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第二章

 【五】

 闇のなかに重たい音が響いて消える。
 侵入者がやってきたのだと、今ばかりは待ち望んでいた侵入者に紅葉は嬉しくなった。荒んだ笑みを浮かべながら闇のなかで光を凝視する。
 壊れた煉瓦の壁から穏やかな光が零れる。
 明かりもつけていない部屋の様子に戸惑う夜人。
 彼の視線は部屋をさまよった。寝台の影で息を潜めていた紅葉は手にしていた棒を構えて、思い切り躍りかかった。
「天誅、覚悟!」
「うわあああっっ!?」
 静寂は一変する。紅葉の部屋に、賑やかな声が戻ってきた。


「反省は?」
「してる」
「ごめんなさいは?」
「すまん」
「もうしませんは?」
「嫌だ」
 時が動き始めてから数分後。部屋には正座をする夜人と、彼を見下ろして仁王立ちする紅葉の姿があった。
 寝台の上で小さくなる夜人は、普段の横柄さを感じさせずに大人しい。ひとえに今は、紅葉が一片の甘えも許さず怒っているからだろうか。
 腕組みをしながら彼を見下ろしていた紅葉は、最後にわがままを通す夜人の頭を軽く叩いた。
「麻奈から夜人の悪事は全部聞かせてもらったわ」
 悪びれない夜人に苛立ちが倍増する。腰に手を当てた紅葉は夜人の頭を棒で叩き続ける。夜人の頭を振ったらカラコロと軽い音がするに違いない。
 因みに、紅葉が握るその棒は、白亜に与えられたものだ。別れる間際、蓮夜に内緒で懐に忍ばせた。
「金輪際しないと誓いなさい」
「嫌だ」
 それまで大人しく紅葉に従っていた夜人だが、その言葉だけは首を縦に振らなかった。紅葉はムッと唇を尖らせて夜人を見下ろす。
「嫌じゃない。誓いなさい」
「いーやーだー」
 夜人は子どものように駄々をこね始める。紅葉は呆れた。
「聞き分けないこと言ってんじゃないの」
 まだ手にしていた棒で夜人の頭を叩こうとした。けれどそれは阻まれ、夜人につかみ取られる。わずかに焦って棒を引いたが、夜人は放してくれなかった。紅葉はさらに焦る。
「なにが嫌なのよ。夜人の部屋は向こうで、ここは私の部屋。不法侵入なのは夜人でしょう」
 犯罪組織を束ねる次期トップに『不法』もないとは思うが、紅葉は怒鳴った。
「夜人はもう、この部屋立ち入り禁止」
 言葉を強めると夜人の顔が上がる。視線が絡む。
「――嫌だ」
 それでも、夜人は同じ言葉を繰り返す。仕方ないので紅葉も繰り返す。だが、早々に飽いてため息を零した。
「駄目でも駄目」
「駄目でも嫌だ」
 埒が明かない。いつもの就寝時間はとうに過ぎていた。強まる睡魔に苛々が増す。大きくため息を吐き出した。
 正直、嬉しいが殴り飛ばしたいというのが本音だ。
 夜人の瞳は先ほどから変わらない真摯なものだ。言葉には承服できない強さが宿り、訴えるように向けられる瞳には熱が込められている。紅葉は逃げるように視線を逸らせることしかできない。
 白亜と結託し、夜人をこの場に残し、逃げるつもりなのに。夜人はそれを知らずにいる。
(言ってないのに気付かれても困るんだけど。それとも本気で突き放してやろうか)
 何度そう思ったことか。覚えていられないほど多くを試してきたが、そのどれも成功することはなかった。すべてにおいて都合よく曲解する夜人と、やはり最後まで突き放すことのできない紅葉の性格によって失敗している。
「あのね、迷惑なの」
「迷惑でもいる」
 紅葉のこめかみが引き攣る。
「蓮夜には怒られるし、安眠妨害されるし、怒鳴りすぎて喉痛いし」
「分かった。蓮夜には言っておく。見てるだけだから妨害はしてないし、これからは喉に優しい飴でも用意しておく」
 夜人の腹に紅葉の足が埋まった。
「そういう問題じゃないでしょうが!」
 怒りに輝く顔を、夜人は咳き込んで涙目になりながら見つめていた。夜人が両手を放したお陰で、紅葉の手には棒が残っている。それを突きつけながら紅葉は叫ぶ。
「夜人の顔も見たくない!」
 そろそろ声が限界だった。
 少しくらいは傷ついたかと、嫌な期待をしながら夜人を窺うと、彼は真剣な眼差しで頬に手を当てていた。哀しそうな瞳で、いったい何を考えているのだろうか。
 紅葉は少々胸が痛んだが、夜人を組織から連れ出すわけにはいかないのだから仕方がない、と言い聞かせる。
 長らく硬直していた夜人は恐る恐るため息を吐き出した。
 紅葉に視線を合わせて呟いた。
「俺って顔も見たくないほど不細工?」
「死ね、この馬鹿!」
 何度目かのクリティカルヒットが炸裂した。

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