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魔王の受難

 【二】

 増築された仕事部屋に案内された魔王は薄い笑みを浮かべた。
 窓の外に視線を移す。青空だ。あの雲の行く先はどこかな、などと純粋を装って尋ねたくなった。分かりやすく断言するなら、現実逃避したくなった。
「はいはいどーぞ、魔王さま。こちらが新しい仕事部屋ですよー」
 プラチナが笑顔で手招きする。しかし魔王は動かない。扉を開けた瞬間、あまりの衝撃に声を失って硬直している。
 いつまでも動かない魔王にプラチナは嘆息すると部屋から出てきた。魔王の背中を押して部屋に促す。魔王はたたらを踏みながら、何とかその部屋に入った。
 魔王は部屋を見渡した。
 壁紙は細かい花柄。どこぞのお嬢さまが「まぁ可愛らしい花ね」と頬を緩めるような柄だ。その繊細さは職人技を感じさせる。何も問題がなければ魔王もその職人技を褒め称えただろう。壁紙の地色が、臙脂《えんじ》色でさえなければ。問題点はその一点に限る。魔王はお嬢さまのようにウフフフフと笑いながら幻想の世界に飛んでいきたくなった。
 声も出ない魔王を眺めたプラチナは得意気に胸を張った。
「魔王さまらしい見事な血の色でしょう。まるで血溜まりに花が浮いているようですね。あ、花は魔王さまの外見に合わせてタンポポにしてみたんですよー」
 なるほど。細かな花柄は確かにタンポポのようだ。
 魔王は花柄を観察して頷いた。
 惨劇の中で健気に咲くタンポポだ。癒しのアクセント。ウフフフなんて笑う、誰かと誰かが花畑で踊っている。誰だ。幻聴か。
 魔王の頭を誰かが支配した。
「そして! あちらをご覧下さい、魔王さま」
 プラチナの声に操られながら魔王は視線を移した。対面の壁には額縁が飾られている。壁紙の臙脂色に埋もれているような錯覚を起こす額縁は、ずいぶんと大きな物だった。それは武器の標本箱のようだ。古今東西、ありとあらゆる武器が収められている。額縁の下には支えを必要とする等身大の甲冑まである。よくよく見ると、甲冑には血飛沫まであった。呪いの甲冑か。
「魔王さまですもの。お手元にはあらゆる武器を取り揃えておいた方がいいでしょうと、プラチナちゃんがコレクションしました。備えあれば憂いなし! 攻撃は最大の防御なり! いいえ、これからの時代はもう、防御は最大の攻撃なり! を掲げていこうと思いまして、あの防具を遠い島国から取り寄せたんですよ。超一級品です。どうです? 素晴らしいでしょう。値段は結構張りましたけど、魔王さまにはこれくらいの装備が相応しいんです。あ、この血飛沫はプラチナちゃんが描きました。実は私、こう見えて絵が得意なんですよ」
 プラチナはあくまで誇らしげに胸を張る。魔王は憑かれたように部屋を眺める。まるで生気を欠いたように、その瞳には虚空が宿っていた。呪いの甲冑の効果かもしれない。
 そんな魔王の様子を見たプラチナは瞳を輝かせた。
「おおっ。魔王さま。感激して声も出ないってやつですか? いやぁ。プラチナちゃん、頑張った甲斐があるってもんです。使い果たした城の蓄えも浮かばれますね!」
 魔王はツッコミどころ満載なこの事態に、いったい何からツッコミを入れようか迷った。様々な言葉が脳裏を巡る。そして結局は、たった一つだけに絞り込んだ。
 魔王は時間をかけて息を吸い込む。
「城の蓄えは我の小遣いじゃあああ!」
 勇者との最終決戦まで温存しておくべき魔王の咆哮が響き渡った。
 起きてから今までで最大の声量だ。部屋中が震撼して窓ガラスが砕け散った。青空が広がる。数秒遅れ、壁の一部が崩落した。
 壁が崩れたことで舞い上がる埃の中、魔王は床に倒れた。床までも臙脂色のため、端から見ると魔王が討ち果たされたかのように思える。
 プラチナは両耳を塞いでいた耳栓を取り外した。
「っはー。さすがですね、魔王さま。二十年も寝てたのに魔王さまの咆哮は破壊力を保ったままです。ちょっと感動しました」
 因みに二十年前、魔王が眠りに就くまではこのようなやり取りが日常茶飯事だった。魔王の咆哮に対するプラチナの防御方法も手慣れたものだ。耳栓は役目を果たすと異空間に消えた。
 プラチナは胸の前で両手を組み、笑顔となる。
 魔王は心身共に疲れていた。動くのも億劫だ。涙目になりながらプラチナを睨みつける。唇を引き結んだまま何とか起き上がると、床の上に胡坐をかいた。
「――我の小遣いを勝手に使った罪は重いぞ」
 地を舐めるような低い魔王の声に、プラチナは驚いた表情を作る。
「ええっ。私、こんなに頑張って改装したんですよ?」
「頼んどらんわ!」
 叱られたプラチナは視線を落として唇を尖らせた。
「頑張ったんだけどなぁ」
 両手を後ろ手に回して組み、魔王に背中を向けた。いじけたように床を蹴る。その後ろ姿は寂しそうだ。
「魔王さまってば二十年間も眠りっぱなしだったんですよ。その間、私は他にすることが何もありませんでした」
 他にすることは幾らでもあるであろう、と怒鳴りかけた魔王は、プラチナが鼻を啜ったことに気付いて表情を改めた。険しい表情を少し緩める。
 不貞寝の原因は失恋の痛手。とはいえ二十年も眠るつもりはなかった。ほんの数時間で起きるつもりだったのだ。しかし実際は、起きてみれば二十年経過。その間、プラチナを放っておいてしまったことは事実だった。
 彼女は魔王にとって特別な存在だ。物心つく頃から世話役として傍にいた。魔王の称号を継いだ後は腹心の部下として活躍した。そして彼女は、魔王にとっては数少ない友人の一人だった。
 そんな彼女の言葉に魔王は胸を痛めた。恐らくプラチナは魔王が眠っている間、一人で城を切り盛りしてきたのだろう。他の魔物たちが城を出ていった後も、魔王の目覚めを待ち続けていた。
 魔王にも罪悪を感じる心はある。元は人間とそう変わらない。ただ、人間離れした力と、人間離れした寿命と、人間離れした矜持があるだけ。手を握れば温かい。
「二十年の間に皆は城を去りました。私は独りで寂しかったんです。それなのに」
 いったいどんな想いで城を守っていたのだろうか。
 魔王は自分の大人気なさを恥じるとプラチナに近寄った。慰めの言葉を考えながら腕を伸ばす。
「――プラチナ」
「魔王さまが起きたときに退屈しないよう色んな罠も仕掛けたのに。一度も発動できないまま怒られるなんて、罠にも失礼です」
「おい」
 プラチナに触れようとしていた魔王の手は拳を作った。
「いいえ。いいんです。例え私が仕掛けた罠に魔王さまが引っ掛からなくても、ああ魔王さまは二十年の夢の中で成長されたんだなぁって、じんわり感動するだけに留めておきますから! さぁ魔王さま。私と一緒に生まれ変わった城の中を見て回りましょう!」
「そんな説明されて誰がお前に案内されるかあああ!」
 声を弾ませながら振り返るプラチナは満面の笑みを浮かべていた。両腕を広げながら近づいてくる彼女に、魔王は恐れをなして素早く後退する。
「さぁ我は仕事をするぞ!」
 笑顔で近づいてくるプラチナに聞かせるように、魔王は冷や汗を浮かべながら見事な棒読みをした。効果は抜群で、プラチナはその場に止まる。首を傾げて「仕事ですか?」と唇を尖らせた。魔王は凄まじい勢いでコクコクと頷きを返す。
「仕事じゃ仕事! 久しぶりの仕事は楽しいなぁ!」
 趣味の悪い、しかも半壊した仕事部屋の中で棒読み台詞を披露すると、魔王は仕事机に向かった。色調を統一しようとでもしたのか、仕事机も臙脂色だった。
「仕事じゃ仕方ないですね。罠の発動は後の楽しみに取っておきます」
 魔王は密かに、仕事部屋から出るときは窓から出ようと決意を固めた。
 魔王は机の上の手紙を見た。先ほどの部屋で雪崩を起こした手紙よりも少ない量の手紙が、そこには整理して置かれていた。ひとまずはこの仕事だけでも終わらせなければ休めない。できればこのまま机に突っ伏して眠りたいくらいだ。この際、趣味の悪さは我慢する。
 魔王は強い疲労を感じながら、新しい椅子にどっかりと腰を下ろした。手紙を一枚だけ手に取る。その表紙を読み上げる。
『魔王さまへ――果たし状』
 紛れもなく勇者からの手紙のはずだった。しかし敵対する魔王に『さま』付けでいいものか。魔王は密かにその勇者の行く末を案じながら手紙を開く。
『俺は魔王を許さない』
「一言かい!」
 白い紙の中央に書かれた一文。
 一文しかないため強い意志は感じられたが、魔王はとにかく疲れていて、手紙をベチリと机に叩き付けた。苛立ちながら次の勇者からの手紙を開く。
『魔王は悪だ。全世界の敵だ。俺は尊敬しない』
「……なんて心に響かない文章なのだ……」
 我が寝ていた間、世の人々は何の進歩もしなかったのかと、魔王は嘆きたくなった。机に突っ伏した魔王の耳から思考に何かが紛れ込む。
 やはり世界にはアホがはびこっているらしい。この世でまともなのは我、ただ一人! やはり我が世界を救わねば!
「魔王さまは正義に燃える熱い心で天に召された父母に誓いを立てるのだった」
「勝手に訳の分からぬ注釈を付け加えるなああ!」
 魔王は叫んだ。どこまでが自分の考えだったのか分からなくなるほど巧妙なプラチナの介入だった。再び体力が削られてきて、荒い息をつく。味方に体力を削られてどうするのだと嘆きたくなった。勇者よりプラチナを倒した方が自分のために良いのではないかと、これまでにも何度か考えた。考えただけで実行には移さない。いつも途中でその気が失せるからだ。
「とにかく魔王さま。起きたばかりで眠いのは分かりますけど、仕事はこなして下さいね。城の修繕費もバカにならないんですよ? 早く勇者たちから奪ってこないと破産です」
 もっともらしいプラチナの言葉に頷いた魔王はそのまま真剣に取り組もうとした。しかし途中で我に返るとプラチナを睨む。
「誰のせいだと思っておるのだ」
「魔王さまが二十年もさぼっていたせいです」
 魔王の黄色い瞳がプラチナを射抜いたが、当然のように返したスミレ色の瞳に負けた。ぐうの音も出ないでいるとプラチナはさらに畳みかける。
「魔王さまが二十年も眠ってさえいなければ、私は魔王さまの小遣いを使ってまで城を改築しようとは思いませんでした。ですから、これは魔王さまの自業自得です」
 どこか理不尽な気はしたが、胸を張るプラチナに結局のところ魔王は逆らえない。釈然としない気持ちで「むぅ」とうなる。しかしこのまま国語力が真剣に乏しい手紙たちに向かい直る気にもなれない。積み上げられた手紙をしばし睨んだ末、魔王はその手紙の束をプラチナに押しやった。
「それほど言うならプラチナが読み上げよ。我はそれを聞く。そなたが読んだ中で気に入ったものを、我は今回の討伐に決定する」
 プラチナは両手を腰に当ててため息をついた。
「もう。しょうがないですねぇ」
 怒ったようには言うものの、プラチナは素直に魔王から手紙の束を受け取った。
 少し高めの可愛らしい声が、明らかに文法を間違えていると思われる手紙を読み上げていく。黙読は自殺行為に等しい手紙たちだが、プラチナを通して聞くと、もっと聞いていたくなるから不思議である。
「いきますよ? 『おれは“こまつゆき” しゅういから、ゆうしゃとあがめられ、おまえをたおすために、そだってきた。さぁまおう、おれとけっこんしろ!』ありゃあ、“決闘”が“結婚”になってますよ、魔王さま」
 プラチナに言われるまでもない。
 魔王は「女のような名前をつっこめ」と思っていたが、最後に大きな痛手を受けてそれどころではなくなった。机に突っ伏す。プラチナに読ませていても、最早これでは意味がない。すべてを聞くまで体力がもたないだろう。
 早々に決めなければいけないと思いながら、魔王は次を促した。
「では次です。『まおうよ、いますぐ、おれとけっとうしろ。おまえが、ここすうねんおとなしいのは、みなをゆだんさせるためだと、おれには、わかっているのだ。おれは、だまされないぞ。なんなら、いまから、そちらにいくから、そのくび、あらってまっていろ』だそうです。ええと、では次」
 魔王は閃いた。
「その手紙を寄越せ」
「はい?」
 魔王が疲れきっているため、プラチナの行動も素早くなっていた。すでに次の手紙を開きかけていた彼女は、魔王の言葉に目を剥いた。床に落としたばかりの手紙を拾い上げる。
「魔王さま。もしかしてこれを選ぶつもりですか?」
 プラチナの声がどこか苦いものを含んでいるように聞こえた。けれど魔王は頷いた。まともな手紙が一枚出てきただけで良しとしたい。これ以上選別作業に手間取っていては夕飯も食べられない。空腹の上、頭痛もしてきている。
 魔王は片腹をさすりながら手を伸ばした。プラチナはしぶしぶ手紙を渡す。
 魔王は改めて手紙を黙読した。
『魔王よ、今すぐ俺と結党しろ。お前がここ数年大人しいのは、美奈を油断させるためだと、俺には分かっているのだ。俺は騙されないぞ。なんなら今からそちらに行くから、園九尾洗って舞っていろ』
 魔王は手紙を破り裂いた。
「美奈って誰だあああ!」
 魔王の怒鳴り声に合わせて呪いの甲冑が倒れた。プラチナが「もったいない」と嘆いたが、魔王の耳には入っていない。
「魔王さま。本当にそれにするんですか? だいたい、勇者と結党した魔王だなんて、聞いたことありませんよ」
「でええい、結党なんぞしてたまるか!」
「そうですよねぇ。私だって魔王さまが踊ってるのなんて見たくありませんし。それに、園九尾も用意しなきゃいけないなんて、気が重かったんです」
「突っ込むところはそれだけかっ?」
 机に肩肘張った魔王は、ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返しながら潤んだ瞳でプラチナを睨む。もちろんプラチナはそのような視線など意にも介さない。微笑んで頷く。
「だって魔王さま、とんでもなく踊り下手じゃないですか。以前フォークダンス踊られたときなんて、ドジョウすくいしてるのかと真剣に思いましたもん」
「だああ、我の過去を掘り返すなと言うておろうがあああ!」
 魔王の過去には掘り返されたくないものが沢山積まれているらしい。
 自分でもようやく忘れていられた過去を思い出し、魔王はしゃがみこんだ。机の影に隠れてシクシクと泣き出した。
 よほどショックだったらしい。
 プラチナは「あーあ」と声を上げると、困ったように頬を掻く。
「さぁ魔王さま。気を取り直して次に行きましょう。大丈夫。生きていれば良いこともありますよ!」
 致命傷を与えた張本人が、にこやかに爽やかに回復を促した。魔王はそれどころではない。鼻を啜り上げると、再び世の無情さを嘆く。
「いい。我はもう疲れた。プラチナが好きに選べ。今日はそれで決定だ」
「え、いいんですか? じゃあこれ」
 プラチナは魔王を慰めようとしていた手の平を返すと、積み重なった束の中から一枚の手紙を引き抜いた。やけに素早い決定だ。まるで、こうなることを見越して手を打っていたかのようだ。
 魔王は呆然としながら、スミレ色の小悪魔を見つめるしかできなかった。

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