二周年記念企画小説 07

 空が煌々と燃えている。火の手が上がり、新月の夜だというのに激しく立ち昇る煙までも克明に見てとれた。
 見る者全員の心に不吉を落とす、死の使者だ。
「火事……」
「火事?」
「火事だ」
 人々の口から呟きのように漏れていく言葉。しばらく状況が飲み込めていなかった彼らは、自分ではない誰かの呟きを耳にして声を大きくしていく。確信を深めていく。現実なのだと刻み込んでく。
 火災が発生すれば、飛び火して広がらぬように周囲の家を打ち壊し、自然に鎮火するまで待たねばならない。
 ――自分たちが育ててきた形が、全て攫われようとしている。
 ようやく意識がそこまで辿り着き、人々が浮き足立つ頃。
 流石に誰よりも騒ぎには順応しているバルメダの対応は素早かった。
 エクタに様子を見てくるように派遣させ、風向きを読んで避難場所を決める。屋敷へ走る途中でそれを補佐長へ告げ、自分は治安所へと連絡を取った。
 その途中、フィランがお腹を庇うようにしながら走り寄って来る。カリアによって男に変えられたその姿を街の皆に見せるわけにはいかなかった為、屋敷での待機を命じていたのだが。
「火はここにまで来るかもしれない。お前は先に女たちと一緒に避難していろ」
「嫌です」
 切羽詰ったように強く言い捨てたバルメダはそのまま走り出そうとしたが、止まった。驚いて振り返る。
「私はこの屋敷を離れません」
 何を言うのか。普段とは全く違う言葉遣いにバルメダの焦燥は更に煽られ、静かなフィランの顔をまじまじと見る。
「夫が外に出るなら屋敷を守るのは妻の役目でしょう?」
 何かを怒鳴ろうとしたバルメダは再び勢いを殺がれ、奇妙な顔でフィランを見る。
 フィランはその視線を外し、自分の腹へと下ろし、そこへと手を当てた。守るように、愛しむように。そして微かに笑ってバルメダを見る。
「私は貴方の妻ですから」
 そう告げた後は元気良く、いつも通りに笑った。
「私だってバルメダと一緒に最後まで戦うわ。守るために最善を尽くすんだから」
 無防備とも言えるその笑顔に、バルメダは嬉しいような苛立つような奇妙な感情を覚えたが、結局言葉にはならなかった。
「子どもは戻ったのか」
「ええ。バルメダよりも、エクタよりも早く、カリアは先に向かったわ。しっかり私に子どもを戻してね。あれが私に出来る最善の道。それが失敗したら、潔く逃げる事にするわ。この子を守らないとね」
 強く言い切るフィランにバルメダは大きく笑い、フィランを強く抱え上げた。嬉しそうに腹へと耳を押し当て、純粋に喜びを見せるバルメダにフィランも笑う。
 外ではそれどころではない騒ぎが起こっているのだが、ここだけは別世界のようだった。
「カリアは勿論合格よね?」
「――さっきの魔法は見事なものだったしな」
「違うわよ。カリアの力はそんなものじゃないわ」
 フィランを床に下ろし、バルメダは不思議そうな顔をする。そんな彼にフィランは勝ち誇ったような笑みを見せた。
「私、どうしていつもカリアが失敗ばかりするのか分かったわ」
 断言までする。
「カリアはね、優しい子だから。余計な事にばかり気を回しすぎて両手が塞がっているの。でも追い詰められて切羽詰ったら凄いわよ。両手に抱える物が一つになったら絶対に失敗しないのよ。私に子どもを返す時だって、あんなに悩んでいた魔法をアッサリと解決していたもの。本番に強いタイプね。その時のカリアの顔がね、格好よくって。思わず惚れちゃうかと思ったわ」
 最後の台詞と共に頬を染めて。バルメダの視線が突き刺さった。
「見てなさいよ。カリアは今回、見事に期待に応えてみせるわよ」
 言い切ったフィランを、バルメダは物凄く苦々しい表情を浮かべて見つめた。

 

* * *

 

 ひとまず人為的な炎ではない、とエクタは安堵した。
 人々が屋敷に押しかけ、家を留守にしていた為に何かの拍子で発火したのだろう。けれど火の勢いは強く、その手を大きく広げようとしている。
 雨を呼ぼうと試みたが、それだけで鎮火には程遠いだろう。
 大規模な魔法を使う必要があるのだが、一人では追いつかない。補助が必要だった。
「カリアに頼もうかな……」
 目の前で踊る炎に顔を照らされ、熱さに眉を寄せながら呟く。
 これは本当に一度、戻ってカリアと合流し手伝って貰わなければいけないなと思った所。エクタは視界端に映った影に目を瞠った。
 目の前にカリアがいた。
 強い炎を前にして、金髪は鮮やかに染め上げられている。熱気に汗を浮かべ、焼け付く空気に瞳を細めて。カリアは火の勢いを封じようと結界を張り巡らせていた。
 思わず「何で?」と声が漏れた。
 轟音を巻き上げる炎が直ぐ傍にある中で、その声が彼女に届く事は決してない。その筈だったのにカリアは振り返った。
 そして驚く事も笑うこともなく、その場で魔法の持続に力を注ぎながら「頼む!」と叫んだ。声に促されて走り寄る。
 魔法使いであるのに、いつも動きやすい服装を心がけていたカリアは先程までふくよかな妊婦だった筈だ。それが今はどうだろう。短髪を煌かせながらエクタを呼ぶ彼女は、再び小柄で華奢な姿に逆戻りしていた。それどころか――男の姿だった。
「悪いが、これを継いでいてくれないか!?」
「え、うん……?」
 勢いに押されるまま、エクタはカリアの魔法を引き継いだ。癖のある使い手同士なら命の危険すらある引継ぎのはずなのだが、カリアはバトンを渡すように軽く、エクタの手を叩いてそれを完了させた。
 幾らカリア自身に癖がないとは言え、流石にその所作にエクタは唖然とする。凄い、と目を瞠るよりも呆れてしまう。
 カリアの顔に張り詰めた緊張はあるが、いつもの弱気は欠片も無かった。
「エクタ、カリア!」
 背後からはバルメダの声。カリアから継いだ魔法を自分のものへと馴染ませながら、エクタはそちらを振り返った。
「鎮火できそうか?」
「……難しいよね。今夜は風があるし、完全密閉空間を作るにはちょっと範囲が広すぎる。カリアと一緒でも、難しいかな。こんな大規模に発展するまで誰も気付かなかったとは、恐れ入るよ」
 バルメダの背後からは治安部隊が駆けつけてくるのが見えた。
 更にその後ろからは、戦力になりそうな、町で力自慢の男たちが続いて来ている。
 やはり雨を降らせた方が確実だろうか。
 こちらで地上に水路を引き、彼らに手伝ってもらって水をかけるのだ。
 一人では大仕事だが今はカリアがいるし、何とかなるだろう。
 エクタはそう結論付けて視線をバルメダに戻した。魔法を使い続けている為に少々疲労を感じてしまう。
「バルメダ、カリアと一緒に水路を引くから皆を下がらせて。今結界を解いてしまうから」
 折角カリアから引き継いだ結界だったが、そう決めて。だが解こうとした腕をカリアが掴んだ。
「カリア?」
「駄目だ。さっきから試算してみていたが、やはり一番確実で手っ取り早いのは結界で供給源を断つことだ」
「けどね、カリア。僕達二人だけではどうにもならないし、一刻を争うんだ」
「大丈夫だ」
 カリアは神妙に頷くと「少し待っていろ」と言い置き、軽く踵で地面を蹴る。そしてそのまま、カリアの姿は空間の中へと掻き消えてしまった。
「……嘘だろ」
 思わず、言葉が転がった。
 きっと隣のバルメダも同じように目を丸くしているに違いない。
 普段はあれほど失敗ばかりして悩んでいたというのに、今との落差は何なのだ。切迫したこの場面でカリアはまだ一度も魔法による暴走も失敗もしていない。それどころか、エクタを凌ぐほどの力を見せ付けるのだ。
 彼女の外見が男に変わった為か、カリアにそっくりな双子なのではないかとも疑ってしまう。
 常識外れにもほどがある。王宮がカリアを除名しないわけが強く分かった気がした。
 バルメダとエクタと、言葉もなく唖然としていると直ぐにカリアは戻ってきた。その両腕には小さな丸い球を沢山抱えていて、エクタは目を瞠る。
 それは以前エクタが開発していた魔道具だ。その水晶に力を封じると、一度だけ同じ魔法をいつでも発動する事が出来るようになるのだ。
 エクタもそれを使うことは片隅に考えていたが、この場を離れて戻るわけにはいかず、もし持ってくる事が出来ても、炎から意識を外して水晶に力を注ぐわけにはいかないと諦めていた。
「勝手に拝借させてもらったぞ」
「あ、うん……」
 まさかカリアが持ってきてくれるとは思わなくて、エクタはまだこれが現実ではないような気がして呆然と頷いた。
「カリア、僕は結界維持だけで手一杯だから……」
「ああ、分かっている。私がやる」
 水晶を腕に抱えたまま、カリアはキッパリ言い切った。
 カリアから結界を継いだエクタはその結界を更に強化させて巡らせていたが、いつまでも押さえ込める訳ではない。あまりにも広範囲に及んでいる為、結界が薄くなった箇所からは火が零れて飛び火しようとしていた。
 エクタは地面に水晶を並べるカリアを見た。
「……大丈夫?」
「皆が大切にしている町だろう? 大丈夫じゃなくても、失敗出来ない」
 エクタの気遣う声にもカリアはキッパリと言い切り、並べた水晶に両手を翳した。元々華奢である為、彼女が男へと姿を転じようが違和感は無かった。けれどどこか、心の奥底でチリチリとした焦燥が首をもたげるような気がしてエクタは渋面を作るのだ。
「よし、これで大丈夫な筈だっ!」
 ほぼ一瞬とも言える早業で、その場に置かれた全ての水晶に力を流したカリアは明るく笑った。
 炎の側である為に汗を流し、緊張の連続で疲れたのか少しだけ体をふらつかせて。それでもカリアは自前の気力で持ち直し、エクタが口を開く前に両足で地面を踏みしめていた。
「さあバルメダ、これを街の皆で手分けして、エクタを基点として円陣になるように設置するんだ。合図をくれれば私が結界を張る。エクタは基点の結界を維持していて貰わないといけないしな」
 僕がやるよ、と言いかけたエクタの声を先回りして封じ、カリアはエクタを振り返った。純粋な笑顔を見せ付けられて、エクタは渋々ながらも「そうだね」と頷く。
 水晶を受け取ったバルメダが一瞬、複雑そうな表情をカリアに向けたのが妙に癪に障った気がしたエクタである。
「バルメダ、早く行ってよ。流石に僕も疲れてきたよ」
「……ああ。カリア、無理はするなよ」
 言うなりバルメダは、下がらせていた治安部隊や街の者達に水晶を配る為に走って行った。
 彼に向けられた最後の言葉が信じられなかったのか、カリアは大きく目を見開いている。今まで散々出て行けと怒鳴り散らされていたのだ。信じられなくても当然か。
 双眸を見開かせたまま振り返るカリアに、エクタは無表情のまま首を傾げてみせた。彼女が言いたい事は分かっていたが、それを肯定してやることが無性に面白くなく感じられたのだ。結局、彼女の居場所を決めるのはバルメダであるのだと思い知らされた気がした。
「エクタ、あの、今の言葉って」
「バルメダにしては珍しい気遣いの言葉だよね」
 カリアから視線を逸らせ、エクタは答える。
「じゃあ、もしかして、私は……合格、なのかな?」
「さぁ。バルメダのする事は分からないよ」
「ああ……そうだよな。期待しちゃ、駄目だ。でも、これさえ上手くいけばきっと」
 先程よりも更に強い決意を込めて前を向くカリアを、エクタは苦々しく見つめた。
「――魔法使いに休暇なんて必要ないよね、全く」
「え?」
 聞き取れなかったのか、カリアが振り返る。けれどエクタには二度同じことを繰り返す気はなくて、沈黙を保ったまま、バルメダの合図を待つのだ。
 ――バルメダが気まぐれに出した休暇なんて無かったら、カリアに会う事も無かったのに。
 時間が経つほど大きく育っていく苛立ちに憤然としながら、エクタはそう思った。

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