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魔王の受難

 【四】

「おい魔物! ここはどこだ!」
 魔王は満身創痍となって、肩で息をしていた。城を出たときとは雲泥の差だ。体力のなさを痛感しながら腰を折り曲げて両膝に手を当てる。羽虫のように目の前を飛び回る小悪魔を睨みつける。
「あとちょっとですよ、魔王さま!」
「さっきから同じところを歩かせておきながら……! かような言い訳が通ると思うておるのかっ?」
「きゃー、魔王さまセクハラー」
 小さな体を鷲掴もうとした魔王は手を止める。
「な、だ、な、何がセクハラだ! お前など我の力で飛ばしてやるわ!」
「きゃー、魔王さまパワハラー」
「な、な、な」
 魔王は二の句が継げない。彼の前をパタパタと通り過ぎた小悪魔は楽しげに笑った。
「うふふふー」
「いいから本気で案内しろ!」
 魔王は真っ赤になって肩を怒らせた。頭痛を覚えたようだ。額に手を当てる姿は痛々しい。だいぶ堪えているのだろう。
 彼女の案内通りに進めば、獣に襲われたり雨に降られたり突風に吹き飛ばされたり落とし穴に落とされたりと、散々な目に遭ったのだ。どうでもいいから早く目的地でゆっくり休みたいと思っても仕方ない。
 本気でそう願った魔王は当初の目的を忘れていた。目的地は勇者宅だ。ゆっくりと休んでいたら殺される。
 小悪魔は魔王の様子に怪しく笑んだ。
 ちっちっち、と小さな指を左右に振る。その仕草を見た魔王は苛立ちが倍増した。
「まだまだですよー。なんたって、思い切りからかって罠に嵌めて、生気吸い取って来てねって、偉大なプラチナ様からのご命令ですもん。これはまだまだ序の口です」
 とんでもない真実を聞かされた魔王は口をパックリと縦に開いた。子ども特有の大きな瞳が丸く瞠られる。黄色い瞳が小悪魔の全貌を映す。
「なぜ我がそのような目に遭わなければいけないのだっ?」
「やだなぁ。本当に気付かないんですか、魔王さま? 案内役を頼んだ私の姿、わざわざプラチナ様に似せたのはプラチナ様が望んだからなんですよ?」
 小悪魔の話は一向に的を得ない。
「だから、なぜ我がそのようなことを気にしなければいけないのだ!」
 魔王は頭痛を強めながら苛々と続けた。そのとき、もしかしてプラチナは我を裏切るつもりなのだろうかと、嫌な考えが浮かんだ。
 魔王の瞳が鋭くなる。
 魔王の配下にはふざけた奴が多い。長い寿命を与えられたがゆえの宿命とでもいえようか。退屈凌ぎに自ら道化を演じたり、他人を道化にして興じてみたり、何とかして生き飽きないようにする。ひたすら眠り続けるというのも一つの手だ。しかしその場合は今回の魔王のように、目覚めたときに力を上手く揮えないという副作用があるため望ましくない。世界に散らばる魔王の配下たちは今も好き勝手に遊んでいるのだろう。それでも彼らが絶対の忠誠を誓うのは魔王のはずだった。
 魔王は数百年前に王座を継いだ。それからは先代と同じように、世界全土に渡ってすべての魔物を支配下に置いてきた。もしも彼らが魔王を裏切るような真似をすれば、すぐに処分されるか永久追放が待っている。仮に逃れることができたとしても、この世界の大地を踏むことは二度と許されない。魔王は先代からそのやり方も引き継いだ。
 小さな小さな子ども魔王。
 けれどその中に潜む絶大な誇り。
「さー魔王さま。次は向こうの里に」
 小さな羽根をパタつかせていた小悪魔は悲鳴を上げた。まるで握り潰されそうな力で、魔王が彼女を鷲掴みにしていた。
「おい魔物。我を怒らせたらどうなるのか、思い知るがいい」
 小悪魔は息を呑んだ。魔王の黄色い瞳が真っ直ぐに彼女を射抜く。決して逸らすことができない魅惑の瞳だ。
 魔王は小悪魔を捉えたと悟ると、別の力を瞳に集中させた。
 偽装した彼女の本当の姿が見えた。プラチナとは似ても似つかない褐色の肌に、赤い瞳。そして漆黒の髪は三つ編みにされて両サイドで跳ねていた。
 魔王が力を揮うと、パチンという音と共に魔物の偽装が解ける。強制的な力に小悪魔は引き攣った笑みを浮かべていた。魔王を見上げる顔には恐怖が宿っている。子どもにしか見えない魔王の瞳には、裏切り者に対する冷徹な意志が潜んでいた。偽装を解かれた今、いつ消されても不思議ではない。小悪魔は本気で怯える。
「お前が魔物なら我の配下だ。裏切り者のプラチナにつくか、我の命令を受け入れるか、今すぐに選べ」
 傲然と告げられた小悪魔は冷や汗をかいた。脳裏にプラチナを思い浮かべる。
「プ、プラチナ様のことは大好きですけど、けど」
 見下ろす魔王の瞳が妖しく光ったような気がして、小悪魔は慌てて叫んだ。
「殺されたくないから案内いたしますぅー!」
 魔物は素直にできている。


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 偽装を解かれた小悪魔が再びプラチナの姿をまとうことはなかった。そのようなことをしても無駄だと両者共に分かっている。小悪魔にとっては命懸けであるので、今更ふざけるつもりもない。
 小悪魔が案内した村はどこからどうみても平凡で平和な農村だった。
 その村で最も大きな屋敷に案内される。途中、村人に屋敷のことを尋ねると、誰もが揃って「勇者ん家だべよ」と殺人的威力を持ったなまりで教えてくれた。眩暈を起こした魔王は途中から村人に話しかけることをやめている。黙々と小悪魔の後をついていった。
 そして屋敷が見えてきた。小高い丘に建てられたその屋敷の前で、プラチナが魔王の到着を待っていた。
「きゃあ魔王さま。遅いですよー!」
 プラチナは魔王の姿を認めるや否や立ち上がり、その場でとび跳ねながら両手を振った。彼女の前には湯気昇る野菜炒めが並べられている。プラチナは目にも留まらぬ速さで完食すると再び魔王に向き直った。確かプラチナの大好物だったなと思い出した魔王は、握り締めていた小悪魔を解放する。
 いつ握り潰されるのかと戦々恐々としていた小悪魔は気力が尽きたようだ。よろよろと羽ばたきながらプラチナのもとへ戻っていく。
「プラチナ様ぁ」
「きゃー、ピアちゃんどうしたの?」
「魔王さまがお怒りですぅ」
 プラチナは手の中に倒れ込んだ小悪魔を見て驚愕した。
 魔王がプラチナに歩み寄る。
「いったいどういうつもりなのだ」
 小さな魔王の体には似合わぬマントがバッサバッサと揺れる。威厳を出そうとした低い声は途切れがちにしか伝わらず、足音も消されてしまう。
 プラチナはピアを回復させながら首を傾げた。
「どういうって?」
「我を裏切るつもりなのかと聞いておる!」
 魔王の怒鳴り声と共に、勇者宅だという屋敷の窓ガラスが砕けた。珍しい客人を一目見ようと集まってきていた暇な村人たちが悲鳴を上げる。プラチナはのんびりと肩を竦める。
「やですよぉ魔王さま。こんなにいい天気なのに」
「我は先ほどまで猛吹雪のなかを歩かされたぞ!」
「え、本当ですか?」
 プラチナはピアに視線を落とした。
「ピアちゃん頑張ってくれたのね。お疲れさまー」
「プラチナ様のためですものー」
「我より小悪魔を褒め称えるか!」
 魔王は仲睦まじくじゃれあう二人を見ながら怒鳴った。勇者を倒して有り金すべて奪い取るという目的はもうどうでもいい。そんな目的は魔王の頭から消えている。真っ赤な顔で怒鳴りつけ、魔王はピアを摘み上げると全力投球した。ピアは悲鳴を上げて星となる。
 プラチナは慌てることなく観察した。
「魔王さま。あれはピア星という名前にしましょうね」
「うむ」
 魔王は頷いたが我に返って叫んだ。
「そうではなかろう!」
「そうですね!」
 即座に返される。魔王はもう何もかも投げ出したくなってきた。
「それで。そなたは一体、我に何の恨みがあるのだ。我が起きてから相当に不機嫌ではないか」
 眠りに就くまではそれなりに楽しく全力で戯れていた。今回のようにいきなり姿を消すという嫌がらせはタチが悪い。心臓がもたない。
 プラチナはフォークを置いた。
「魔王さま。私が何の魔物だったか、忘れました?」
「あ?」
 問われた魔王はうろんに返した。顔だけを上げると、少し距離を保ったプラチナが微笑んでいた。彼女は空になった食器をさりげなく脇に寄せ、テーブルの上に座ると足を組む。スミレ色の瞳と真紅の瞳が妖しく笑みを作る。
「サッキュバスであろう」
 いくら長い眠りに就こうと忘れるはずがない。魔王は当然のように告げる。プラチナは「うんうん」と満足げに頷いた。魔王は眉を寄せながらその様子を見守るだけだ。彼女が何をしたいのか、次の行動がまるで読めない。
 プラチナは大きなため息をつきながら続けた。
「そうなんです。サッキュバス、ドウェンデ、アルプ、フォレット……呼び名は色々とありますがつまり、淫魔。男を誘惑して堕とすのが趣味なんです」
「趣味であったのかっ?」
 魔王は思わずツッコミを入れた。しかしプラチナは構わない。口調には段々と熱が入り始め、拳を握り締めて斜め四十五度を見つめる。
「それなのに! 魔王さまは二十年間も眠り続けていて、私は誰を誘惑すればいいんですか。私の前ですやすやと安らかに眠られるなんて、こんな屈辱ありません!」
 魔王はどんな反応を返せばいいのか分からず、ただ見守った。
 プラチナは両手で顔を覆ってしまう。
「二十年間も眠り続ける魔王さま……ああ、一人で途方に暮れるプラチナちゃん」
 話は妙な方向へ転がっていく。
 魔王は中途半端に掲げていた腕をさまよわせて周囲に気付いた。村人たちが興味津々といった様子でプラチナと魔王を見比べている。その中にはピアの姿まである。
 ピアは両手を口に当てて「プラチナさま頑張れー」と応援をしているようだ。いったい何を頑張れというのだろうかと、魔王は首を傾げた。プラチナがギリリと歯を食いしばった。
「そして何よりの屈辱は……! 夢魔とも知られるこの私が! 二十年間も眠り続ける魔王さまの夢に入っていけなかったことですー!」
 プラチナは声を上げて泣き出した。
 魔王さまの浮気者ー! と叫ばれ、魔王は双眸を瞠る。見守っていた村人たちが、事情は知らないまでも魔王を非難の眼差しで見つめた。その眼差しに魔王はうろたえてしまう。更には、プラチナの言葉を敏感に聞きとがめた村人たちのざわめきは徐々に大きくなっていく。
「魔王さま? だんれが魔王さまだで?」
「もしゃーあの子どもでねが?」
「ああ、あんのマネキン事件の……」
 殺人的威力を持ったなまりで、哀れみさえ混じって聞こえだす。魔王は耳まで真っ赤になった。
「ええぃプラチナ! 話は後で聞こう。さっさと帰るぞ。ここは落ち着かぬ!」
「いや、放して! きゃー、ちかーん」
「ばっ、バカ者ぉー!」
 プラチナは涙をそのままに、身をひねって魔王から逃れようとした。しかしその口調はどことなく楽しげだ。プラチナは魔王との距離を保つと、泣き笑いのような表情を浮かべて見せる。
「私のプライドが許しません。長年連れ添ってきた、いわば夫婦ともいえそうな私たちであるのに」
「おい」
「傍にいるこんな美女には目もくれず、あろうことか、マネキンごときに魔王さまの心を持っていかれるなんて!」
「お前は何度我を突き落とせば気が済むのだー!」
 魔王はすでに瀕死だった。村人たちに聞かれていると思うとたまらない。荒い呼吸を繰り返しながら速やかに「マネキン」を頭から追い出そうとした。しかし周囲が「マネキン……」「マネキン……?」「やはりマネキンの……」と復唱するため追い出すどころではない。魔王の頭にマネキンが出戻りし、出会ったこともないマネキンの友だちまで招かれようとしていた。お前ら出て行け。
 魔王は混乱した。
「ええい、マネキンなどどうでもいいではないか! たかが人形! たかが樹脂! かかしにも劣るわ風船のように弾け飛ぶのじゃああああ!」
 訳が分からない。
 魔王は頭の中にマネキンが家族単位で住み込もうとするのを感じながら、必死でこの場を逃れる術を考え考え、もうどうにでもなれとばかりにプラチナの前で決意する。
 そう、我はマネキンなど愛さなかった!
「我が愛するのは生きているプラチナじゃあああ!」
 勇者を怯ませるための、とっておきの咆哮が農村に木霊した。
 村が静まり返る。風が止む。砕けた窓ガラスの掃除をしていた男が腕を止める。プラチナさまファイト、という旗を掲げていたピアも止まった。
 プラチナはにんまりと笑う。魔王はその場に凍りついた。
 誰か時を止めてくれとは願ったが、なぜ今この瞬間に止まるのだ。
「きゃああ、魔王さま。そんな大声で愛の告白ですか。超嬉しいです!」
「良かったですねプラチナさま! これで長年の想いが報われました!」
「よんぐやったなプラチナちゃん! あんの魔王を誘惑するべたぁ、さんすが勇者だ!」
 ピアや村人が口々に喝采を浴びせながらプラチナを取り囲んだ。
「皆さんありがとうございますー。結婚式には魔王さまと世界中をスキップして回りますから、見てて下さいねー!」
 魔王は眩暈を覚えた。どこもかしこもツッコミだらけだが、なぜ誰もツッコミを入れないのか不思議だった。
 魔王はずいぶんと弱々しい声でプラチナに呼びかけた。
「勇者だと……?」
 歓喜に沸く人々の声に掻き消されそうだった魔王の声だが、プラチナは振り返ると可愛らしく首を傾げた。小悪魔の笑みを見せながら、棒立ちになる魔王に頷いた。
「魔王さまが眠っている間、暇だったので私が勇者になってみました」
 魔王はその場に倒れた。空が青い。
「おお! あの魔王がついに倒されたんだべ!」
「さんすが勇者さまだべや!」
「プラチナちゃんバンザーイ」
 能天気な村人たちの声を聞きながら魔王は瞼を閉ざす。
 これだから我は世界なんぞ嫌いなのだ。ああ、世の無情さに涙が出てくる。今度こそ永久の眠りに就いてやろうと決意する。愚民どもに邪魔されてなるものか。もしも邪魔をしようものなら、今度こそは――。
「はーい魔王さま。ちゃっちゃと起きちゃって下さいねー」
 地面に倒れたまま眠ろうとしていた魔王は、緊張感の欠片もない声を聞いた。これまでと何ら変わりない日常のひとコマ。けれど一つだけ違うひとコマ。愛する者から目覚めのキスを。
「うのおおっ?」
 これで目覚めない訳にはいかない。服の襟にプラチナの指がかかったことを悟った魔王は即座に飛び起き、ついでに跳ね上がり、奇怪な叫び声をあげながらプラチナの手を逃れた。そのまま走り出す。
「魔王さま。どこへ行くんですかーっ?」
「うるさいうるさい! 我は我の城に帰るのだー!」
「お供しますよ、魔王さまー!」
「ええい、ついて来れるものならついてくるがいい! 我は手加減なんぞしてやらぬー!」
 砂煙を上げながら魔王の姿は消えていく。プラチナはフッと不敵に笑うと青い髪をかきあげ、助走した。次の瞬間、魔王に負けず劣らない俊足を披露して農村を走り出た。
 残された村人たちは平和だなぁと和やかな笑みを浮かべる。「逃げ帰る魔王と追撃する勇者」を見送った。
 それぞれが農作物の収穫に散っていくなか、ピアだけが空中に浮遊していつまでも魔王たちの姿を見送っていた。感動しているかのように両手を胸の前で組んでいる。
 ――魔王さまがしっかり自覚するまで逃がしちゃ駄目ですよ、プラチナさま。プラチナさまの姿をかたどった私を消せなかった魔王さまは、無意識でもプラチナさまのことを好いているんですから!
 ピアは次にプラチナに会ったとき、目論見が成功した報酬に何を貰おうかと、幸せな気分で考えた。

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