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第四話

【四】

 イリアは衝撃を受けてエスバドを見た。
 彼の表情はとても静かだ。何の感情も見出せない。今の言葉は単なる聞き間違い。そうでなければならないと思った。
「もう一度言って、エスバド」
 夕飯から就寝までの長い時間。ヴェラークの退室を見計らって告げられた。
 エスバドは嘆息して繰り返す。
「チェラージという女の占い師に会った。伝言を頼まれている。ダルスはもうここにはいない。捕らわれた仲間を助けようと出て行った。だが彼女は占いで、ジェフリス国で彼が死ぬと予言した」
 イリアは青褪めて唇を震わせる。
 俯くイリアにエスバドはもう一つの頼まれごとを渡した。手の平に収まるほどの、小さな水晶球だ。
「なんだか良く分からないが、これを預かってきた。前に渡していたものは使い物にならないらしい」
 イリアは静かに顔を上げて、渡された水晶球を見る。
 水の能力が散じたときに渡された水晶球と同じものだった。この水晶球のお陰なのかは分からないが、イリアの能力は確かに早く回復した。
「……そう」
 イリアは水晶球を手の平に包み込む。
 唇を噛み締め、ハッとしてエスバドを見上げた。ようやくエスバドの言葉の内容まで考えが及ぶ。
「捕らえられた仲間って言ったけど……それって誰のこと?」
 エスバドは顔をしかめる。それだけでイリアには分かってしまう。
「イサミアたちが捕まったの……?」
 イリアは勢いよく立ち上がった。しかし飛び出すわけにもいかない。再び寝台に座り込む。ヴェラークとまた口論になるのは避けたかった。衝撃を受けすぎて疲れている。ゆっくりと自分の考えに没頭したい気分だ。
 イリアは寝台に沈み込んで俯く。拳は小さく震えていた。
「父さんがイリア捜索に俺をつけたのは、気を遣ってくれたんだろうな」
 何に対して、とはエスバドは言わない。海上で行方不明になったイリアを捜し出すのは容易ではないと、ディールアも分かっている。それでもヴェラークと共に行かせたのは、国で行われる裁判結果を息子に見せたくないという心遣いからに違いなかった。
 イリアは鼻をすすりあげた。
「私たち……なんて無力なのかしら」
 イリアはシャルゼのことも含めて思った。
 ヴェラークと再会したとき、シャルゼは無事で元気だと伝えられた。しかしエスバドから強引に話を聞きだし、事実無根であることを知った。ヴェラークなりに気を遣ったのだろう。また、エルミナとカラドレットも中央に召喚され、詮議を受けると聞いた。イリアは全身から力が抜けていく思いだ。
「空回りしてばっかり」
 紫の髪を頬に落として憂鬱なため息をつく。エスバドも同感だというように頷いて窓を見た。まだ学生の身分では、中央に出向いて意見を唱えることもできない。王宮裁判を操る王に声掛けができるのは選ばれた艦長だけだ。そしてヴェラークもその任から下ろされた。
 イリアは寝台に倒れた。エスバドがイリアの髪を払って苦笑する。その表情が更に辛くてイリアは寝返りを打つ。布団に顔を埋めて枕を抱き締めた。


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 チェラージから信じられない予言を聞かされた次の日、イリアはジェフリス国に向かう船の中にいた。
 ヴェラークはもう少しスアシャ大陸でイリアを養生させるつもりだったようだが、イリアが頑として譲らなかったためだ。予定が大幅に繰り上げられた。そしてスアシャ大陸に寄った船が偶然にもヴェラーク知り合いの船長だったこともあり、ヴェラークは急だが帰国を決めた。
 ミフト大陸に寄ってヴィダにも会う予定だったが、そちらは大幅に遅らせることにする。今の状態で訪れても、ヴィダに迷惑をかけるだけだ。
 船は客船。数年前までは商船として活躍していた船らしいが、船の持ち主が商いから遠のいたため、今の船長が買い取って客船に改装したらしい。船の基本構造は変わっていない。荷物倉庫を部屋に改装してあるため、一つ一つの部屋がかなり広い。そのため多くの人数を乗せるには向いていないが、貴族たちの優雅な娯楽としては丁度良いらしい。
 静かな甲板で椅子に腰掛け、イリアは眩くきらめく海面を眺めていた。船に乗ることも懐かしい。
「そういえば」
 隣のエスバドが思い出したように声を上げた。
「ヴェデドース軍曹がため息をついていた」
 イリアは眉を寄せる。
「イリアとシャルゼは特例でオーカキス島へ行っていただろう? そのあともこんな事態になってしまったし、進級やクラス配置はどうするべきかと、悩んでいた」
「知らないわよ」
 イリアはため息をつきながら体を起こす。近くを通りかかった船員を呼び止めて飲み物を頼む。真っ白な制服を着た彼は快く頷いて船内に戻っていった。
「ヴェデドース軍曹も、クラスメイトも、エルミナもカラドレットもオーカキス島のみんなも! もう、どこかに隠居したい気分」
 イリアは大きく足を伸ばして首を回した。エスバドは笑って立ち上がる。日傘から出て帆を見上げる。この船には能力者などいないため、無風になれば船員たちが手で漕がなければいけない。しかし今はまだその時ではないようだ。帆は充分に膨らんでいる。
「ねぇエスバド! シャルゼって……本当にまだ、オーカキス島にいるの?」
 歩き出そうとしていたエスバドを呼び止めて、イリアは体を乗り出した。
 エスバドは表情を翳らせてかぶりを振る。
「分からない。あの性格だ。目覚めたら、上を欺いてお前を捜そうとするかもしれない」
 至極あり得る話だった。イリアは複雑になる。
「そう……。私が帰還することは、まだ本土には伝わっていないのよね」
「父さんには伝えてあるが、陛下にはどうかな。もともと行方不明者の報告に陛下は携わらないし。伝えられるとしても、もっと後になると思うよ」
「お父様を降格した陛下になんて無事を伝えようとも思いません」
 頬を膨らませたイリアにエスバドは呆れ顔となった。しかし何を言っても無駄だと思ったのか、そのまま踵を返して船内に向かう。イリアは彼の背中を眺めたあと、日傘の下に戻った。日差しが強くて眩暈がしそうだ。
 シャルゼに連絡が取れれば、ヴェラークの監視下にいても情報を集めることが可能だ。あわよくばダルスの行方を追うことも可能かもしれない。
 イリアは顔をしかめる。ダルスがイサミアたちのことを知ったら、必ず助けに向かうだろう。イサミアが記憶喪失になったときのように、危険など覚悟の上で。
 だが、あのときと今では決定的に違うものがある。ラヤダの存在だ。イサミアが記憶喪失になったとき、ダルスは生きる覇気に満ちていた。けれどラヤダが亡くなったいま、イリアが見てきたのは自暴自棄になったダルスばかりだった。王都でイサミアたちを奪還したあと、彼はそのまま生き延びようとするだろうか。それを考えると恐ろしさが込み上げる。勝手に死なないで、と歯噛みする。
 青空を睨んでいたイリアは、横から飲み物を差し出されて視線を向けた。船員が冷たい飲み物を差し出している。イリアの悩みなど吹き飛ばすように爽やかな笑顔だった。
 イリアは礼を言って素直に受け取る。一口飲むと、冷たさが喉を滑っていった。淡い甘さが疲れを癒す。
「ごゆっくり」
 もしかしたら船員にはイリアの境遇について伝わっているのかもしれない。ここの船長がヴェラークの知己という話なので、可能性は高い。
 イリアは他の乗客にも飲み物を配るため離れていく船員の背中を見ながら、そう思った。
 背もたれに背中をつけ、飲み物に癒されながら瞳を伏せる。
 ひどく疲れていた。ここ数日で色々なことに巻き込まれ過ぎた。黙っているとダルスばかりが脳裏を占めて頭が痛くなる。カーデ領に戻ったら王都に向かい、拘束されているだろうカラドレットたちに面会を求めようと思う。さすがに、以前イサミアたちをカーデ領から逃がしたような大規模な手は使えないだろう。しかしそれでも、最後まで諦めるのは嫌だ。
「イリア。起きてるか?」
 瞼を開けるとヴェラークがいた。彼は私服だ。いつも制服を見慣れているイリアには、やはり違和感が拭えない。
 彼の隣には逞しい男が立っている。この客船の船長だ。船に乗る前、イリアも挨拶に行った。二人はイリアの憂鬱さなど知らぬように眩い笑顔を浮かべている。
 イリアは飲み物を置くと、立ち上がって会釈した。船長が瞳を細める。
「暇だろう? いい機会だから、船内を案内して貰っておいで。途中でエスバドも誘ってな。構造を見せてくれるそうだから、勉強になるだろう」
「ま、ヴェラークのような戦闘艦にとっちゃ比べ物にならない装備だけどな」
 茶化す船長に、ヴェラークは曖昧な笑みを見せて、肩を竦めた。
 イリアは少しだけ笑みを洩らす。この船長はディールアに似ている。
「後学のために、機会は一つでも多い方がいいわ。感謝します」
 小さく頭を下げる。ニコリと微笑むと、ヴェラークのそばを通り抜ける。
「エスバドを捜してくるわね。さっき中に入ってったばっかりなの。直ぐだから、ここで待ってて」
 二人の返事は待たず、イリアは甲板を走り出した。
 視界の端で男二人が再び話し込もうとする。
 イリアは彼らに背を向けて船内に入った。

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