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第四話

【六】

 サーフォルー海軍に捕獲された海賊たちの処分は未決。不正を働いていたカラドレットたちの処分も保留のまま。時間を稼ぎたい者たちによって、それは好都合だった。
 シャルゼは報告書を眺めながら興味なさそうに鼻を鳴らした。
「貴方たちの上官がこの島に戻るのはもう無理かしらね」
「それはまだ分からない。本気で戻るつもりがあるならゼロ家に頼み込むことも可能だろうし」
「一度査問を受けた者を甘やかすほど、ゼロ家は落ちぶれたの?」
 ティニスの瞳に微かな怒りが煌いた。
 彼はシャルゼが目覚めてからも何かと側について、不自由さを与えないよう雑用を引き受けていた。当初は彼の双子であるスロットもいたのだが、彼は早々に逃げ出して、今ではティニス一人が残るのみだ。
 カラドレットの腹心であるもう一人の部下、ザグレイは責任ある地位に落ち着いて島を駆け回っている。彼の担当は外交に定められたらしく、島に駐屯する他国の司令部でなにやら動いているらしい。
 シャルゼはティニスの瞳を見返して肩を竦めた。
「かざせるだけの権力があるなんて羨ましいわね。ヴェラークのように、どうしようもない不器用者もいるというのに」
 シャルゼは少しだけ瞳を細める。
 報告書に綴られていない本土の活気は、人を介して徐々にオーカキス島へ伝わろうとしていた。昔から恐れられていた赤い海賊の撃破に人々は沸きあがる。近年、その名を轟かせていたダルス率いる海賊の捕獲にも歓喜に沸いている。人々の中に眠っていた恐怖は払拭され、喜び一色に染まっている。
 シャルゼは面白くない気分でいた。周囲の変化は著しく、しかもその変化はシャルゼにとって納得いかないばかり。果てはヴェラークまでもが艦長解任だと、裏情報として耳に入れば不機嫌にもなろうものだ。
 ティニスが部屋の窓を開け、爽やかな風が入ってきた。つい数日前まで暴風雨に曝されていたとは思えないほど穏やかな天気だ。オーカキス島の雷季はまだ終わらない時期のはずだが、気候が僅かに狂っている。この島で能力者たちが存分に力を揮ったせいなのかもしれない。シャルゼは晴天を睨みながらそう思い、報告書を机に飛ばした。
 ティニスが思い出したように振り返る。
「学校のヴェデドース軍曹から見舞いの手紙が来ていた。検閲が終わったら届くだろう」
「軍曹……」
 シャルゼは苦く眉を寄せる。
「私の滞在は一ヶ月との取り決めよ。戻るつもりでいたのに引き止めたのは貴方たちじゃないの。今更戻るなんて冗談じゃないわ。ヴェラークと共に戻れないならオーカキス島にいたほうが有意義。ここで動けるのは私しかいないと言うのに」
 窓から島を眺めていたティニスは笑みを湛えながら振り返った。シャルゼが片眉を上げて口を開きかけたとき、ノックの音が響いて言葉は失われる。シャルゼは不機嫌な声で「どうぞ」と促した。
「相変わらず――ここには何か特別な風を感じるよ」
 入ってきたのはティニスの双子であるスロットだった。
 彼は扉を開けたところで瞳を細め、しばし部屋の空気を堪能したあと、嬉しげに足を踏み入れた。
 オーカキス島の雷季が突然狂ったせいで、島には生温かい風が停滞していた。気だるくなる気温に誰もがうんざりとしながら制服を着込んでいるのだが、シャルゼの側だけはカラリとした涼風が常に巡っている。能力者とはまとう空気まで自然に従えるのかと少々感動したものだ。同時にシャルゼという人格を思ってため息が出る。そして、ティニスがこの部屋に留まる理由を不承不承納得する。
 扉がしっかり閉まったことを確認してから、スロットはシャルゼを振り返った。
「機会が巡ってきたよ。明日の夜から朝にかけて、僕とティニスの巡回路が重なるんだ」
「どの地点で?」
 何の話題なのか素早く理解したシャルゼは険しい声音で促した。それと同じくらいの素早さでスロットが懐から地図を取り出す。
「町の広場を抜けた先の地点。この辺りは他国も出張ってこないから、サーフォルーだけの軍に気をつけていればいい」
「貴方たち二人だけじゃないでしょう?」
「問題はそこなんだ。まさか仲間を殴り倒すわけにはいかないし」
「船の問題もあるわ。運良く港まで抜けられても、真夜中では商人もいない。もしいても、船を出そうとはしてくれないでしょうね。私の姿を覚えていられたら厄介だわ。かと言って、風だけで海を渡るのは無謀だし」
 早くも行き詰まったシャルゼは苛々と爪を噛んだ。見ていたティニスが口を挟む。
「船は問題ない。こちらで手を打ってある」
 スロットが訝るようにティニスを見るあたり、彼も知らないところで事態は進んでいたらしい。シャルゼは深く追及せず信じることにして、軽く頷くと小さな吐息を洩らす。
「では残る問題は一つ。どうやって味方を欺くかね」
 シャルゼは現在、海賊との交戦中に倒れて意識不明ということになっている。もし意識が戻ったらその身柄は本土へ即刻移すようにと、学校ばかりではなく王都からも通達が来ている。それを無視しようというのだから、決して外に洩れるわけにはいかない。
 険しい顔のシャルゼを見ながらティニスは再び笑う。怪訝に顔を上げる二人の視線を浴びたティニスは、非常に人の悪い笑みを浮かべながら二人を眺めた。
「それについてもいい案があるんだが――」
 島の気だるい空気と、シャルゼがまとう涼やかな空気。その境目となる窓から体を離し、ティニスは窓を閉めると二人に近づいた。


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 いまだ非公式とはいえ、ヴェラークの解任は噂として人々の口に昇り始めていた。いったい誰が洩らしたものか、弱々しい噂は徐々に力を増してそこかしこで聞かれるようになる。そして人々は確信を強めていくのだ。
 ジェフリス国の王であり、サーフォルー海軍の総督でもある、ガヴィルートへの報告を済ませたその日からディールアはずっと不機嫌だった。
 軍学校にいた頃からの親友でありライバルでもあったヴェラークの失脚。親友としても軍人としても、彼が抜ける穴はとてつもなく大きい。損失を埋められるようなものなど存在しない。更にはヴェラークに肉親がいないこともあり、後任すら決められていない状態だ。もしかしたらガヴィルートはヴェラークの遠縁にあたる者たちから選抜するのかもしれない、とディールアはますます眉を寄せる。
 艦長は特に世襲制ではないが、実態はほぼ世襲制が浸透している。そちらの方が家系同士の繋がりが強く、力を溜め込むことが出来る。同時に罪の温床にもなりやすいのが世襲制だが、現状として闇の部分はそれほどない。昔から団結して打倒海賊を掲げてきた国柄なのかジェフリス国に闇の部分が育つことは稀だった。もしそれが溢れてどうしようもなく腐敗したなら、ガヴィルートは容赦なく切り捨てるだろう。
 ディールアは王都を離れるヴェラークに付き合い、第九番艦に乗艦していた。戦闘艦を輸送艦として気安く使っているのは、数ある艦長たちの中でもディールアくらいのものであろう。
 本来王都から自領へ帰還するためには艦を用いるものであるが、ヴェラークは解任を告げられたばかりのため陸路を使ってカーデ領へ戻ろうとした。首根っこ捕まえて無理矢理九番艦に乗せ、ヴェラークの抵抗を封じ込めて素早く出港させたディールアの手際は鮮やかだった。現在ヴェラークは大人しく甲板で風を仰いでいる。
 まるで老後を謳歌するかのような彼の表情と雰囲気に、ディールアは更なる苛立ちを募らせるのだ。
「ミフト大陸に行くつもりか」
 人払いをしてあるので近くに人はいない。
 ディールアは苛々と問いかけた。
「いや……スアシャ大陸に行こうかと思っている」
「スアシャ大陸? 何でまた。ミフトにはヴィダがいるだろうに」
「オーカキス島を基点として伸びる鉱脈はスアシャ大陸に向かっていると、ミレーシュナから聞いた。イリアが生きていればそちらに向かうだろう」
 ヴェラークの妻であったミレーシュナはオーカキス島の出身だ。それを思い出したディールアは「ああ」と息をつき、浮かんだ言葉を飲み込んだ。
 確かに生きていれば鉱脈を伝い、スアシャ大陸に出る確立が高い。けれどもし死んでいれば、力を失った体は海流に乗ってミフト大陸へ流れ着く。今はそちらの可能性が確実に高い。
 ディールアは口を噤んだままヴェラークを見た。彼の横顔はまるで人生すべて悟ってしまったかのようなものだ。
 少しの沈黙の後、ディールアは振り切るようにかぶりを振った。努めて明るくヴェラークの背中を叩いた。
「よぅし、それじゃあ俺様が直々にスアシャ大陸まで送ってやろう! さすがに碇泊は出来ないから送るだけな!」
「断る」
「おい!」
 出鼻を挫かれて思い切り怒鳴る。
「お前の艦だけジェフリスを離れたら不自然に思われるだろう。俺は単身で行く」
「義理堅いのもここまで来ると馬鹿だぜ。陛下は好きにやれって言っただろう?」
 ガヴィルートの言葉は、規律で縛られた軍からヴェラークを解放した。ヴェラークにとっては死刑宣告に等しい言葉だった。けれどここまで来ても、ヴェラークは忠実であろうとする。
 ディールアは呆れた。改めて「やはりこの男の傍には俺がいなくてはならない」と思い直し、胸を張る。説得しようと大げさに身振り手振りで示した。
 ヴェラークは視線を逸らした。
「……解任はまだ、おおやけになってない。外に洩れてヴィダの評価が下がっても困る」
「あーのーなーぁ」
 ここだけは譲れない。
 だが、幾つか言葉を探したもののヴェラークが既に心を決めていると悟り、大げさに脱力する。こうなれば言葉を幾つ重ねても無駄だと知っている。
 いざとなった時には実力行使させて貰おう。
 密かに決意を固めて、ディールアは友人の背中を見つめた。

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