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第四話

【一】

 ダルスは相変わらず船長室を占領していた。不遜な態度に船員たちは不満顔だが、フリードがこだわらないため何も言えない。ダルスは自由に船内を闊歩し、船員たちの仕事ぶりを観察する。ときには自ら動いて見本を示す。
 そんな彼の姿に船員たちも慣れてしまう。航海は順調に進んでいた。ダルスへの悪感情も自然と宥められていく。
 シャルバイラル港を離れた船は順調に進んでいるはずだった。
「おかしらー!」
 ダルスは素早く身を起こす。聞こえた声は見張り台からの通信だ。船長室にはダルスしかいない。緊迫した声にただならぬものを感じ、ダルスはそのまま通信機を取り上げた。
「どうした」
「あ、ダルスてめぇ! おかしらは」
「用件を言え」
 自分の船では考えられない暴言を向けられても怒りはしない。唇の端を上げて笑いに耐え、促す。通信機を持ちながら海を見た。けれど穏やかだ。見張り台の男が騒ぐようなものは何もないと思えた。
 通信機の向こうで男は「ああああ」とやりきれない怒りを吐き出す。
「海に巨大な障壁があるんだ、このままじゃ船が破壊されちまう! どうにか旋回させてくれ!」
 彼には舵を取る権利がない。まずは船長の判断を仰ごうという腹だったのだろう。
 ダルスは不可解な言葉に眉を寄せたものの、彼の切羽詰った物言いから時間がないと悟り、操舵室へ繋がる回線を開いた。
 フリードはいるかと訊ねるが返って来たのは否。悠長な人探しをするわけにもいかず、ダルスは直ぐに旋回を命じた。意外にも反発はない。操舵室の者たちはすんなりとその命令を受けた。もしかしたらフリードに何か言い含められていたのかもしれない。
 ダルスはひとまず自分の目でも確認しようと部屋を出た。
「おいダルス!」
 廊下に出た途端、声を掛けたのはフリードだった。船倉から走ってくる。いつもの悠然さは感じられず、フリードは巨体を揺らせて走ってきた。彼の後ろには通信士もいる。話は通っているものと考え、ダルスは一瞥したのち甲板に向かった。
「初めてだぜ!」
「何があったんだ」
 フリードは膝に手を当てて船長室の前で休憩しようとしたが、ダルスが走り出したため、慌てて追いかけた。
「恐らくジェフリスの能力者たちの仕業だ。オーカキスに至る気候が不安定だとは聞いてたんだが、まさかこんなことになってるとは」
「要点をまとめろ」
「その目で確かめろ!」
 怒鳴り合いながら二人は甲板に飛び出した。
 途端、漂う生温かい風に体を震わせる。気持ちが悪い。重苦しい空気が足元を這っている。ダルスの前に、船長室から見た海とはまったく違う海が広がっていた。
「なんだこれは」
 甲板で作業をしていた者たちはほとんどが唖然とその海を見ていた。そんな海を見ようと、船内からも次々と乗組員たちが現れる。
 ダルスは帆綱をつかみ、体のバネを生かして船の主帆に乗り移った。この船には見張り台まで自動操縦の昇降機がついている。乗り込んで上昇しながら、ダルスは周囲の様子を窺った。
 ジェフリスまで続く空には暗雲が垂れ込めている。ときおり雷光も走っている。しかしある場所を境に気象が綺麗に変わり、こちら側はいつもの滄海と晴天が広がっていた。
 言葉では言い表せない不思議な現象。先の事件で揮われた能力者たちの力が、まだ消えていないのだろう。それは時間をかけて余波を広げ、このように遠く離れた海にまで流れてきた。
 どのように航海すればいいのか判断できない。ジェフリス側の海は豪雨に見舞われ、ひどい荒波になっているようだ。見張り台の男が叫んでいた通り、このまま進めば船が破壊される。船員たちも突然の気象変化に対応しきれない。
 ひとまずフリードは航路を変え、障壁から離れた場所に停泊させた。甲板の中央で他の乗組員たちと車座になって頭を悩ませる。フリードの船は小型商船のベイランダーだ。荒波が少ないアイスス海だからこそ航行できる船で、嵐を越えられるようには造られていない。いくら風読みが得意なダルスが操舵を変わっても、この船では八割の確率で転覆するだろうと思われた。
 ダルスは親指の爪を噛んだ。
「ダルス!」
 見張り台に昇ったままだったダルスは、甲板のフリードに手招きされて下降した。彼は苦りきった顔で頭を掻いている。
「この中を通る危険は冒せねぇ」
 ダルスは無言で彼の肩を叩く。船員の命を守るのが船長の務めだ。脇をすり抜けるダルスに、フリードは振り返って代案を出す。
「オーカキス島で別の船を借りるか?」
 ダルスは何も答えない。最善は何か、と幾つかの策を脳裏に浮かべるが、どれも決定力に欠ける。焦りが身の内を侵食していく。
「チェラージの野郎……」
 舌打ちをし、知らず恨みの念を零す。彼女には今回の事態も見えていたのではないかと思ってしまう。この障壁は、強い能力者ではないと消すことができない。サーフォルー海軍に属する能力者でも難しいだろう。つくづく、自身に力が戻らないことを恨めしく思う。戻る目処がつかないことには作戦の立てようもない。
「他の船も、この海域は迂回しているようだ」
 交信したのか、通信士が新たな情報を持ち込んでくる。フリードは苦い顔を崩さないまま海を見た。ジェフリスの正規軍到着を待つのが最善だ。
「障壁沿いを進みながらオーカキスに向かってくれ。途中で天候が戻っていれば、そこから入る」
「了解した」
 フリードが掌帆長に指示を出す。帆は直ぐに張られた。ゆっくりと旋回を始め、障壁に対して水平となる。障壁がいつ広がってもいいように、少し距離を保ちながら走り始めた。
 ダルスは忙しく走り回る船員たちを眺めた後、視線を甲板に落とした。日差しが強い。影が鮮やかに落ちている。
「ついでだ。オーカキスの特産品を仕入れて来よう。あそこの品は他の大陸じゃ、高値で取引されるんだぜ」
 商人根性逞しく笑うフリードにつられてダルスも笑みを零した。大きな手に背中を叩かれて肩をすくめる。彼は海賊時代よりも温厚になったようだ、としみじみ思う。熊、と呼ばれていた当時の面影は、その巨体にしか見出せない。だが彼が声をかければ仲間は直ぐに集まるだろう。ダルスたち島の仲間たちが絆で結ばれているように、フリードたちにも絆がある。
 左手に障壁を眺め、右手に水平線を眺めて進む。風力はそれほど強くないため船足は遅い。どうやら障壁に阻まれているため風向きも一定になりやすいようだ。読みやすい風に帆の開きを合わせ、帆綱を固定したまま乗組員たちが遊びだした。咎める者は誰もいない。海で長い時間を過ごすには遊び心が大切だ。
 ダルスとフリードは船べりに寄りかかりながら、急遽開かれた剣稽古を眺めた。
「――昔の仲間は、無事か?」
 唐突な質問にフリードが目を丸くするのが視界の端に映った。
 ダルスは動かない。どうにも気持ちの悪い、生温かい風に髪を揺らしながら前を見続ける。フリードは片目を覆う眼帯を直しながら答えた。
「解散したあと、堪え切れなくて暴走した奴は何人かいたな。運悪くサーフォルーに捕まって、処刑された奴もいる。丸々無事とは言えまいよ。だが、サーフォルーに怨みはない。解散した後に暴走したのは、そいつらの責任だ。自分のしたことにゃ責任持つのが筋ってもんだろ」
 ダルスは肯定とも否定とも言わないまま鼻を鳴らす。
「他はまっとうに生きてるよ。ま、顔が売れちまった奴らは裏稼業しかないが。解散したときには皆、結構な年だったんだ。昔ほど無茶しないで、ひっそりやってるよ。シャルバイラルにも何人かいるし、俺が面倒見てる奴らの何人かはこの船にも乗せてるし」
 フリードは顎をしゃくった。甲板で騒がしく群れている中に、彼の言う何人かが紛れてるのだろう。
「お前たちも、そろそろ身の振り方を考える頃か」
 その言葉に揶揄る響きはなかった。黙り込むダルスの隣で、フリードは空を仰ぐ。海を映したように、青い空。
「仲間が捕まったと聞きゃ、さすがに考えるよな」
 少しの沈黙が落ちた後フリードは思い出したような声を上げた。
「そういや出港の数日前に扇動しようとしてた奴がいた」
「扇動?」
 フリードの片眼がダルスを見下ろす。
「お前らの無茶っぷりは港にも伝わってきてる。そいつはな、サーフォルー軍の力が弱まったこのときこそ海賊の稼ぎ時だと、引退した奴らにも声をかけてたらしい。俺は直接顔は見てねぇが……どうにもきな臭くて、仲間内じゃ噂になってたんだよ。俺の耳にも届くほどな。馬鹿な奴らはまた海賊に逆戻りだ」
 微かに荒く、鼻息を吐く。海賊から足を洗っても、職につかず、海賊の夢を抱き続ける男たちは数多くいる。今回の話は、そんな人物たちにうってつけの話だったのだろう。
「確かに、今のサーフォルー軍の力は分散してる。お前らの仲間を王都に収容して海軍を集結させているし、能力者たちの後始末にも奔走してるだろう。細かいところには目が行き届かなくなっている。俺も稼業を続けてたら、絶好の機会だと漕ぎ出すだろうな」
 けれど鍛えられた組織だ。最初の崩れはあっても、立ち直るのは早いだろう。
「潮時ってやつを、見誤らなきゃいいんだがな」
 そんな言葉を聞きながら後ろを向いたダルスは、水平線に何かを見た気がして眉を寄せた。
「どうした?」
 ダルスの表情が変わったことに気づき、フリードの視線も水平線に注がれる。けれど二人の目には何も映らない。それでもダルスは表情を険しくさせて水平線を見つめ続けた。直感で、何かが来ると悟っていた。胸の奥がざわめいて、拳を握り締める。
「ダルス?」
 フリードが怪訝そうな声を掛けたとき、見張り台の男が大声で叫んだ。
「船だ!」
 甲板にいた全員が水平線に目を向ける。
「こっちに向かってくる!」
「海賊か?」
 先ほどそういう話をしていたばかりだ。望遠鏡を覗き込みながら叫ぶ男を、フリードは眉を寄せながら見上げた。
 船が現れたからと言って恐れることはない。海賊への備えは整っているし、この船はアイスス海の通航証を持つ商船だ。巡回船の尋問にかけられても痛くはない。ダルスはその間、どこかに隠れていればいい。
 それから数分して、ようやく肉眼でもその船を捉えることができるようになった。ジェフリスとは正反対の晴天を背負って現れたのは一隻だ。通常の商船では考えられない速度で進んでくる。軍船らしいことは、もう少し船影が大きくなってから判別できた。
 誰もが眉を寄せた。
 軍船にしては領海から離れすぎている。航路からも外れているこの場所に姿を現すことは不自然だ。フリードたちも今は最短航路から外れているが、それは障壁という理由があってのこと。現れた船は、不自然な動きで向かってくる。
「戦闘配置!」
 フリードの野太い声が響いた。銅鑼が鳴らされる。日常的に海賊と出会うこの海で、守る術を持たない船はない。フリードの船も例外ではなく、戦闘用に雇い入れた者たちが前に出た。
 フリードとダルスは船べりに立ちながら、近づいてくる船を見据えた。
「どうするダルス?」
 もしも海賊だった場合、ただの海賊ではないことは明らかだ。ただの海賊があのような速度で進めるはずがない。能力者の力を借りているのだろう。だが、能力者を擁する海賊など、ダルスたち風息以外では聞いたことがない。
「俺が前に出て、事が足りればいいがな」
 剣呑な眼差しで答えた。名前を出して恐れてくれるのなら、これほど楽なことはない。
 だがダルスは言いながら危機感を覚えていた。砲門の数や喫水の深さから、かなりの重量だと思われるのに、船足は速い。乗る能力者が優秀である証拠だ。対する自分は今、風の能力を失っている。もし敵だった場合、互いに消耗するだろう。
 速度の不思議には船の誰もが気づいていて、張り詰めたような緊張が続く。
 船の全貌がようやく見出せる位置まで近づいたとき、帆柱に掲げられた旗を見たフリードがまず安堵の息をつき、戦闘員たちも構えを解いて剣を下ろした。気の緩みは直ぐに伝わり、乗組員たちも思い思いに息を吐き出す。
「ミフト大陸の船か」
 船には剣を模した絵柄の旗が揺らめいている。それは二大王を抱えるミフトの証。海軍を持たないミフトの船には謎が多い。フリードは裏帆をうたせて速度を緩めた。航路を譲ることにした。
 誰もが安堵するなか、ダルスだけは険しい表情を崩さなかった。結構な速度で進んでいた船が、なぜか速度を緩めているのだ。あちら側からもこの船に気づいたのだろう、船首を少し回頭させ、接舷できる距離まで近づいてくる。舷側がダルスたちに向けられる。
 黙ったまま船の様子を窺っていたダルスは、そこで大きく目を瞠った。
「このようなところで会えるとは思ってもいなかったわ」
 同じ速度で併走し、顔を出したのはシャルゼだった。金髪をなびかせた彼女は船べりに近づいてきて、微笑を零す。まだ距離があるため、本来なら声は届かない。だが、彼女の声は風に乗って、はっきりと聞こえてきた。乗る能力者は彼女だったのかと納得する。
「生きているなんて悪運の強い男ね」
 シャルゼの乗る船の方が甲板の位置が高いため、ダルスは自然と見上げるような格好になる。ダルスは彼女の隣に姿を現した青年を見て、目を細めた。雰囲気から、ただの水兵ではないと感じる。武人であることは間違いない。
「貴方が噂のダルスか」
「あんたは?」
「ミフトの北王に仕えるディラック=ライデン。位は少将だ」
 ダルスの声も風で拾い上げたらしい。彼は笑みを浮かべて優雅に挨拶する。
 途端、ダルスの背後で動揺が広がった。彼が噂の、といった類の声が聞こえてきた。ダルスには分からない動揺だ。気を取り直して声を掛ける。
「どこへ行く?」
「ジェフリスに戻るのよ」
「俺を連れて行け」
 当然のように告げるシャルゼに、間髪入れずに言葉を被せる。フリードの驚く声を手で制止した。内なる声も「相手は軍人だぞ」と警戒するが、同時に「これは好都合だ」とも叫んでいた。将軍が乗る船ならジェフリスの哨戒船に止められないだろう。この船ならば、嵐を越えることにも希望が持てる。また、ここでフリードと別れておけば、彼の安全は保障される。
 問題は、ジェフリス側の警戒に対してダルスが無防備になる点だ。身の安全をライデンに一任することになる。彼が裏切れば、ダルスは即連行される。シャルゼとライデンの間柄は、ダルスにはまったく検討がつかない。彼は信用できる人物だろうか。
 シャルゼは少しの間をあけてからライデンを見た。声が良く聞こえるように、船を更に接近させる。
「私の目的はイリアのみですけど、どうします? 下手をすれば貴方は海賊と密通していたとして、罪に問われるかもしれませんけど」
「貴方も同じでしょうに」
 ライデンは眉尻を下げて、困ったように笑う。そうしてからダルスを見た。まるで値踏みするかのような視線だ。
「俺はセヴィラルの奴から逃れられれば大満足なんだ。身元不明な遭難者をジェフリスに送り届けることくらい、北王の裏切りにもならないでしょう」
 ライデンは直ぐに命令を出した。彼の船からフリードの船へと板が渡される。船は併走したままだったので板はガタガタと跳ね上がったが、ダルスは一足飛びに、シャルゼの船へと乗り移った。
 フリードが不安そうな声を上げる。
「ここまで助かった。この恩はいつか必ず返そう」
「俺たちはこのまま障壁を回り込みながら進む! 本当にいいのかっ?」
 フリードの瞳には、言葉にされないものも含まれていた。真剣に案じる声に、ダルスはゆっくりと頷く。元海賊の彼だからこそ懸念は強い。
「充分、気をつけるさ」
 踵を返すとシャルゼの瞳とぶつかった。
「能力はどうしたのかしら? いつもの貴方なら、風を使って渡ってきそうなものなのに」
 ダルスは唇を歪ませて笑う。視線をライデンに投げやった。
「好奇心の塊に、わざわざ手の内を見せなくてもいいだろう」
 ライデンは面食らった顔をしたが、図星だったのか唇を尖らせた。シャルゼは納得したようなしていないような顔となる。それ以上の追及はしない。
 ダルスは改めて船内を観察した。
 広い甲板の上に帆柱が三本。帆の角度を調整するのが容易そうだ。広い船首楼と船尾楼にも砲台が設けられている。
「航海に関わっている船員はほぼジェフリスの方々だよ。学ばせて貰っているのだけど、まだまだ追いつかなくてね」
 ライデンが片手で合図を送る。掌帆長の指示のもと、帆が風をはらんだ。シャルゼの助力も受けて、再び船はゆっくりと速度を増す。フリードの船を追い越す。
「イリアは無事なんでしょうね」
「シャルバイラル港で別れた。あいつはヴェラークに保護されてる。今頃はジェフリスに着いた頃じゃないのか」
 冷たく突き放すように答えた。それでもシャルゼは安堵するように胸に手を当てて息を吐き出す。破天荒な性格の彼女だが、可愛らしい一面もあるのだと妙に思う。不意にレナードを思い出し、ダルスは表情を改めた。
 船の先端が障壁の中へ分け進む。途端、突風が船を襲う。
 ダルスは一瞬、誰かの声を聞いた気がして顔を上げた。しかし誰もダルスを見ていない。風の音が人の声に聞こえたようだ。船は完全に障壁の向こう側へと入り込む。
 そこは周囲の色さえ変わっていた。向きの定まらない風が絶えず暴れている。大粒の雨が強く甲板を叩く。濃霧のせいで見通しも悪い。暴風の洗礼を受けた船員たちが悲鳴を上げる。メインマストに登っていた男が縮帆の指示を出す。
「おい。根っからの船乗りは何人だ」
「航海長と掌帆長、主計長。その下で操帆できる人間が5人程度だよ」
 ライデンが指を折りたたみながら数を上げる。嵐の中、掌帆長たちの声が飛び交うのを聞く。ダルスは帆柱を見上げながら舌打ちした。
「ならお前は下に潜ってな。邪魔だ」
 雨に顔を濡らしながら、ダルスはライデンの背中を突き飛ばす。
「舵は俺が握ってやろう」
「そこは船長の役目じゃないのか?」
「馬鹿が。俺は心中するために乗ったわけじゃない。操船指示も出せねぇ陸もんは引っ込んでろ」
 船長、と自分を指して不服そうな顔のライデンは反論しようとしたらしいが、船が荒波に大きく傾いたことで口を閉じた。肩をすくめる。
「仕方ないな。確かに俺の本分は船乗りじゃない。ここは貴方に任せよう」
 ライデンは舵がダルスに移ることを大声で甲板中に知らせる。大きく弾けた波が甲板を濡らした。
「ある程度は私が風を支えてあげましょうか?」
 主帆の取っ掛かりをつかみ、体を支えていたシャルゼは挑戦的にダルスを見た。ダルスは無言のままシャルゼを睨む。数秒の沈黙後、シャルゼは笑う。
「ま、貴方の方が正確なんでしょうね。私もライデン将軍と下へ行っているわ」
 そう言って、二人は船内へ入っていく。
 ダルスは船尾を振り返り、もうフリードの船が見えないことを確認する。そして風に意識を集中させてみた。しかし慣れた手ごたえはなく、能力はまだ戻らないことが分かっただけだった。これだけ風が強ければ彼らの意識をつかむことも容易いはずだが、一向に自由にならない。風はあざ笑うかのようにダルスの髪をなぶって、過ぎ去った。
 船尾の舵を握っていた男に代わり、ダルスが舵を握る。男に操帆の指示を出して船首を見た。風向きが安定していないため、読みが難しい。シャルゼの言う通り、一定方向に定めてしまえば楽なのだが、その力が今はない。
 顔が勝手に笑うのが分かり、ダルスは片頬を手で叩いた。自力だけの操舵は久しぶりだ。斬られた肩が疼く。
 そっと息を潜め、舵を握る手に力を込めた。

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