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第三章

 【四】

 換気口はあるが、石造りの部屋は空気が篭りやすくなっていた。硝煙の匂いが鼻につく。咳き込もうとしたが堪え、その分涙が込み上げる。紅葉は悟られずにいようと前を見据えた。
 紅葉が歩く両側には、規則的に一定の距離をあけて鉄の扉があった。
 蓮夜の後を追いかけながらそれらを眺める。扉の隣には必ず小さな窓があることに気付き、紅葉は蓮夜に気付かれないよう腰を屈めて覗いてみた。
 小さな窓から見えた部屋の中はどこも一緒の間取りのようだ。ほとんどは射撃練習に使われていると思われていたが、中には刀を振るっている者や、特殊な小刀を投げている者などもいた。部屋の用途は多岐に渡っているようだ。
 ここが訓練場。
 紅葉は改めてその存在を思いながら蓮夜の後を追いかけた。
「今日の部屋はここだ。初歩的なものから扱えるようになれ」
 黒塗りの扉をあけた蓮夜に促され、紅葉は慌てて中に入った。
 足を踏み入れた瞬間、紅葉は小さく呻く。誰かが使っていたばかりなのだろう。部屋には硝煙が漂い、特殊な匂いが立ち込めていた。
 紅葉は意識して呼吸を繰り返し、部屋を眺めた。
 乱雑に置かれているあらゆる銃。カウンターは部屋の中央よりも少し紅葉寄りにある。カウンターの向こう側には広い空間が広がっていた。一番奥に目を凝らせば練習用の的が立てられていると分かる。人を模した的だ。
「時間になったら呼びに来よう。ここには俺よりも短気な監視者が大勢いる。不審な真似は慎むことだな」
 口では警告しておきながら瞳には揶揄が揺れている。口角を上げて笑う蓮夜には、紅葉がここで殺されようが構わないのだという意識しか感じられない。殺されるのなら派手に騒ぎを起こして退屈を紛らわせろ、ということなのだろう。
 蓮夜は義務的に警告し、紅葉が言葉を探している間に外へ出て行ってしまった。訓練のやり方の説明もない。最初から自分で覚えろということなのか。それとも、紅葉だから放置されるのか。
 呆けた顔をしていた紅葉だが、施錠の音が響くと顔つきを改めた。
(やっぱり信用なんてされてるわけないよね)
 部屋の中からは扉を開けることができない。外に通じる扉は一つしかない。
 紅葉は監視用の小さな窓を覗き、蓮夜が去ったことを確認するとため息をついた。
 部屋を振り返って首を傾げる。
 カウンターの隅には小さな箱がいくつか積み上げられていた。一つ持ち上げてみると意外に軽い。箱を開けてみると、紅葉にも扱うことができそうな、小さな銃があった。銃に寄り添うように薬莢も収められている。大きさの違う小さな箱を開けてみると、薬莢が沢山収められていた。
 箱を開けた瞬間、温かさすら感じる硝煙の匂いが強まり、紅葉は口を覆った。脳裏に甦ったのは母と逸れた路地裏だった。思えばあの日も、こんな匂いが町中に漂っていた。
 紅葉は慎重に銃を手にした。
 黒く鈍色に光るそれは紅葉の手に収まり、確かな重さを伝えてくる。銃身には紅葉の顔が映りこんだ。そこには見たことがないくらい歪んだ自分の顔がある。
 紅葉は奥歯を噛み締めて構えた。部屋の奥に立つ的に銃口を向けた。引き金に人差し指をかけ、引こうとしたが動かない。眉を寄せ、力を込めて思い切り引いた。
 撃鉄が上がり、撃針にあたり、撃針は薬莢を叩き出す。
 パンという軽い音が生まれた。それと共に、奥の壁に銃弾が当たる。シリンダーの回る音が紅葉の耳を打つ。
 的から大幅にずれて、壁には小さな穴が穿たれる。
 不意に――脳裏に甦った夢の内容。


 小さな紅葉。
 怒鳴り声を上げる白亜。
 薄笑いを浮かべて走り去る男たち。
 最後尾を務めていたのは若い蓮夜。


 気絶させられた紅葉は蓮夜に抱えられた。意識が朦朧とするなか、紅葉は彼から漂う濃い血臭を嗅いだ。

 紅葉は急激に胸を駆け上る嫌な気分に銃を取り落とした。
 嗚咽を堪えて口を覆い、その場に膝を着いた。


 夢のなかで母に伸ばした手はいつの間にか知らない男の腕をつかんでいた。
 母はどこに行ったのだろうと首を傾げて手を放そうとすると、見知らぬ男は蓮夜の顔になった。蓮夜の顔は更に変わり、牧師になる。そこには穏やかな笑顔が浮かんだが、紅葉は悲鳴を上げた。牧師は誰かの返り血を大量に浴びていた。
 紅葉はすでに手を放していたが、彼の腕はしっかりと紅葉を捕らえていた。紅葉は逃れようと必死に暴れる。
 振り返ると白亜がいた。声を限りに「助けて」と叫んだが、白亜は紅葉を見なかった。顔を伏せたまま背中を向ける。そのままどこかへ消えてしまった。
 絶望に暮れる紅葉の前に現われたのは、養護施設の子どもたちだった。笑顔で走って来る子どもたちに安堵した紅葉だが、自分の腕をつかむ牧師が残忍な笑みを浮かべるのを見て表情を変えた。
 牧師は銃を構えていた。
 紅葉が警告する間もなく牧師は引き金を引く。軽い音を立てて放たれる銃弾は子どもたちを容易く捉えて血の海を広げた。そのおぞましい光景に紅葉は震え上がった。
 子どもたちは何が起きているのか分からないまま次々に倒れて行く。
 最後に麻奈が現われた。
 紅葉は驚愕に双眸を瞠らせ「逃げて」と叫ぶが、麻奈もまた笑顔で紅葉に走り寄ってきた。
 牧師が構える銃口は何のためらいもなく麻奈に向けられた。
 紅葉は牧師の腕のなかで必死に暴れたが、牧師が揺るぐことはなかった。
 銃口が青い炎を吹き出したのを、ゆっくりと進む時のなかで紅葉は見た。麻奈の体もまた、先ほどの子どもたちと同じように倒れていく。
 紅葉は泣き叫んだ。
 麻奈から広がる血だけが異様に鮮明に映ってかぶりを振る。自暴自棄になり、せめて牧師だけでも倒したくて小さな拳を上げた紅葉は絶叫した。
 子どもたちの死体に銃を向けていた牧師は、いつの間にか夜人の姿をして微笑んでいた。

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