目次

魔王の受難

 【我は魔王】

『我は魔王である

 ボクの父上は“魔王”という職業に就いている。
 両手を広げても抱えきれないくらいの部下がいて、玉座の間はいつもギュウギュウ詰め。一番後ろの部下を蹴り倒したらバタバタと倒れていきそうなくらいだ。そうなると最終的には父上も倒れるだろう。皆で倒れたらどうなるのかやってみたい。でも母上が険しい目で広場を見ているので実行できない。
 ボクの母上は“魔王妃”という職業に就いている。
 怒らせると怖い。ホホホと笑いながら、大きな扇でビシリと部下を叩くのだ。あれで叩かれたらかなり痛い。一度叩かれたボクは、そのまま城外まで飛ばされて、三日ほど行方不明になった。どうやって城に戻れたのかは覚えていない。
 でも母上が怒ることは滅多にない。いつも父上のそばでニコニコと皆を眺めている。だから、皆は母上の美しさに見惚れていつも父上に怒られるんだ。ボクはそんな父上が大好きだ。
 そしてボクは知っている。王座の間に立つ母上の笑顔は作り物だ。本当は“第三の目”と呼ばれる特別な瞳で皆を見張っている。あの目がいつも玉座の間を監視しているから、ボクはいたずら一つできやしない。それでも母上はボクに優しいから大好きだ。
 ある日、ボクは我慢できなくなって母上に相談に行った。
 玉座の間からはみ出た一人を蹴り倒して、玉座の皆をバタバタと倒してみたいのですが駄目でしょうか? という相談だ。
 魔王妃の部屋にいたときに話しかけたので、母上はとても優しい笑顔で頷いてくれた。母上以外の皆が倒れるように計算して試すのなら構わないと言ってくれた。はみ出ているのが悪いんだから、頑張ってみなさいと背中を押してくれた。嬉しかった。
 ボクは早速計算した。毎日のように玉座の間に通った。父上や大人たちはそんなボクを可愛がってくれたけど、そうすると皆の座る位置が普段とずれてしまうので、ボクに構わないでと怒った。皆は大笑いした。でも、皆はボクの意見を聞いて、次の日から自分の座る位置を変えることはなかった。満足だ。だからボクは、隣との間隔をゆっくり計算することができた。倒れる勢いをあちらに向ければどうなるか、こちらに向ければどうなるか、一ミリずつ試算した。実行日に位置が少しずれることも考えられるので、そのパターンも試算した。そうして、ついに計画は完成した。
 ボクは飛び出しそうな心臓を押さえながら、扉から様子を窺った。ボクが怒鳴ったことで、皆はもうボクを振り返らない。たぶんボクがいることは知ってるんだろうけど、ボクの意志をちゃんと尊重してくれているんだ。父上は相変わらずどこかの地図を空中に出しながら、人口の有無を調べている。部下たちが報告すると、父上は地図の上に新たな情報を書き込んでいく。
 ボクは慎重に時期を待っていた。
 そのとき、ボクは鳥肌が立って、体中が縛られるような感覚に襲われた。
 母上だ。母上がボクを見ているのだ。
 ボクは逃げ出したくなった。計画を断念して、次の機会を待とうかと思った。でも、母上は笑ってくれた。作り物の笑顔ではなく、ボクにだけ向けてくれる、大好きな笑顔だ。そんな母上の笑顔を見た部下が赤くなった。父上に怒られた。でもボクには関係ない。きっと母上は、前に相談したことを覚えて下さっていたのだろう。
 母上の眼差しに見守られて、ボクの決心はついた。
 それから更に時期を窺った。
 とうとうその時は来た。
 父上がボクに背中を向けた。これまで出していた地図とは全く別の地図を出そうとしているようだ。他の者たちも新しい地図に注目していて、ボクは皆の注意から外れた。会議の間のわずかな隙に、ボクは部屋からちょっとだけはみ出ていた部下に近づいた。彼は欠伸を噛み殺すことに必死で、背中のボクには気付かない。
 ボクはとうとう実行した。
「ドミノ倒しじゃあああ!」
 わはははははははと笑い声を上げながら、ボクは新米部下の背中を思い切り蹴り飛ばした。一度こういう台詞を、高笑いしながら言ってみたかったんだ。
 新米部下が倒れたところにいた部下が倒れた。その部下が倒れたところにいた部下がまた倒れた。その部下が倒れたところにいた部下がまた倒れ――あとは全部ボクの思い通りに進んでいった。
 ボクの目の前で、ボクが想像した通りに、彼らは無駄なく倒れていく。それは想像以上に楽しかった。
 父上は何が起こっているのか分からなかったようだ。部下たちが倒れていく様子を、呆然としながら見守っている。そして、部下たちが倒れていく波の最後に、とうとう父上は倒れた。しかし母上と約束した通り、波は母上にまでは届かない。母上だけは、ボクと同じように、楽しそうに、倒れていく部下たちを見守っていた。
 父上が倒れた瞬間のことだ。
「あなた、見て! とうとう私たちの息子が初のイタズラに成功したのよ! なんて素晴らしい日なんでしょう。まぁあなた聞いてるの? 無様に倒れたままでいないで、私たちの息子を見てちょうだい! そこは倒れる場所ではなくってよ?」
 母上は興奮して、ボクを三日間行方不明にさせた扇でバシバシと父上の頭を叩き続けた。ボクはちょっぴり父上が可哀想になった。


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 今日はボクのところにプラチナという魔物がきた。
 父上の話では、ボクの部下になる魔物らしい。イタズラを成功させたから一人前だと認めて貰えたんだろう。一人前だと認めて貰うには、そういう掟が存在している。
「お前もそろそろ自分の部下を持ってもいいと思っていた頃だ。ちょうどこいつが暇になったばかりだから、お前の部下につけよう。色々と学ばせてもらいなさい」
 ボクはプラチナを見つめた。少しだけ面白くなかった。ボクは去年の誕生日に、父上に言ってたんだ。ボクの最初の部下は女がいいと。でもプラチナは明らかに男だ。もしかしたら父上は、ボクが成功させたドミノ倒しを恨んでいるのかもしれない。母上に叩かれ続けたせいか、父上の首が少しだけ短くなっているような気がした。
 ボクは挨拶もしないで父上の目を見つめた。しかし父上はボクの部屋に置いて、そのまま去っていった。
 仕方ないのでプラチナに向き直る。悪いけど、最初の部下は女だと決めている。プラチナには暇を与えて、次の部下を招いた方がいいだろう。
 ボクはそう考えて、プラチナに暇を与えようとしたのだ。
 その考えは直ぐに間違いだったと気付いた。
「きゃあかわいーい。私はプラチナといいます。これからよろしくね、未来の魔王さま!」
 ボクがプラチナに向き直ったとたん、そんな高い声を上げると、ボクの首を絞めた。苦しかった。
「いま、私のことを男だと思いましたよね?」
 プラチナは笑っている。ボクは苦しい。
「会う人会う人みーんな私のことを男だと思い込んでしまうんですよね。私、これでも傷ついてるんですよ?」
 プラチナは片手で涙を拭う仕草を見せた。でも彼女の目は乾燥している。ドライアイというものだろう。
 ボクはいい加減ほんとうに苦しかった。
「これは、私のか弱い乙女心を傷つけたバツです」
 バツで死んだら洒落にならない。
「私のご主人さまですもの。これからのより良い主従関係のためにも、お互いの譲れない部分はしっかりと理解しておかなくっちゃ。ねぇ?」
 お婆ちゃんが手招きしていた。綺麗な花畑と小川が見えた。久しぶりに会うお婆ちゃんに、ボクも手を振り返したかった。でもこのままではお婆ちゃんに招かれるまま小川を越えてしまいそうな気がしたので、ボクはプラチナの言葉に勢い良く頷いた。やっと解放される。空気がうまい。
 しばらく美味しい空気を満喫していたボクは、ひと心地つくとプラチナを見上げた。
 “プラチナ”という言葉には“銀色”という意味があると聞いたことがある。しかしプラチナの髪は蒼だ。どこら辺が銀色なのだろうと思っていると、プラチナはおもむろに窓辺に寄り、閉じていたカーテンを開けた。
 そこでボクはプラチナの名前の意味を知ることができた。
 眩い朝日のなかで彼女の髪はキラキラと輝いて、とても綺麗だった。透明な光のなかでは蒼い髪も銀色に見える。なんだか凄く感動した。
 けれどボクにはまだ一つ疑問が残っていたのでプラチナを近くに呼び寄せた。ボクにはプラチナが女だと、どうしても信じられなかった。確かに言葉遣いは女性のものだが、ここには男型をしていても女言葉を話す魔物もたくさんいる。なぜ自分に合った言葉遣いをしないのか分からない。奴らは疑問に思わないのだろうか。それとも自分が本気で女だと思っているのだろうか。それなら女型になればいいのにとも思う。世の中には色んな奴らが溢れているらしい。
 ボクは近づいてきたプラチナに飛びかかった。胸に触った。母上の胸は誰の目から見ても大きいと分かるが、プラチナには胸があるかないか分からない。実際、触ってみると確かに柔らかかった。どうやら触らなければ分からないくらい小さな胸らしい。
 確認したボクはそこで床に下ろされた。笑顔のプラチナに「いいところに連れて行ってあげます」と告げられた。部下になった彼女が一番最初に連れて行ってくれるところとはどこだろう、とボクは期待して頷いた。
 連れて行かれたのは台所だった。ボクはそこで、ひたすら玉ねぎのみじん切りをさせられた。涙が止まらなかった。
「女であるか確かめるために二度と胸を触ったりしない」
 ボクはプラチナに誓った。


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 プラチナはどうやらサッキュバスという魔物に分類されるらしい。
 彼女がどういう魔物なのか確かめるため、『魔界における適当辞書』で調べてみた。しかし辞書の説明書きには「サッキュバスは美しい女性の姿で現われ、背中にはコウモリの翼が生えている」とあったので、信憑性は薄いと思う。
 プラチナにコウモリの翼など生えてはおらぬし、美しい女性の姿でもない。
「そうであろう?」
 とプラチナに確認したところ、彼女はまたも笑って「いいところに連れて行ってあげます」と答えた。今回は二回目なのでボクにも免疫がついている。何が悪かったのだろうと考えたが思い当たらない。事実を確認しただけだ。
 プラチナはボクを連れて、この近辺でも特に標高の高い岩山に来た。
 城の裏側だ。
 この場所はいつも荒れている。いかつい岩がごろごろしているが、プラチナはまるで関係ないようにヒョイヒョイと飛び越えていく。ボクも負けじと飛び越えようとするのだが、少し無茶だったようで、顔面から地面に落ちたりした。プラチナはそんな無様な真似は絶対しない。さすがはサッキュバスだと思う。もしかして翼とやらはボクらの目には見えないのだろうか。
 何度かプラチナに止まって貰いながら岩山を登り、しばらく行った頃だ。
 プラチナは「ここで待っていて下さいね」とボクに言い置くと、一人で先に進んで行ってしまった。ボクは負けるのが悔しくて追いかけようとしたが、今まで以上に身軽に進むプラチナに追いつける自信はなかった。
 彼女は何をするつもりなのだろうか。
 不安定な岩に腰掛けながら待っていると、五十メートルほど進んだところでプラチナが振り返った。遠目からでも分かる。プラチナは微笑んでいた。それは、これまで見てきた冷笑や苦笑ではなく、純粋で綺麗な笑顔に思えた。
 プラチナはボクに向かって片手を振る。何かを叫んだように見えた。しかしボクにまで声は届かない。何を言ったのだろう、と身を乗り出した直後、変化は形を伴ってあらわれた。
 荒地に瑞々しい若葉が顔を出したのだ。それも一つではない。何百という若葉が元気良く緑の絨毯を敷いていく。それらはボクの足元にまで及んだ。良く見てみると、若葉だけではなく、苔も生えていた。無骨な岩肌が柔らかな苔に覆われていく。
 ボクは呆気に取られてそれらを見た。まるで奇蹟を見ているようだと思った。そして、これはプラチナの力なのだと悟った。プラチナはボクよりもよほど強い魔物なのだろう。それはボクがまだ子どもで、大人になったらボクが強いに決まってるけど、今はまだプラチナの方が強い。
 ボクが見守る前で、プラチナは上げていた片手を下ろした。育っていく木々を見守っている。
 そうしてボクは見た。
 伸ばされた枝にポツポツと小さな新芽が顔を出し、蕾をつけ、一斉に花開く様を。
 前に『人間界で通用しそうな図鑑』で見たことがある花だった。確か、人間たちが『桜』と呼んで価値を高めているものだ。
 しかし図鑑で見た桜と、プラチナが咲かせた桜は色が違った。
 図鑑では淡いピンク色の花弁だったが、ボクが今見ているのは、淡い青色の花弁だった。花弁は五枚だけではなく、何重にもなっている。凄く豪華で綺麗だ。それらが一斉に花開くのだ。凄い、なんて一言だけじゃもったいない。ビューティホー、ワンダホー、貴方も素敵にモロヘイヤ。人間たちが使っていた言葉を思い出してみたが、もうどうでもいい。言葉なんてなくても、プラチナは凄いんだと感動した。体が震えた。武者震いという奴かもしれない。父上も良く言っていた。寒い日のトイレは武者震いがするわい、って。父上じゃなかったかもしれないけど、どうでもいい。とにかくボクは感動しているんだ。
 ボクはプラチナに呼ばれて顔を上げた。
 プラチナは桜吹雪の中にいた。どうやら桜は直ぐに散ってしまう運命らしい。赤い唇だけが鮮やかに映えていた。桜吹雪に遮られて見えなくなりそうだ。それが嫌で、ボクは走り出した。
 これは凄いなんてできごとじゃない。モロヘイヤなんてどこから出てきた言葉なのか忘れた。綺麗、だけで片付けることもできない。何て言えばいいんだろう? とにかくその時は、桜吹雪のなかで笑うプラチナが、一番綺麗に見えたんだ。
 淡い色に隠れてきらめく銀髪を近くで見たかった。
 ボクが駆け寄るとプラチナは力いっぱい抱き締めてくれた。そして彼女はこう言った。
「サッキュバスって美しいでしょう?」
 この言葉にボクは反対なんてしない。思い切り力を込めて頷いた。
 桜の力は凄い。
 ボクもいつか、プラチナのように桜を咲かせてみせる。
 そう誓った。


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 プラチナはボクの部下になる前、世界を回る旅行者だったという。
 旅先での色んな話を聞かせてくれた。飽きることがないので、いつも夜が楽しみだった。もしかしたらそれを見越して、母上もプラチナのことを特別扱いしているのかもしれない。この前「お母さんと一緒」という本を読んでもらおうと母上の寝室を訪れたら冷たくあしらわれた。軽くへこんだ。
 でもプラチナの話は本よりも楽しい。これからは、母上に本を読んでもらうよりもプラチナの話を聞いている方が多くなるだろう。
 プラチナの話は本当に面白い。
 あるときに行った国では不思議な珠が国を支配していたというし、また、あるときに行った国では人の数が極端に少ないこともあったという。寂れた廃墟だったのだと、プラチナの瞳も寂しげだった。
 それでも色んな国を語るプラチナの瞳はキラキラと輝いていた。触ってみると「痛ェ」と噛みつかれた。ボクの人差し指には歯型が残った。
 そういえばサッキュバスは夢魔としても有名だ。人に悪夢を見せることも可能だという。
「プラチナ。ボクに夢は見せなくていいぞ」
 これから眠るというのに、悪夢を恐れてしまったら眠れない。
 プラチナは笑って囁いた。
 貴方が立派な魔王さまにお成りになりましたら、何よりも甘いとびっきりの夢にいざなってさしあげます、と。
 とびっきりの夢とは何だろうか。甘い、と付けるくらいだから、甘いお菓子がわんさかと出てくる夢だろうか。ボクはその中に埋もれていくのだろうか。図鑑で見たアリ地獄みたいだ。
 プラチナに聞いてみると「そのようなものですね」とあいまいな答えしか返ってこなかった。恐ろしい。ボクが大人になるのはまだしばらく先に延ばしておこうと思う。
 ところで、プラチナが旅行しているとき、立ち寄ったある国でこう叫んでいる人がいたらしい。
「我々は、国民皆さまのために、持てる力すべてを注ぎ込む所存でございます」
 と。
 なんだかやけに気にかかる言葉だ。
 ボクら魔界の者に“皆のため”という概念はないが、持てる力すべてを注ぎ込む、ということはとても良く分かる。遊びもイタズラも、何かをするなら命懸けで成し遂げろと、小さい頃から教わった。
 ――我々。
 いい響きだ。
 明日からボクは自分のことを『我』と呼ぶことにしよう。うむ。なかなか、未来の魔王っぽくて良いではないか。
 我は魔王。この世界すべての王である。
 このような我を見たら、プラチナも「とびっきりの夢」を見せてくれるかもしれない。アリ地獄なんかじゃない、本当の「とびっきりの夢」だ。どんなものなのだろう。あの桜のように綺麗な夢に違いない。
 ――我は魔王である。


 作者:シュトーレゼウス』


 プラチナは笑みを浮かべた。
 手にしていた原稿用紙をそっと置く。今より更に若かりし魔王が綴った作文だ。原稿用紙には幼い文字がびっしりと書き詰められている。
 見た者すべてを惹きつけて虜にし、甘い快楽と堕落の日々へいざなうサッキュバス。けれど今ここにある笑顔には、残酷な搾取者の表情は浮かんでいない。真に幸せを与えるような、穏やかで、暖かな笑顔。
「魔王さまってば、だから裏庭に桜を咲かせようと頑張ってたのねー」
 プラチナは作文を机で揃えて重ねて置くと、大きく伸びをして天井を見た。
「とびっきりの夢。私も楽しみですよ、魔王さま」
 艶めいた唇を舌でなぞり、プラチナは妖艶な笑みを浮かべる。そうしてから「さてと」と起き上がった。
「そろそろ魔王さまに目覚めて貰わないと」
 誰にともなくそう呟くと、プラチナは『魔王さまの仕事部屋』を後にした。
 魔王が眠りに就いてから二十年余り――ついに魔王が目覚める。
 すべては従者の“愛”のために。



 END

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