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第五章

 【六】

 教会を抜けて、中庭も抜け、目の前にそびえる石門を見る。
 組織の中から外を窺うことが出来ないように、大きな一枚岩が目の前に立ちはだかっている。
 扉らしい扉はないようだ。当然ながら鍵もない。
 岩と門との間は狭く、紅葉は門に両手をつきながら外へ這い出ようとした。
 向かうのは殺し合いの場所。
 それは分かっていたが、初めて組織の外へ出ることが出来る、と紅葉は弾む気持ちを抑えられなかった。軽い足取りで、足場を確認しながら大岩を通り抜ける。呆然と顔を上げる。
 初めて見る町並み。
 薄汚れた灰色の壁がそびえ、紅葉の視界を奪っている。
 組織の庭にいた時に見えていた空は、ここにはない。そびえ立つ建物が空を切り取ったように思わせ、元々くすんでいた空の色が、更に褪せて見えた。
 組織を出たらすべてが自由になると思っていた。けれど、道はこんなにも狭い。
 紅葉は道の先を見た。
 大きな石を並べてコンクリートを流された道。周囲にそびえる建物はやはり無人であるのか、住民の声は聞こえない。
「何をぼさっとしている。こっちだ」
 後頭部を叩かれて振り返ると、蓮夜は既に歩き出していた。慌てて追いかけながら建物を窺う。
 紅葉が想像していたものとはあまりにも違う。心の奥底にある淀みが、更に深くなった気がする。
「あまりそちら側を歩くな」
 振り返った蓮夜が眉を寄せながら告げた。紅葉も眉を寄せる。彼女が歩くのは組織側の壁沿いだ。対して蓮夜はその正反対、向側の壁に寄り添うようにして進んでいる。その様が普段の印象とは違っている気がした。
「なぜ?」
「組織の存在を疎ましく思う者もいる。そちら側を歩いていれば狙われるぞ」
 何を、と問うまでもなかった。さすがにそこまで理解できない紅葉ではない。
 紅葉のように組織側の壁沿いを歩けば、反対側の建物から狙いがつけやすい。狭い路地とはいえ、組織の門から出る者を一番狙いやすい場所なのかもしれない。
 紅葉は反射的に建物を窺ったが、当然狙ってくる者の姿は見出せない。まともな訓練も受けていない紅葉が見出せるようなら、組織の監視者は相当な馬鹿ということになる。
 巨大な無人の建物が今にも倒れてきそうで恐ろしくなった。
「……なら、門を出るたびに警戒してなきゃいけないんだ」
「任務に門は使わない。地下施設から移動する。今日は特別だ」
 紅葉は無言のまま蓮夜を見た。
 門をくぐる時、注意もなかったことに唇を噛み締めた。
 ――蓮夜についていけば、武器さえあれば、夜人は助かる。
 紅葉は腰のホルスターを確かめて蓮夜の背中を追いかけた。


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 夜人の血は鉄錆びた匂いがした。
 あたたかな空気が充満し、銃を持つ以上の嫌悪感が肌を粟立たせた。
 ――処刑は既に断行された。否、その引き金を引いたのは、私。
 紅葉は震えた。
 サイレンサーを取り付けていたけれど、響いた音は胸を震わせた。
 シングルアクション形式のリヴォルバーで、照準もそれほど外れないはずだった。
 腕にかかった強烈な反動に銃を取り落としたが、暴発することもない。
 そんなことを気にしている余裕などなかった。
 目の前に散った緋色が血であると、理解するのに精一杯だった。
 目の前に広がる闇に、散っていく赤と共に現われたのは――
「夜人……?」
 紅葉は震える声で呼びかけた。自身が放った弾丸が傷つけた、彼を。
 世界が回りだして、全てが色を失って、周囲の風景が滲んでいく。

「紅葉っ」
「裏切り者がっ」
「何をしておるのじゃっ」

 誰の声も響かない。
 目の前で倒れた夜人に視線を合わせたまま、紅葉は立ち尽くす。彼を中心に広がっていく赤い色を見つめている。
 抉れた右側頭部と、砕けた右肩。
 誰かが紅葉を抱き締めた。
「……死ぬの?」
 呟いた途端に世界が巻き戻された。
 そうして道はねじられて、砂時計は返され零れ落ち、メビウスは完成した。


  第一部 END

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