二周年記念企画小説 03

 私を男にしなさいと強い口調で命じられて。大仰に驚くカリアの大声を聞き流しながら、エクタは呆れと共に溜息をついた。慌てふためき大事な研究材料などを落としかねないカリアをフィランが宥める。けれど居候魔法使いを落ち着かせるその瞳は常に無い険しいもので、彼女の本気さが伝わってくる。
 どうして今更そんな事を思いついたのか。どうせバルメダが関係しているんだろうけど。
「あいつ、私が実家に帰るって言ったら『勝手に帰ればいいが子供は置いていけ』なんて言ったのよっ? まだ生まれても無いのにそんな事できる訳ないじゃないっ、もし生まれててもバルメダなんかに任せておけないわ、冗談じゃないっ!」
 フィランは地団駄踏み付け肩を怒らせる。今更ながら豊かな表情だなと気付いてしまう。
 彼女の言葉にエクタは軽く肩を竦めて「ふーん」と呟くだけ。確かにバルメダの言葉は女性にとって気持ちのいいものでは無いだろう。フィランの話を聞いただけでは女の事を、子どもを産む道具にしか見ていないようにも感じられる。けれども。
 長い付き合いからバルメダの性格を熟知していたエクタは溜息をついた。軽い呆れを含む溜息だ。
 彼に雇われている身としてここは、主人を弁護するのが当然だろうがそこはそれ。こちらも長い付き合いだ。――面倒くさい。
 フィランがバルメダに対する評価を地の底まで下げようが捻り切ろうが抹消しようが、そのどれもがこれからの自分とバルメダの関係を変化させるものでも無いであろうし。
 そのままにしておこう、とフィランの訴えを聞き流し本来の悩みに戻ろうとしたエクタは、視界に入ったカリアの様子に思わず視線を留めた。
「そんな事を言ったのか?」
「ええ、言われたわ。本当にもう……頭にくる!」
 眉を寄せて険しい顔をするカリアに、フィランは盛大に頷いた。エクタが無反応だった為、反応を返してくれたカリアに飛びついた。
 ――同じ女ならカリアが顔を顰めるのも当然か。
「だが――」
 手を軽く握って口元に当て、何かを考え込む素振りを見せたカリアは逆接を呟いた。同意を得られるとばかり思っていたフィランの瞳が軽く瞠られ、それはエクタも同じこと。二人の視線を受け止めながらカリアはユックリと、考えながら顔を上げる。
「バルメダは『子どもを置いていけ』と言っただけで、『出て行け』とは言ってないんだろう? そう考えれば、フィランに出て行って欲しくないからそんな言葉になったんじゃないのか?」
 バルメダも素直な性格ではないから、そんな形となって。
 正確にバルメダの胸中を推測したであろうカリアに、エクタは微かな安堵を覚えた。
 それまで近隣に鳴り響くほど女癖が悪いと評判だったバルメダが、フィランと結婚してから一度も女遊びをしていないのだから想像には難くない。以前から屋敷に勤めていた者なら誰もが分かっていることだ。けれどバルメダを以前から知らないカリアがそういう感じ方をしてくれるのが少々嬉しかった。
 意味も無く暴言を吐くような男ではないよ、僕の主人は。
 従者である事の誇りだろうか。そんなものは持ち合わせていないと思っていたのだが、彼を良く見ている者がいると知って嬉しい。
 そんなわけで、バルメダがフィランを手放す気など全くないのだ。分かっていないのは本人であるフィランだけ。
「愛されてるんだな、フィラン」
「え、ええ……」
 可愛らしい笑顔を向けられてしまえばフィランも赤くなる。
 そんな二人のやり取りに小さく笑い、エクタは魔法薬が貯蔵してある棚へと行こうとした。カリアに任せておけばフィランも理解して納得し、落ち着くだろうと。自分にその役目が回って来ないように、有り体に言えば『逃げてしまおう』なのだが。
 そうして背を向けたエクタの耳に、今度は先程フィランの爆弾発言を上回るような威力を持った爆弾が投下されたのだ。
「しかし愛のある憎まれ口とは言っても、流石にそれは酷いな……」
 唸ったカリアは唇を尖らせ。
「よし、私がフィランを男にしてやろう」
「本当っ?」
 思わずエクタが振り返ったその先で、女二人による密かな企みが完結されようとしていた。
 ――やっぱり、僕はバルメダを恨もうかな。
 これ以上頭を悩ませる種を作らないでくれと――エクタはその全ての原因である主人を、脳裏に掠めるのだった。

 

* * *

 

「任せろ、フィランにはいつも世話になっているんだ。これくらいの恩返しはさせてもらうさ」
 ドンと胸を叩くカリアには素直な頼もしさを覚えたが、エクタは溜息をついた。期待と不安が半々混ざり合った表情でフィランがカリアを見つめるのにも頭が痛い。
「――カリア、恋とか愛とか、人に関わって馬鹿を見るのは貴方なんだよ。そういうのは本人たちでどうにかすればいいんだ。なんでカリアがわざわざ首を突っ込むの」
「何を言ってるんだ。バルメダとフィランが不仲になって別れるような事になったら、きっと私たちは今までどおりの生活は出来ないんだぞ。私は間違いなくここを追い出されるし、エクタとだって会えなくなるかもしれない。それは困るんだ」
 少々唇を尖らせて、訴えるカリアにエクタは軽く目を瞠らせた。
「私にとっても他人事じゃないだろう? こういう事は小さな芽のうちにどうにかさせておくに限るんだ」
 正直――エクタは意外だった。
 カリアが恋愛に関わることに積極的な面を見せる事も、そのように自信たっぷりで胸を張る事も。
 エクタが何と言おうか言い淀んでいると、その沈黙をどう解釈したのかカリアは笑ってフィランに向き直った。カリアの手が今しも魔法を操ろうとするのを見て取って、エクタが慌ててそれを止める。
 エクタと同じくらいの体格であったカリアだが、どちらかと言えばエクタよりカリアの方が肉体派だ。カリアの手を掴んだはいいが、エクタは彼女の勢いに引き摺られてややバランスを崩した。
「何をするんだエクタ、魔法の発動時は危ないから気をつけろって言っていたのに」
「いや、何をって」
「どきなさいよエクタ。貴方に止める権利はないわ」
 取り合えず止めなければと思って止めてみたが、女性二人から不満げな声を掛けられて顔を顰める。バルメダを呼びに行けば早いのだろうが、この二人を残して彼を呼びに行くのは躊躇われた。
 カリアとフィランは『待つ』よりも『行動』することを選ぶ。エクタがバルメダを呼びに行くほんの僅かな時間さえ待つ事はしないだろう。
 何とかしなければと頭をフル回転させるが、いい案は浮かばない。なぜ僕がこんな事をしなければいけないのかと、バルメダに対する文句にばかり考えが行ってしまう。
「あー、あーのね、カリア」
「なんだ?」
 間を持たせようと声を発するのだが言葉が出てこない。今更ながら自分の口下手ぶりに歯噛みし、それでも何とか言葉を模索して。
「カリアはフィラン婦人にどんな魔法をかけるつもりなの?」
「それは勿論、フィランの肉体を男の物へと変化させるような魔法を――」
「でもね、カリア。フィラン婦人は今子どもを身篭っているんだよ。普通の状態なら問題はないかもしれないけど、今の状態でそんな魔法をかけたら子どもはどうなるの?」
 間を持たせる為に出てきた質問だったが、中々いい質問だったかもしれない。
 カリアは「あ」と双眸を見開かせてエクタを見た。案の定、フィランも顔を顰めてエクタを見つめる。
「そういうのも魔法で何とかなるものなんじゃないの?」
「魔法は便利で何でも出来ると思われてるけど実際は違う。魔法にだって限界はあるよ。勿論出来る人はいるだろうけど、僕たちにはそこまでの力はない。出来る人を捜すにしても随分と長い時間が必要だろうね。子どもっていう不安定要素が含まれたりなんかしたら難易度は物凄く跳ね上がると思うし、危険を承知で引き受けてくれる人なんて稀だと思うよ」
 突き放すように告げるとフィランは口を尖らせ、カリアも真剣な表情で黙ってしまう。床に視線を落とし、カリアの瞳は少しだけ悔しそうだ。
「――カリアの魔力制御が上手くいくなら、そんな超応用魔法も可能になるかもしれないけどね」
「え……?」
 驚いたように顔を上げるカリアにエクタは微笑んでみせて、その肩を軽く叩いた。
「制御方法さえ覚えてしまえば、きっと僕でも敵わないくらいの強さに成長するんじゃないかな。僕はそれが楽しみなんだ。だから、カリアをここで追放させるわけにはいかないし、その為には一週間後のお披露目を」
「エクタ、ありがとう!」
「……え?」
 上手い具合にフィランの事をうやむやにさせ、お披露目に向けてカリアを戻そうとしたのだが。
 大声で嬉しそうに笑みを浮かべられ、エクタは目を丸くした。どこで間違ったのだろう。
 きょとんとするエクタに礼を言ったあと、カリアはフィランの手を掴んで窓際へと寄ってしまった。一体何が始まるのか、エクタもフィランも呆気にとられたようにカリアを見つめる。
「お腹の子どもに負担は掛けないでフィランを男にする」
「カリア、今の君じゃあそれは――」
「大丈夫なんだ、エクタ」
 失敗する事など微塵も浮かばせていないカリアは無邪気な笑みを浮かべてフィランの両手を取った。
 カリアの体から魔力の気配が滲んだ事に気付いてエクタは声を上げるが、カリアは元気に笑った。一体どこからそのような自信が浮かんでくるのだろう。
 エクタは目を白黒とさせ、フィランは何が始まるのか少々不安げな様子でカリアを見つめる。
 カリアの事は信用しているが、彼女が失敗を重ねてきたことも事実であり、まだ生まれてきていない我が子を危険に巻き込みたくは無い、という想いが渦巻いているのだろう。
 エクタの言葉を遮ったカリアはフィランの両手を握る力を強くし、少しだけ魔法の言葉を口にした。初級の魔道師が成功率を高める為、周囲に散々する魔力の力を借りる、という言葉だ。殆ど気休め程度にしかならないと言われていても、カリアは毎回それを口にしていた。
 そして再びエクタに顔を向けて、笑顔を作る。
「私も女なんだ、エクタ」
 それがどういう意味を持つのか分からず、エクタは寄せていた眉を更に寄せた。問い返す前にカリアは魔法を発動させ、その奔流を止められなかったエクタは舌打ちした。
 ここまでされてしまえば、エクタにはその魔法が暴走しないように定める事しか出来ない。
 子どもに細心の注意を向けて害が及ばないようにする。
 そしてエクタは、フィランの肉体に宿っている筈の命が徐々に移動していく事をおぼろげに理解した。
 カリアの魔法によって男へと変えられるフィランの肉体に、まだ胎児であるその子どもは宿しておけなくなるのだ。ならどこへ行こうとするのか。
「……カリア?」
 一つの答えに行き当たり、そう声を上げた刹那。部屋にはカリアから発せられた魔法による白い光が満ち、その眩しさにエクタは瞳を硬く閉じた。
 一瞬にも満たない閃光だったが、何故か瞳を開けたくない気がしてエクタは殊更ユックリと瞼を持ち上げる。
 窓へと寄った人物の影が二つ。強い閃光の後なので輪郭が滲んで見えて、エクタは何度か瞬きを繰り返す。
「よし、成功したぞ、フィラン。子どもも無事だ!」
「まあ――」
 嬉しそうなカリアの声と、絶句したようなフィランの声。
 瞳を開けたエクタは、先程の予想が現実になった事を知って何も言えなかった。
「凄いわカリア、流石私の魔法使いね!」
「あ、待て待て抱きつくのは駄目なんだ。今の私はフィランの子どもを宿しているからな。少しでも危険な事はしないようにするよ」
「そうね――ふふ、なんだか変な感じだわ」
「僕にはそんな言葉で済ませられるフィラン婦人の方が変な感じなんだけどな」
 今の一瞬で随分と体力を消耗してしまったらしい。
 エクタは脱力するのを感じながら、近くの机に手をついてうな垂れた。
「もう八ヶ月だっていうのにそんなに腹は目立たないんだな。でもフィランの代わりにしっかり守るからな」
「……カリア……」
 君は何て事をしてしまったんだ。
 エクタはもう言葉を発する元気もなく、フィランを男性へと変えてその子どもを自分の腹へと移動させたカリアを疲れたように眺めていた。

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