二周年記念企画小説 02

 エクタとの小遣い稼ぎによる商談を終え、本来の仕事も済ませたバルメダは、日が沈む頃に屋敷へと帰宅した。途中まで一緒だったエクタは既にいなく、先に帰っているだろう。バルメダが立つ表舞台に魔法の力は必要ないのだ。
「お帰りなさいませ」
「ああ」
 供もつけずに歩いて帰って来た主人を、屋敷の者が出迎える。
 丁度玄関付近にいた使用人たちが居住まいを正して腰を折った。それらに尊大な態度で頷きを返しながら外套を投げ渡す。フィランが屋敷に入る以前なら、ここで適当に見目の良い新入りなんかとの会話を楽しんでみたりするのだが。今ではそんな事、恐ろしくて出来やしない。
 以前、処分し忘れていた女の写真が出てきただけで「実家に帰らせていただきます」発言をしたフィランの事だ。些細な嫉妬ならまだいいが、修復不可能となって失われてしまう事が恐ろしい。少しでもそのような現実に至る道は封じておかなければ。
 女の機嫌を気にするなど自分も変わったよな、と思いながらバルメダは廊下を進んだ。途中執事に食事を案内されたが、フィランもまだ食べていないと聞いて断った。あとで一緒に食べれば彼らの手間も省けるだろう。
 まさかまたフィランは塔なのかと、苦々しく舌打ちしながらそちらへ向かう。最初はエクタ専用に与えられた研究塔。元々は先々代の仕事関係で使われていたらしいが、当主が移ってからはほぼ放置されていた塔。ただ掃除させているだけでは勿体無いので、どうにかしようと思っていたのだから丁度いいのだが。いつの間にか居候が一人増えている。
 塔は屋敷から離れているので、そこへ行くには外へと出なければいけない。外套を脱いでくるのではなかったなと眉を寄せながら外への扉を開き、眼前に聳える巨大な塔へ視線を向けた。闇の中佇むそれは崩れてきそうなほど古く、エクタがいなければとうにそうなっていただろうと窺わせる。今この塔が建っていられるのはエクタが補強の魔法をかけているからだ。
 けれど、既にダメージを負っているこの塔に新入りが毎日のように更なるダメージを与えていれば――バルメダは忌々しく舌打ちした。
「あと一週間の辛抱だ」
 そんな事を言い聞かせながら塔の扉を開けた。
 螺旋階段を登り、途中設けられている幾つかの部屋を通り過ぎて頂上に位置する大部屋を目指す。
 周囲の明るさの度合いで自動的に灯が灯るようになっているランプにより、バルメダが歩くのには支障ない。これは驚いた事にカリアの功績で、そういう魔法薬の種類を編み出したのだとか。
 エクタはどこでも好き勝手に魔法の座標固定で跳んでいけるので、そういう普通の人間に対する普通の配慮が足りないのだ。彼ならこんなランプの発明も簡単だったはずなのに。
 少しだけ面白くない気分になりながら、バルメダは目的の扉に手を掛けた。
「あ、カリ――なんだバルメダ?」
 振り返ったのはフィランだけで、肝心の家主たちがいないようだ。振り返ったフィランがこちらを認めて明らかに不機嫌な声となり、バルメダもその声に眉を寄せた。
「ここには近づくなと言っておいただろう」
「聞いたけどそれを受け入れるとは言ってないわ」
 唇を尖らせ、つんと顎をそらせるように顔を背ける。それが面白くなくてバルメダは更に顔を顰めた。
「もしお披露目で満足のいく結果が得られなかったら出て行くように言ったんですって?」
 フィランは両手を腰に当てて睨んでくる。
 一体誰がフィランの耳に入れたのだろう。忌々しいがいつまでも隠して置ける事ではなく、舌打ちしつつ肯定した。いつまでも赤字にばかり貢献する者を屋敷に置いておけば、いつか自分の首も危うくなるのだから仕方の無いことなのだ。
 エクタを屋敷に置いておくのだって、周囲には道楽としか思われていないだろうがシッカリと黒字計算に貢献しているからだ。もしこれでエクタがカリアのように赤字貢献を果たすのだったら、例えそれが昔からの馴染みの奴でも容赦なく叩き出すだろう。
 バルメダは溜息をついて手を振り、フィランに近寄り手を取った。一瞬怯む様子を見せた彼女だったが、そのまま塔から連れ出されようとしている事に気付いて抵抗する。
 細い腕と柔らかな手で、けれど結構な力で頬を殴られた。
「カリアを追い出したりしたら一生貴方を恨むわよ、バルメダ!」
「使えない奴は必要ないし、お前に危険が及ぶようなことを容認するつもりもない」
「だからカリアを追い出すって言うのっ? 一度面倒見たなら最後まで責任取りなさいよねっ!」
 殴られてもダメージはさほどではない。再びフィランを掴まえ塔から出そうと、ズルズル引き摺ると焦ったのか。フィランの声は徐々に激昂して行き息遣いも荒くなる。これはかなり頭にきているなと、バルメダもまた不機嫌なまま振り返った。
 大体カリアの面倒を見た覚えなど一度も無い。フィランとの結婚が終わり、使用人たちに休暇を出してしばらく新婚を楽しもうかと思っていた所にエクタが勝手に連れてきたのではないか。バタバタとしていたからおざなりな返事だけでカリアの滞在を許したのが間違いだった。いや、最初の顔見せの時に見せ付けられた彼女の危険性をもっと考えるべきだったのだ。あれは今思い出しただけでもやり直したい出来事だ。
「もしカリアを追い出したりしたら、私はカリアを連れて実家に戻るからね!」
 それまでの苛立ちが随分と溜まっていたのだろうか。バルメダはそれを聞いた途端、何かがブツリと自分の中で切れた気がして表情を消した。
 そのまま扉前で立ち止まり、敏感に何かを察して心持ち肩を竦めて見上げてくるフィランを振り返る。
「な、何よ……?」
 それでも挑みかけるフィランの瞳は真っ直ぐで綺麗だ。初めて会ったのはエクタにより男へと変えられた姿だったなと思い出しつつ彼女の肩を掴んだ。顔を近づけると視線が間近でぶつかり、フィランの頬が赤に染まる。
 ――今更、フィランがいない生活は考えられない。
「出て行くならお前の腹に入ってる俺の子供は置いていけな」
「な……っ」
「お前が嫁いできた以上その腹に入っている子供はこちらの家の跡継ぎだ。フィランが出て行くのは勝手だが、子供を持っていかれるのは困る」
 真顔で告げるとフィランは絶句したようだった。先程まで赤みを帯びていた頬も色を失くし、瞬きすら忘れたように見開かれる瞳。
「出来ないだろう?」
 そんな事を囁いて、わなないた唇を親指でなぞり口付けた。
「最低よ貴方……っ!」
「フィランのせいで俺まで夕飯に食いっぱぐれそうだ」
「何よ?」
「飢えを満たすのも妻の役目だ」
 腰を抱き寄せてそう囁き、先程まで白かった顔が瞬時に赤く染まる。今度は憤怒によるものだろう。
 首筋まで真っ赤に染め、そして怒りのあまりに再び言葉を失うフィランを床に押し倒した。
「他の女に目移りするなと言ったのはお前だろう? 責任はとってもらわないと」
 先程フィランが口にした『責任』という言葉をわざと使ってみれば睨みつける鋭い視線が投げられて、バルメダは軽く笑いを響かせた。
 バルメダとフィラン以外には誰もいない研究塔の大部屋。フィランの抵抗は無人の部屋に溶けて消えた。

 

* * *

 

「ちょっとエクタ、顔を貸しなさい」
 さて、バルメダの合格基準点に達し失敗の可能性が最も少なく、且つカリアに合った魔法はどんなものがいいかなと、頭を悩ませていた時だった。
 エクタは酷く荒んだ低い声に、眉を寄せながら顔を上げる。共にいたカリアも驚いたように顔をあげ、入ってきたフィランに戸惑った。
「どうしたんだフィラン、いつもと様子が」
「カリアはちょっと黙ってなさい」
 心配して駆け寄ろうとしたカリアを硬い声音で制してしまう彼女に、思わずエクタは苦笑を送った。今までフィランに拒絶などされた事が無かったカリアは少々強張った顔でその場に佇む。
「――おはようフィラン婦人。昨夜は良く眠れた?」
「ええ、ええっ、とっても良く眠れましてよ、この確信犯っ」
 真っ赤な顔で怒鳴りつけるフィランに思わず笑った。
「ここは僕の研究塔だよ、知られたくなかったら事前にそう言っておいてよ。そうしたら僕だって知らずに済んだのに。好きで覗き見したんじゃないよ?」
「貴方って人は……っ!」
 フィランの顔は怒りのためか羞恥の為か、真っ赤に染まりきって湯気でも出そうな勢いだ。細かに拳を震わせているのを見ると、かなりな力が込められているのだろう。
 そんなフィランの様子を見ながらエクタはもう一度微笑んだ。
 カリアが足りなくなった魔法薬の材料を外へ買出しに出た時の事だ。
 途中で合流したエクタはついでに魔法薬も買い足しておこうと、カリアと様々店を巡り歩いた。
 結構な時間をかけたためにバルメダももう屋敷に戻っているかなと思い、そして塔内部にいた彼らの存在に気付いたのだ。
 そんな塔にカリアを連れて戻るわけにもいかない。不審がるカリアを説得して屋敷に戻すのは結構な骨を折った。
 本当なら昨夜もカリアのお披露目で発表する魔法を研究する予定だったのに、場所を考えないバルメダのせいで遅れたのだ。文句を言いたいのはこちらである。
「それで、まだ懲りずにこの塔に足を運ぶってわけ? 僕には君の考えてる事がサッパリ分からないよ」
 昨夜からの微かな苛立ちも込めて、嘲るように首を振って見せればフィランの眉がピクリと震える。けれどそれだけで、突っかかって来ようとはしないようだ。第三者から見ても明らかに自分を鎮めるように、フィランは深呼吸を三回繰り返して当初の目的を思い出していた。
 見守るエクタとカリアの視線の中、フィランは落ち着いたのか無理に落ち着かせたのか、拳をグッと握りしめてエクタの側へと近寄ってきた。もしかして殴られるのかなと、危機感がないままそう思ったエクタは意外な言葉に瞳を見開く。
 それはつまり。
「私を男にしなさい、エクタ」
 一瞬遅れて、大人しく見守っていたカリアの大声が響き渡った。

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