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魔王の受難

 【一】

 ああ、世は無常。
 クスンと鼻を鳴らせて思い出すのは「あの日」のこと。
 そう。正確な刻は忘れたけれど、できごとだけは鮮明に思い出せる。
 春は桜舞い散る険しい岩山。
 ――標高が高く、風が強かった。
 我が植えた桜は満開を待たずにみんな散った。
 冬は雪だるまや雪滑り台。
 ――吹雪のなかで、孤独に、苦労しながら、作ったものだ。
 次の日に遊ぼうと赴いたら雪崩が発生していて埋没していた。

 ああ、世の中って何て無常なんだろう。
 トドメはあれだ。あのできごとだ。
 初恋。

 そう。我は恋をした。初めての胸の高鳴りを抑えられずに手紙に綴ったのだ。
 今思い返せばなんて初々しい行動だったのだろう。
 我は何日も何日も想いを書き連ねた。書くだけではどうにもならず、勇気を出して渡そうと、差し出そうとさえした。
 けれど――けれど。
 手紙は受け取られることはなかった。
 差し出したその瞬間、強風が吹いた。手紙は一瞬にして我の手を離れて空に舞い上がった。
 鮮やかな青空が広がっていた。
 爽やかな青春の一ページどころか何ページにも渡って書かれた我の手紙は広い空を埋め尽くすかのように散っていき――翌日、拾い上げたどこぞの新聞屋が世界中で発表しやがった。
 淡い初恋は世界中に知れ渡るという無残な結果に終わり、我のささやかな純情は砕け散ったのだ。
 今でも我が書いたあの手紙をどこかで誰かが読んでいると思うとはらわたがよじ切れそうだ。頭がパカリと開いてミニドラゴンが顔を出して炎を吐いてくれそうだ。今なら口からシャボン玉が飛ばせるかもしれない。
 あまりの哀しさに我は頭もどこかおかしくなってしまったのかもしれない。
 とにかく我は今、世の無常さを嘆きながらこうして永い眠りに就いているという訳だ。邪魔をしてくれるなよ愚民ども。もし邪魔をしようものなら。
「はーい魔王さま。ちゃっちゃと起きちゃって下さいねー」
 緊張感の欠片もない声が思考を妨げた。
 世の無常さを切々と零していた魔王は棺桶から転がり出される。小さな体が小気味良く床の上を転がっていく。魔王がまとう長いマントが首に絡まった。魔王はもがいたが誰も助けてくれない。泣く泣く自分で解きにかかった。命懸けなのだから、その手付きは真剣だ。
 魔王の側に影が一つ伸びた。
「まったく。魔王さまともあられるお方がウジウジウジウジと。鬱陶しいったらありゃしない」
 両手を腰に当てて胸を張り、影は大きなため息をつく。
「だいたい今時ベッドが棺桶だなんて笑っちゃうわよねぇ? 吸血鬼じゃあるまいし」
 右手で口許を覆い、笑いを洩らしたのは華奢な麗人だ。蒼くつやつやと光る髪を床まで伸ばした彼女は魔王を見る。唇だけが真紅に彩られているが、“妖艶”というより“奇怪”という言葉がピタリと当てはまるような、サッキュバスだった。魔王の片腕を務める彼女は瞳を愉快そうに歪ませる。
 魔王はようやくマントを外すことに成功すると、涙目になりながら振り返った。
「何をするのだプラチナ! 我の首が絞まったらどうするつもりだったのだ!?」
「えー? そうなったら、明日の朝刊は“祝砲! 魔王は失恋の窒息死!”っていう見出しをババーンと乗せちゃいますよー?」
 世を震撼させる魔王ともあろう者が、なにゆえそのような恥ずかしい見出しで全世界に発表されなければいけないのだろう。
 魔王は小さな体を震わせた。
 史実にそんな汚点は残したくない。
「まぁ、私にそんな情報を売り飛ばされないように、しっかりと生きるんですよ、魔王さま」
「お前が諸悪の根源だろうが!」
 新聞会社にタレこむつもりだろうが、と小さな魔王は床に足を投げ出したまま怒鳴った。腹心の部下であるプラチナになぜそんな真似をされなければいけないのか。相変わらずふざけた魔物である。
 魔王は憤然と鼻息を鳴らせた。生死の境に立たされていた為か、その鼻息はかなり荒い。ぶつぶつと小さな文句を呟きながら、のそのそと棺桶に戻ろうとする。
「とにかく我は傷心なのだ。もう少し寝かせておくのだ」
「あちょー!」
 奇妙な掛け声と共に、プラチナの見事なドライブシュートが部屋の壁に決まった。即席のゴールだった。ボールは魔王だ。
 魔王はボテリと床に落ちると、腹を抱えてゴホリと咳き込んだ。瀕死のダメージを負ったようだ。プラチナはそんな彼を見ながらやれやれと肩を竦めた。罪悪感は欠片もない。
「そんなこと言ってぇ。魔王さまが不貞寝を始めてからもう二十年ですよ。いい加減、マントにもカビが生えるってもんです」
「なに、二十年っ?」
 素早く体力を回復させた魔王は驚きの声を上げながら、さり気なくマントを確かめた。肉眼でカビは見当たらない。
「まだ一時間くらいしか経っていないと思っていたが……」
 素晴らしい時間間隔の持ち主だった。
「驚きから立ち直ったらちゃっちゃと動き回って下さいね。子どもは風の子、馬鹿の宝物庫」
「そんな言葉は聞いたことがないぞ」
「魔王さまが寝てる間に人間たちが作ったんですよ」
 プラチナがもっともらしく胸を張ると、純真な魔王は信じ込んだ。
「うむむ、そうか。時の流れは早いものだな」
 プラチナはほくそ笑んだが、やがて肩を竦めた。
「ま、不貞寝したくなる気持ちも分からないではないです。何しろ魔王さまが告白したのって、下界に打ち捨てられていたマネキン」
「言うなあああああ!!」
 これまであえて忘れたふりをしていた魔王だったが、プラチナは心得ているかのように掘り返す。魔王は本気で泣きながら叫んだ。


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 魔王の仕事は世界征服。
 それを阻止しようと各地で勇者が立ち上がる。最初は棒切れ一本、どこをどうやったらそんなわらしべ長者になれるのかと感心するくらいあれよあれよという間に強くなり、町を渡り歩いて仲間を増やして魔王を袋叩きの法則で倒そうとする。彼らの経験値に貢献する事件が起こりすぎだと魔王は思う。そしてそんな彼らと対峙するためにプラチナとの訓練は欠かせない。勇者が抱く魔王像を崩さないために、魔王だって努力を怠らない。
 そんな勇者と対峙する前にすることが、魔王にはあった。
「さーて、魔王さまがさぼっている間、勇者たちからこーんなに果たし状が! ちゃっちゃと仕事を片付けてしまいましょう!」
 勇者と対峙するために必要な最初の仕事。まずは果たし状の選別だ。
 机の上には紙の束がある。天井まで高く積み上げられており、少しでも突付けば雪崩が発生しそうだった。
「ううう。どうせ我は内気だし勘違いはするし子どもだし顔も怖くないし」
 仕事部屋へ引きずり込まれた魔王はいじけていた。扉の前に座り込み、孤独な影を背負っている。床に“の”の字をひたすら書き続ける。
 気合を入れていたプラチナは、そんないじましい彼を振り返って微笑んだ。積み上げられている果たし状を軽く突付く。
 ――室内災害発生。
 予想通り、部屋で雪崩が巻き起こった。
「どわああああ!?」
 魔王は真っ白な紙の海に消えた。
 けれど直ぐに、扉から少し離れた海面に顔を出した。
「何をするのだプラチナ! 紙で切られるのは通常よりも痛いのだぞ!」
「平気です魔王さま! 何しろ今の魔王さまは口からシャボン玉が飛ばせるんですもの! “洗剤いらずで子どもも大喜び!”」
「妙なキャッチフレーズをつけるなああ!!」
 魔王は紙の海をザカザカと掻き分けて進み、何とか机の上に這い上がった。子ども特有の細い体にはあちこち切り傷がついている。それを見た魔王は瞳を潤ませた。傷がヒリヒリと痛む。
 プラチナが満面の笑みで手紙を数枚突き出した。
「さぁこの中から一枚、選んで下さいよ」
「……うむ」
 魔王は顎を引いて手紙を眺める。これ以上プラチナに逆らっていては体がもたないと、直感で悟っていた。魔王たるもの無理をしてはいけない。倒れるのは勇者に挑まれる最終決戦まで取っておくのが定石だ。それまでは何度でも復活しなければいけないのだとプラチナから教わった。
 魔王は二度寝を諦めた。差し出された幾つかの手紙を受け取り、真剣に品定めを始める。この中から今回の勇者が選ばれる。しかし魔王の表情は晴れなかった。それどころか、一枚、二枚、手紙を読み進めていくうちに魔王の顔は歪んでいく。そしてついには全てを投げ出してしまう。
「何だ何だ、最近の若者は! まともな文字を書ける奴すらおらんではないか!」
   年寄りたちが井戸端会議で白熱している時のような口調を真似て魔王は唇を尖らせた。
「どれもこれも、まともに読める果たし状がない! 我はこんなアホたちと戦わねばならんのか? まったく。世の勇者が聞いて呆れるわ!」
 魔王は憤然とふんぞり返った。彼が投げ出した手紙には、ミミズが激しいダンスを披露しているかのような文字が並んでいる。とても読めない。
 プラチナが首を傾げた。
「変ですね。私が文書受付した時にはちゃんとまともな手紙――あ」
 魔王が投げ出した手紙を拾い上げたプラチナは固まった。
 机に寝転がっていた魔王は体を起こす。何に気付いたのかと、机に胡坐をかいてプラチナを見る。
 プラチナはニッコリと笑って手紙を魔王に見せた。
「ごっめーん魔王さま。これ、魔王さまが幼少時に書かれた作文の山でした。そういえば、この前部屋の整理をした時に積み上げてたんでした。すっかり忘れてました。いやぁ、プラチナちゃんうっかりー」
「何だとー!?」
 底抜けに明るく失敗を告げ、憎々しいまでに可愛らしい仕草で舌を出した目の前の小悪魔に、果たし状を扱き下ろしていた魔王は拳を震わせた。背景に稲妻を背負わせたくなるような魔王の立ち姿だ。
 プラチナは魔王の肩をポンと叩いた。
「平気ですよ、魔王さま。若者はまともな字を書けないんですから。こんな芸術文字も、世間から見れば一般的なんですよ。魔王さまはどこもアホじゃありません」
 魔王は両手で頭を押さえて獣じみた悲鳴を上げた。赤ちゃん返りを通り越して野性に目覚めたのかもしれない。プラチナは構わない。
「さぁ魔王さま。今度こそ、本当に果たし状が置いてある仕事部屋に向かいましょう!」
 もしやワザとではないのかと怒鳴りかけた魔王だが、ふと眉を寄せた。
「……この城に他の仕事部屋などあったか?」
「魔王さまが寝てる間に改良したんです。グッジョブ」
「城主の了解も得ぬまま改悪するなああああ!!」
 魔王の声はそろそろ嗄れ始めていた。

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