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第五章

 【五】

 蓮夜から新しく与えられた銃は、まだ成長途中の紅葉の手に余った。
 片手でつかむと肩に負担がかかる。黒光りする装甲を見つめて、紅葉は奥歯を噛み締めた。直接感じる重みとは別の負担を感じる。慣れる日が来ることなど想像したくもないが、慣れるまではかなりの筋力を必要とするだろう。
 紅葉は片腕で狙いを定めようとしたが、照準が不安定に揺れることに気付いて眉を寄せた。重みで腕が定まらず、もう片方をあてがってシッカリと目標を睨み据える。
「撃て」
 蓮夜の声を合図に連射。
 紅葉はためらわずに引き金を引く。反動で体がよろけたが、両足を踏ん張って耐えた。濃厚な硝煙の匂いが鼻腔に粘りつくようで嫌悪感が湧き上がる。
「あまり、腕がいいとは言えないが」
 目が眩んで瞼を閉ざしかけた紅葉は、その言葉にそちらを見た。
 気付けば蓮夜が側にいる。カウンターのパネルを操作して、紅葉が的にした物を手前に引き寄せる。
 組織の者たちが練習用に使っている的だ。
 それは人型にくり抜かれた等身大の板であり、人体急所が点々と記されていた。
 紅葉が撃ったのは三発。
 人型が銃痕を晒すのは肩に二発、鎖骨に一発。
 狙ったのは胸と額であるので、紅葉は喜ぶことも悲嘆することも出来ずに複雑な思いを抱え込む。
 紅葉に与えられたのはリヴォルバー型の拳銃。36口径の殺人銃だ。
「力が足りないんだ。ハンマーを上げて撃て」
 蓮夜に言われて、紅葉は銃を見下ろした。
 ダブルアクション式の銃は、引き金を引けば勝手に撃鉄が下りてくる。けれど常に引っ張られている撃鉄を指一本で起こそうとすれば、当然ながら力がいる。そちらに意識を向けてしまえば狙いが外れるのは当たり前のことだった。
 蓮夜は軽く鼻を鳴らし、的を元の位置に戻した。顎で前を向くように指示をする。
「撃て」
 構えていた紅葉は命じられるまま、残りの弾薬を使い切った。
 頭の中は空っぽで何も考えていない。命令のままに動く機械人形に扮している。硝煙の匂いが頭の奥を刺激した。
「まあ、いいだろう」
 黙々と薬莢を詰め替える紅葉を尻目に、蓮夜は的を引き寄せて頷いた。
 その声に紅葉は顔を上げる。
 一度目に使用した的は新しく替えられている。二度目に使用した的には、額と鎖骨の中心、そして右肩に銃痕があった。

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「自動銃は信用ができないからな」
 蓮夜は練習で使った銃と同じ形式の物を紅葉に与えた。
 それは広く普及しているリヴォルバー。シリンダーには六発の薬莢を装填できるようになっている。入っている以上の連射はできないため、撃ち終えれば取り替えなければならない。速度を重視する仕事では使えないと蓮夜は笑うが、今回はたった一人だけだ。その心配は無用だと冷たく嘲る。
 紅葉はどちらでも良かった。
 ベルトに取り付けられた銃を無感動に見下ろしながらそう思った。上着を被せてしまえば、ホルスターは外から見えない。
「夜人から何か訓練を受けていたのか?」
「え?」
 耳障りな金属音が響く中で問いかけられた。
 紅葉が上げた視線の先で、蓮夜も同じく銃を装備している。さすがに彼は手慣れた様子で、装備の手付きも滑らかだ。扱う銃も一回り大きく、構造も複雑そうである。一体何の武器なのだろうと紅葉は眉を寄せた。
「素人にしては姿勢が様になっている。一週間は必要だと思っていたが、杞憂らしい」
 紅葉は深紅の瞳を向けられて背筋を伸ばした。蓮夜の言葉を理解して表情を強張らせる。
 ――訓練など受けていない。夜人と共にいた時間は長いが、その時間は喧嘩か子どもたちと遊ぶかに費やされているかで、訓練などしたこともない。もし夜人が訓練に紅葉を巻き込んでいたなら、紅葉は口も聞かないほど嫌っていただろう。組織に入るつもりなど皆無だ。何より、夜人がそちら側の人間だと思い知らされるのが嫌だった。
「訓練なんて、受けてる訳ないじゃない」
「やはり夜人か」
「え?」
 憮然としながら唇を尖らせた紅葉だが、蓮夜はまるで紅葉の声を聞かなかったかのように自己完結した。
 訝るように見上げた紅葉を、深紅の瞳が見下ろした。夜人が一体なんだというのか教えて欲しかったが、彼の瞳に勇気が挫ける。訊ねることを憚られる雰囲気だ。どうにも踏み込めないのはこれから仕事に行くという緊張からだろうか。
 紅葉は知らずに拳を握っていた。
 そんな紅葉に夜人は少しだけ腰を屈めて囁いた。
「裏切るなよ、紅葉」
 硬く閉じた紅葉の瞼裏には闇が広がる。紅葉は強張る手を腰にあてる。銃は服越しにもしっかりと伝わってきた。それを確認して瞳をあける。
「夜人が助かるなら、裏切らない」
 蓮夜を睨み返した。
 ――名前や顔も知らない誰かよりも夜人がいい。何を犠牲にしてもやり遂げる。夜人に繋がる道を見失いたくない。
 紅葉は常に着せられていた服から、動きやすい服に着替えていた。白亜や蓮夜がまとうものと同じ形式の服だ。裾が少し長いのが気になったが、それだけで、動くには支障もない。
「……白亜は、今どうしてるの?」
 最後の準備を整えて部屋から出る間際、紅葉は訊ねた。
 何を言われているのか分からないように、蓮夜の視線が紅葉に刺さる。
「……いい。後で聞く」
 紅葉は蓮夜を押しのけて廊下に出た。あのあと白亜はどうしたのか、非常に気になったが、返ってくる答えが更に気になるものだったら、仕事に集中できなくなる。やはり聞かない方がいいだろう。
 廊下には相変わらず誰もいない。この廊下を蓮夜以外が歩くことはあるのだろうか。
 紅葉はそう思いながら足を速めた。
 次に戻る時、この部屋は放棄されているだろう。紅葉は組織専用の居住区へと移される。そこには白亜もいるのだ。
 紅葉は複雑な笑みを浮かべた。
 外へ出ると強い光が降り注いで眩しかった。硝煙にまみれた体が浄化されるような気がする。子どもたちは相変わらず無邪気に転げ回り、笑顔だというのに。
 子どもたちは、並ならぬ緊張を漂わせる紅葉と、滅多に姿を現さない蓮夜が近くを通る時だけ、遊びをやめて不思議そうに見送った。
 ――任務を終えて戻ってきたら、この子どもたちと遊ぶことはないだろう。
 紅葉は少しだけ寂しく思った。たとえ子どもたちが紅葉の罪を知らなくても、穢れた手で彼らに触れることは出来ないと思った。
 そうすれば組織はまた新たな子守役を見つけてくるのだろうか。
 麻奈が里子に出されると教えてくれた女の子が、不安そうに紅葉と蓮夜を見比べていた。その気配は感じていたが、紅葉はあえて無視をする。一度も視線を合わせることなく、足早にその場を通り抜けた。


 ―― et Apostohcam Ecclesiam ――
 使途継承の教会を信じ
 ―― Confiteor unum Baptisma ――
 罪の許しのためになる
 ―― in remissionem peccatonlm ――
 唯一の洗礼を認め
 ―― et expecto resurrctionem mortuorum ――
 死者の蘇りと
 ―― et vitam ventui saeculi ――
 来世の生命とを待ち望む


 おや、と牧師が振り返った。
 穏やかな笑みを向けられた二人は視線の先で足を止めた。蓮夜は紅葉を見たが、紅葉は牧師だけを睨みつけた。負けぬよう眦を強くし、武器が収まる服を握り締めている。
「今日が初任務でしたか」
「ああ」
 答えない紅葉の代わりに蓮夜が答えた。
 牧師の服装はいつも場違いに清廉だ。青黒い礼服を纏い、教会の中だというのに帽子を目深く被ったままで、彼は二人の前で腰を折った。
「ご武運をお祈りしておりますよ、紅葉」
「……心にもないことを」
 ようやく声が絞り出せると、牧師は笑みを深くした。皺の刻まれた目尻が強く歪む。一見すれば穏やかな好々爺に思えた。
「成功した暁には教会の鐘が鳴り響くでしょう。では紅葉、ごきげんよう」
 紅葉は最後まで聞かずに足を踏み出した。直ぐに蓮夜が後ろを歩く。
 ――初めて、自分の手で教会の扉を開ける。
 その瞬間、後ろから撃ち殺されるかもしれないと恐怖が湧いた。背後にいる蓮夜に、落ち着かない気分にさせられる。けれど、紅葉が扉に触れてもそのようなことにはならなかった。

 ――kyrie eleison

 不意に響いた声に振り返る。
 牧師の声は直ぐに消えて、微笑みだけが残っている。
 紅葉は軽く瞬かせて待ったが、他に言葉は続かない。意味は何かと問い掛けることも出来ない。
 遠い異国の言葉。紅葉には分からない祈りの一節。
 紅葉は不意に高鳴り出した心臓を抱えながら、教会の扉を開いた。

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