頭上を仰ぎ、いつもの強気な笑みを湛えていた。想像のどれとも違う姿にイリアは呆気に取られる。彼は死ぬ気などないのだと悟った。
 イリアの視線に気付いたのか、ダルスは水流に飲まれる直前に背中を抱いた。
 ダルスの力が解放され、傷口に鮮血が滲む。息を呑むイリアに素早く口付ける。
 陸に戻ったら覚えておきなさいよ――と、そんなことを思う間もなく、イリアは叩き付けられた轟音と水流に、何も分からなくなった。

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