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ホルモン

「お父様。男性ホルモンってどうしたら増えますか?」
「………………は?」
 長い沈黙の末の反応は、意味のある言葉ですらなかった。
 ヴェラークは食事の手を止めたまま、また突拍子もないことを言い出した娘を見つめる。イリアは皿上の肉を切り分けることに奮闘していて父を見向きもしない。
 ヴェラークは躊躇うように視線をさまよわせた。
「あー、その、イリア。なぜまた、そのような?」
 思春期である娘を気遣うように言葉を選ぶヴェラークだが、イリアに対してそんな気遣いは無用だった。
「帆を張ろうとしたのに上手くいかなかったの。縄が硬くて、結び目を解くこともできなかったわ。でも私より年下の男の子は、それを易々と解いて張るの。悔しいったらないわ。きっと彼が、私以上の男ホルモンを持っているからよ」
 ヴェラークは無言のままイリアを見つめる。男以上に男性ホルモンが多い女性など聞いたことがない。理由を男性ホルモンと結びつける人物もなかなかおるまい。ヴェラークは自分が食事をしていることも忘れてイリアを見つめる。
「私に彼以上の男性ホルモンがあれば負けないわ。筋肉だって簡単につくはずだし、背だってグンと伸びると思うの」
 毎朝毎晩、体力づくりのために運動していたイリアは悔しそうに唇を噛んだ。しかしイリアの外見はほとんど変化がない。特別に力がついたような気配もない。
「しかしイリア。お前はそのままで良いと思うぞ。いくら海軍に入ったからって、力を期待されることは稀だ。女は後方支援に配属されるのが常であるし、最前線には歴戦の男たちが」
「それでは駄目よ!」
 イリアは鋭く遮った。驚くヴェラークを睨むように見つめ、湧き上がる闘争心を示すようにイリアは拳を握り締める。
「通常の戦闘ならそれでも構わないわ。でも、あのダルスと遭遇した時には……」
 ヴェラークの目の色が変わった。
 他ならぬ自分の屋敷で、ダルスに襲われているイリアを見つけたのは最近である。その時の衝撃は今でも深く、ヴェラークの胸に刻まれている。
「ダルスに打ち勝つだけの男性ホルモンが欲しいの!」
「そうか!」
 強く吐き出したイリアに、ヴェラークもまた同じだけの強さで返した。
 イリアはそこまで思いつめていたのか、となぜかヴェラークは涙ぐむ。遂げさせてやるのは親の務め、娘の願いを叶える手助けをしなくて何の親か! という熱い炎を胸中でたぎらせながらヴェラークは立ち上がった。その勢いに椅子が転がったが気にしない。
「分かったイリア。料理人に頼んで、明日からお前の食事はもっと精のつく物に変えさせよう。安心して男性ホルモンを増やせ!」
「ありがとうお父様!」
 親子の心はそうして通じ合ったけれど、二人は根本的にずれている。
 周囲で見守っていた執事や使用人などは、笑いを堪えることに必死だった。

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