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第四話

【五】

 シャルゼは近くの村へ寄って山賊たちを片付けたあと、まずはライデンを着替えさせた。
 追われる身だ。
 雪のお陰で人通りは少ないが、いつ見つかるか分からない。手は打っておいた方がいい。
「立て替えたお金は二倍返しをお願いするわ」
 将軍服の上から質素な外套をかけ、耳まで覆う帽子を被らせる。
 ライデンの姿を上から下まで眺めたシャルゼはそんな風に唇を尖らせる。
「脅迫の上に恐喝とは。天下の将軍様にする態度じゃないぞ」
「天下の将軍様は脱走などという見下げたことはなさいません」
 ライデンに冷ややかな視線を送ると苦笑される。
 つかの間の休憩を終えた二人は海を目指した。シャルゼは反対だったが、ライデンは「北王へ自分の居場所を報告しなければいけない」と半ば押し切られてしまった。シャルゼの事情については一切触れないという約束をして村を出た。
 当初は不安と猜疑心でライデンの背中を睨みつけていたシャルゼだが、腹をくくろうと決めたことを思い出し、彼に行方を委ねることにした。村から再び山へ入る。
 先ほどの山よりも標高が高いそこは雪が深く積もっていた。膝まで覆う長靴を履いていても、歩くのは容易ではない。体が火照るのとは対照的に、足先は冷たく感覚を失くしていく。
 シャルゼは周囲に誰の気配もないことを確認し、念のため風で隔絶してからライデンに実情を打ち明けた。
 たかだかいち軍人のために、それも他国の者に、不利益を被ってまで協力する人間はいない。しかしシャルゼは取引できる条件もないまま彼の奇特さに縋る。
 国の中枢にいる彼ならば人捜しの方法を知っているだろう。能力者を紹介してくれるなら、これほど理想に近いことはない。また、大国の将軍である彼を伴って帰国すれば、その発言は無視できないものとなる。
 欲を言えばガヴィルート国王を動かしたかった。自由に動けるだけの環境が欲しい。船が沈むのを黙って見ているしかなかった、あの二の舞だけは繰り返したくない。
 白い息が何度も首筋を通り過ぎていく。背中が燃えるように熱い。不意に下り坂となったときには転びかけた。
「あなたはまだ幼い」
 麓の集落を目にしてライデンは呟いた。シャルゼは目だけで彼の後姿を見上げる。
「かげりがない。実に気持ちの良い理想論だ」
 経験不足を指摘されているようで悔しくなる。だが、いくら本を読もうと人の話を聞こうと、経験のない想像は限られてくる。見落としがあるのかと歯噛みする。
 ライデンは振り返って笑った。
「俺を利用しようという奴は山ほどいるが、あなたのようにすべてを明かす者はそうそういない。利用しようとしておきながら、それを悪意的にとらえていないからだ」
 意味を良く理解できなくて凝視する。
 大人を相手にしても負けるつもりのないシャルゼだが、彼からは今まで負かしてきた大人たちとは違う雰囲気を感じた。異国の将軍だからかと思う。
 焦りを覚えたシャルゼの姿を、もし級友たちが見たら驚くだろう。
 ライデンは視線を前に戻し、近づいてきた海を眺めながら口を開いた。
「その計画に乗ろう」
「え?」
 思わずシャルゼは声に出して驚いた。
 ライデンは笑い、そして切り立った崖に広がる集落を指差す。
「この町には王の船がある。拝借するよ」
「え……、え?」
 戸惑いを無視してライデンは進む。シャルゼは雪を白く蹴立てて追いかけた。
「待って! 王の船って、ミフトに海軍は存在しないはず……待って! 待ちなさいってば!」
 麓へ来て積雪量が減り、歩きやすくなった。
 ライデンはシャルゼに構わず進んでいく。
 距離は直ぐにあいた。
 山越えで疲れていたシャルゼも何とか追いつこうと足を動かすが、ライデンには敵わない。声すら届かない距離になりそうで怒鳴る。その拍子に足が取られ、頭から雪に突っ込んだ。慌てて起き上がるとライデンが遠くで振り返っているのが見える。その顔が笑っているように思えて、シャルゼは肩を怒らせた。
「もーう怒ったわよ。こんな歩きにくいところ!」
 力任せに足を雪から引き抜く。金髪を振り乱して頭の雪を払う。
 一瞬で風を集めて跳ね上がった。
 白銀の世界に金色が灯る。それはライデンの視界のなか、一直線に空高く舞い上がる。そしてライデンの頭上を飛び越えた。長い悲鳴を響かせながら墜落した。
 慌てて駆け寄ったライデンが見たのは、雪に尻餅をついて呆然としているシャルゼだった。
 シャルゼは引き上げられてかぶりを振る。緩く波打つ金髪から、はらはらと雪が落ちていく。
「あまりに強い力で制御ができないのかな?」
 笑いを含む声にシャルゼは我に返った。頬を紅潮させてライデンを睨む。
「こんなに協力的な風を知らなかっただけよ」
 唇を引き結び、服についた雪も払い落とした。
 ミフト大陸に渡ってからというもの、風の気配を濃く感じるようになったことを思い出す。ジェフリス国にいるよりも手応えがあった。相性が良すぎて、今までのやり方では力が強すぎたのだろう。あまりの高速さに驚いて、空中で力を霧散させてしまい、その結果、墜落した。あまり高度がなかったことと、積もった雪のお陰で命拾いした。初めての種類の失敗に驚いた。
 怒りと戸惑いに、気持ちの整理がつかない。まだ動悸が治まらない胸に手を当てた。
 視界の端をライデンが過ぎ、シャルゼは慌てて追いかけた。
 町までは直ぐだ。
 高い塀に囲まれた町。山頂からは見えていた海が、今ではもう見えない。入口は城門のように威圧感があった。両端には衛兵ならぬ少年兵が二人いる。槍を手にした彼らは驚愕の表情で今の顛末を眺めていた。
 空飛ぶ人間を初めて見たのだから当然だ。
 ライデンは笑いを噛み殺す。
「だ、だから待ちなさいって……!」
 山中に比べてかなり歩きやすくなったが、それでも彼には追いつかない。再び息を乱しながら全力で追いかける。
「イリアの手がかりが見つかるまでは、私はこの国を出ないわよ!」
 船でジェフリス国へ行こうとするなら絶対に止める。
 シャルゼはライデンの前に回りこんで、両手を腰に当てた。黙ったままシャルゼを見下ろしたライデンは笑みを湛えて口を開く。
「先ほどの村で外国の情勢に詳しい者に確認を取った」
 シャルゼはぎくりと体を震わせる。自分のことを調べたのか、と思ったためだ。同時に、そんな情報を確認できるなら国王に居場所を知らせるのも、その村で充分可能ではなかったのかとも思った。
「イリア=カーデはヴェラーク=カーデに保護され、無事でいるらしい」
「なんですって?」
 シャルゼの脇を通りながら彼女の腕をつかむ。体を反転させて歩き出す。
「そしてあなたが先ほど言った通り、カーデ大将は解任の見込みが強まっているようだ。あなたは一刻も早く帰国する必要があるんじゃないか?」
「そ、それはそうですけど」
「ヴァレンが動かせる関所は限られている。王族直下のこの港なら、俺も出国許可を発行できる。堂々と外海に出られるぞ」
「ヴァレン?」
「俺を追っている奴のことだ」
 ああ、確かに手配書の発行人はそのような名前だった――そう思い出しながらシャルゼは町に入る手続きをするライデンを振り返った。
 少年兵たちは瞳に好奇心を宿しながらも、必要以上の質問はしてこない。
 山頂から見たこの町は、高い堀に囲まれているもののとても小さい面積だった。こんな町が王族直下なのかと疑問に思う。
「この国に海軍はない。だが外国ほどではないにしろ、船はあるんだよ」
 手続きを済ませて町に入った。少年兵に見送られ、石畳を踏みしめる。
 そこは不思議な町だった。広い通りが前方に長く貫かれており、不意に途切れている。その向こう側には海が見える。建物の数は多くない。人の姿はなく、まるで時間が止まっているかのようだ。
 ライデンは通りを真っ直ぐに進み、シャルゼを促した。
「崖を堀り、人々はその中で暮らしている。表に出ているのは太陽光を取り込む装置だ。船もこの中にある」
 途切れた道の先には長い階段があった。九十九折になった階段は崖の中に続いている。海風が強く髪を揺らし、身体ごと攫われそうな錯覚に陥った。手すりをしっかりとつかんで下りて行く。階段の側面は海風によって塗装が少し剥げていた。
「ここは特に入り江が深くなっていて、普通の船では航海ができないんだ」
 大きな自然洞が口を空けている。オーカキス島で見た鉱石の洞窟と良く似ていた。風が洞窟へと吸い込まれていく。その闇の向こうにいくつもの光が見えた。進むにつれて人の声が聞こえてくる。洞窟に響き、波音と重なって歌声のようだ。
 シャルゼは思わず瞳を瞠らせた。
 洞窟奥に停泊する一隻。
 周囲には造船職人と思われる人々が集まって作業をしている。
 丸みを帯びた船体に、高い船首楼と船尾楼。特徴的な船だ。まだ帆は張られていない。外から見ただけでも広い船倉を持つことが分かり、大量の輸送が可能そうだった。非常に安定した船体だ。
 人々がライデンに気付き、歓迎の雰囲気を醸した。ライデンは何度かここに来たことがあるのだろう。親しげに片手を挙げて人々に馴染む。
「ミフトで初の外航船だ。船首と船尾の帆で回頭性を高めていて、縦帆と横帆の張替えがきくから帆走能力も高い。直ぐに航行できるよ」
 ライデンはシャルゼを振り返り、少しだけ楽しげに説明した。


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 オーカキス島の遠洋には嵐が停滞していた。
 影響は付近の海にも及んだが、島には平穏な毎日が戻っていた。
 他国の駐屯軍と緊張状態に陥ったこともあったが、今では元に戻っている。
 シャルゼがミフト大陸へ渡ってからしばらく経つ。
 島に残るティニスたちはそれぞれの消息を知らぬまま日々を過ごしていた。動向を探れば本国にシャルゼの情報が漏れる恐れがある。自分たちはシャルゼがミフトへ渡ったことなど知らない素振りで毎日を過ごさなければいけない。彼女は重症人で、いまだ司令部の奥で臥せっているのだ。
 今日もまた、朝からジリジリと焼けるような日差しが降り注いでいた。
 軍服姿の仲間たちが額に汗を浮かべながら勤務をこなしている。
 島の見回り。本土からの報告要請。海上の巡視。
 加えてそこに、海賊たちの捜索も入れられた。
 嵐が近い遠洋に出たティニスたちは空を仰いでいた。
 ティニスたちはカラドレットの身分詐称に加担した罪に問われている。本土での裁きを待つ身だが、ダルスたち海賊の裁きが進まないため、オーカキス島で通常任務をこなす毎日だ。
「もうほとんどが流されてる時期じゃないのか?」
「ああ」
 ため息をつきたそうなスロットの意見には賛成だ。
 ティニスは軽く頷く。
「海賊の首でも見つかればなぁ」
「仮に遺体が見つかっても、俺らでは首実験ができないだろう。赤い海賊の生き残りも、もう」
 そこまで言って、ティニスは眉を寄せた。
「リディオールって娘がいたじゃん。なんだっけ。古い言葉で“女神”って意味の名前。海賊のくせに大それた名前だなって思ったんだよ。ま、それはともかく。あの子なら首実検できるよ」
「それはそうだが……」
 年下の少女を思い出すと苦々しい思いが湧いてきた。同時に、イサミアのことも思い出す。
 片や毅然と胸を張り、軍艦に向かった赤い海賊の頭の妻。
 片や不安そうに辺りを窺い、ディールアに縋っていたダルスの妹。
 実に対照的な二人だ。
 海賊に向けるような攻撃的な感情は湧いてこない。ティニスたちの瞳には、どちらも保護すべき人物たちに映っていた。
「風息の奴らはずいぶんと若い奴らが多かったな」
「あ、ティニスもそう思った? 実は俺もなんだよね。だいたい、ダルス自体が若いじゃん。あの船に乗ってた奴らで“大人”と呼べるのは一握りだったよね」
 ティニスは否定も肯定もせず青い海を眺める。ディールアたちが海賊たちを連れて本土へ出発してからずっと、二人は海上で海賊たちの捜索にあたっていた。遺体や船の残骸が見つかれば本土に輸送し、鑑定する。
 船の残骸はいたるところで見つかっていたが、遺体が見つかるのは数人分。時間が経つに連れて残骸の発見も減っていく。そしてとうとう、何の収穫もない日が続くようになった。ただ海上で波に揺られている毎日だ。
 太陽が天頂を過ぎる。スロットは「あちー」と呟いた。
 甲板では他の者も思い思いに“仕事”をしている。最初に任じられた仕事は放棄していた。
 そろそろ昼飯の船鐘が鳴るか、と視線を甲板に戻そうとしたティニスは、視界の端に映った影に表情を強張らせた。スロットの手から望遠鏡を取り上げる。暑さにやられて怠慢だったスロットは我に返って唇を尖らせたが、そんな不満は聞き流す。望遠鏡を素早く海上へ向けて照準を合わせた。
 見張り台の人間も気づいたようだ。ティニスが事態を把握した瞬間、注目を集める銅鑼が鳴らされた。
「なに。敵襲?」
 どこか嬉しそうにスロットは湧き立つ。そんな彼の頭を軽く押して、ティニスはかぶりを振った。海上に小さく現れた影は、既に大きくなっている。肉眼でも捉えることができた。
 望遠鏡を取り返したスロットは照準を合わせる間もなく唖然とした。
 作業船の合間を縫って近づく艦。
 紅碧の旗が揺らめいている。
 イートシャン=ドーガ、第七艦の識別色。
 ヴェラークと対立し、イリアやダルスを海に沈めた人物の艦だった。


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 艦を下りたイートシャン=ドーガは司令部に腰を落ち着けた。彼の相手をするのはカラドレットの部下、ザグレイだ。カラドレットが司令官の身分を剥奪された今、実質この司令部は彼が担っている。
 現われたイートシャンは相変わらずの仏頂面で不機嫌そうだ。
 ザグレイは敬礼を解いて、単刀直入に切り出した。
「此度は視察に参られたのでしょうか」
 イートシャンは長椅子に腰を下ろし、腕組みをしている。ザグレイの言葉に眉間の皺を深める。彼はヴェラークに劣らず剛剣の持ち主だ。不興を買えばその場で殺されてもおかしくない。将軍にもなろう者が単なる衝動で殺しに走るとは思わなかったが、ザグレイは死を覚悟しながら彼を凝視していた。カラドレットやエルミナのことで、彼に対する恨みはある。
 ザグレイが黙ったまま彼の言葉を待っているとイートシャンは嘆息した。柔らかそうな灰色の髪が揺れる。
「そう殺気を放たれてもな」
 ザグレイが肩を揺らすとイートシャンは口の端だけで笑った。
「本日は捜索隊に、私も加えて貰いに来た」
「……は?」
「第七艦の設備があればもう少しマシな捜索が可能だろう。私の部下たちも使って構わない」
「は……それは……陛下のご指示で?」
「いいや、私の独断だ」
 ザグレイは口を開けたまま絶句した。
「私の職務を全うしに来たのだ」
 イートシャンはひたりとザグレイを見据えた。一つ息をつくと立ち上がる。そうするとザグレイは圧されたように感じてしまう。人生経験も海軍としての力量も、ザグレイではまだイートシャンには遠く及ばない。イートシャンはそこにいるだけで大きな一枚岩のような存在感を持っていた。
「捜査を許可していただけるか」
「独断で、職務を全うしに、ですか……?」
「ああ。陛下からは功を労われた。領地で通常任務に戻るよう沙汰があったが、それは副官に任せられるものだ」
 不思議な気分でザグレイは彼を見つめる。この島に一番最初に戻ってきたのが彼だということが、とても不思議だった。彼の根本には誠意があるのかもしれない。融通が利かないのはヴェラークと同じだが、彼の正義はザグレイたちと同じものだ。むしろ、そうであるからこそ将軍を任じられたのだろう。
 ザグレイは自分の中で何かが氷解していくのを感じながら笑みを浮かべた。心からの謝意を示す。
「心強いお言葉、ありがとうございます。直ぐに手配をしましょう」
「うむ。頼む」
 湧き立ちながらザグレイは司令室の扉を開けた。その瞬間、顔をしかめる。ティニスやスロットを筆頭として、海上探査を任じられている面々が揃って盗み聞きをしていたからだ。彼らは扉前で倒れたあと、我先にと逃げる。ザグレイは彼らの背中に怒鳴ったが、果たして効果があったかは怪しかった。後で個別に面談が必要か、と頭を抱える。
「お見苦しいところを失礼いたしました」
 振り返るとイートシャンは笑みを湛えていた。気分を害したわけではないようだ。ザグレイは内心で安堵しながら廊下に出る。扉を閉めて、促した。
「ゼロの波紋は深く浸透しているのだな」
 ザグレイは瞳を瞬かせた。
「この地に赴任していたのがもし私だったら、お前たちは今のような忠誠心を持っていられたか」
「愚問です、将軍。上官が誰であろうと私たちの忠誠は変わりません」
「そうか」
 眦に力を込めて断言する。イートシャンはただ頷いて歩き出した。追いかける。
 なぜそのようなことを聞かれたのか、彼の表情から読み解くことはできなかった。

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