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第三章

 【三】

 なにかを擦るような重たい金属音が規則的に響いていた。
 白亜はその音に意識を刺激されて目を覚ました。
 ぼんやりとした視界。見慣れている天井の柄。いつもと違うのは背中に感じる寝台の柔らかさだけ。
 私はどうなったのだろう。助かったのだろうか。
 鈍痛が頭の奥に残っている気がした。
 白亜は眉を寄せながら体を起こし、額に手を当てる。じっとりと汗ばんでいるようで気持ちが悪い。また悪夢を見ていたのか、とため息を吐き出した。夜人が入ってくる前に気持ちを浮上させておかないと、奴に勝てる自信がない。
 そんなことを思いながら体を起こした白亜は呆然とした。
 ここは自分の部屋ではない。ここは蓮夜の部屋。私は紅葉ではない。私は白亜。
 白亜はすべてを思い出して薄っすらと笑みを浮かべた。目の前の光景が現実を教えてくれる。
 少し離れた場所には蓮夜がいた。彼は不機嫌な顔をしながら点かないライターを眺めている。先ほどから響いていた音はライターの着火音だったらしい。蓮夜は白亜が起きたことに気付かないまま何度か試している。
 やがて諦めたのか、蓮夜はライターを放り投げて煙草も捨てた。まだ火も点いていない煙草は灰皿に揉み潰される。蓮夜の視線が恨みがましくライターと煙草を往復した。
 そんな様がなにやら可笑しくて、思わず笑うと蓮夜が気付いた。
「起きたならさっさと血を流して来い。それ以上、俺の場所を汚すな」
 笑われたことが気に障ったのか、蓮夜の表情は険しさを増していた。白亜は彼の赤い瞳に動揺しながら寝台を下りる。寝台に手をついて、その柔らかさにも驚く。かなり寝心地のいい寝台だった。
 もしかして蓮夜がここに運んでくれたのだろうか。
 部屋を見渡せば白亜と蓮夜しかいない。他に人影はない。
 意外な行動に双眸を瞠り、白亜は蓮夜に視線を戻した。
「着替えなら奥に適当に入っている。早くしろ」
 声をかけようとした白亜だがその前に遮られ、急かされて慌てる。蓮夜が先ほど使っていたと思われる奥に急ぐ。
 一つ部屋を奥に入ると直ぐに扉があった。恐る恐る開いてみると、脱衣所らしき部屋が広がっている。
 蓮夜を振り返ってみたが、彼が動く気配はない。白亜は周囲を警戒しながら足を踏み入れた。温かな空気が体を包み、警戒心など取り去ってくれるかのようだ。
 蓮夜はなんのつもりだろうか。
 言われた通り、白亜は備え付けの棚から適当に着替えを拝借してそばに置いた。もう一つ磨りガラスを隔てた向こう側に顔を覗かせてみると、そこには湯気が立ち込めていた。視界が霞む。小さな浴槽にはしっかりと湯が張ってある。
 白亜は不思議な気分で見つめた。
 張られたお湯は綺麗だ。紅葉でいた頃は運ばれてきた少ない量のお湯で体を洗っていたが、今や量を気にしないでいられるほど豊富にある。腕を入れると少し熱いくらいで丁度いい湯加減だ。
 ただ夜人と過ごし、麻奈と遊んでいた日には想像もつかない現状。
 白亜は一度脱衣所に戻り、血が乾ききって固くなった服を脱ぎ捨てた。首からかけられた大粒の宝石が転がり出てきて胸で跳ねる。鎖骨よりもやや下に落ち着いた宝石に触れると、まるで体温が吸い取られてしまうような錯覚に陥り手を放す。
 これは伽羅の持ち物。
 白亜の手に渡り、メビウスを巡りながら紅葉の元へ辿り着いた。少しでも、メビウスが破綻する事実を刻みたくて。
 白亜は意識して宝石を握り締めた。
 寒さに震えながらその場にしゃがみこむ。
 カーテンのように頬を覆う髪からは強烈な臭気。生まれ育った故郷に漂っていたものと同じ匂いに顔をしかめ、そっと息を吐き出した。


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 組織から配給される服は大抵が男女兼用だ。至って単純で華やぎはない。ただ実用性のみを追求したものが多い。紅葉にももちろんそのような服が与えられていた。箱庭で遊ぶ子どもたちも同じだ。
 ただ、夜人や蓮夜だけは違うようだった。ときおり「なにそれ」と言いたくなるような服を着ていたときもあった。彼らは全てにおいて不自由などしないのだろう。
 そういえば一度だけ、夜人から服を贈られたことがあったと思い出す。
 淡いピンク色のレースをふんだんにあしらい、重たげに可愛らしさを強調するドレスだった。嫌味ではない光沢を乗せるドレスには興味があったが、自分が着るとなれば話は別だ。そんなもの着てたまるか、と盛大に喧嘩したときもあった。嬉しそうに服を差し出した夜人の顔は見る間に悲しげな表情に曇ったが、紅葉は譲らなかった。いったいどこからあのような物を調達したのだろう。
 思い出すだけで頭が痛くなってくる。
 白亜は額に手を当てて憂鬱なため息を吐き出した。
 男女兼用の単純な服を手早くまとい、白亜は部屋に戻った。
 時間はさほど掛けなかったはずだ。蓮夜は全く変わらぬ位置に座っていて、白亜は奇妙な思いを抱いた。彼はいったいどういうつもりなのだろう。
 風呂から上がった白亜を一瞥し、蓮夜は再び手元に視線を戻した。
 銃の点検をしていたらしい。彼の手には大きな銃がある。良く使い込まれているのが分かるように、銃を扱う蓮夜の手付きは慣れたものだった。骨ばった手に誂えたように似合う、大きな銃身。弾倉を置く重たい音が白亜を緊張させる。
「思い出した用事ってなに。私にお湯を使わせるために呼び戻したんじゃないでしょう?」
「もちろんそうだ」
 こびりついた血を洗い流し、白亜は本来の黒髪を取り戻していた。手入れとは無縁の日々を送ってきたため痛んでおり、長さも結構ある。紅葉であった頃は肩より少し長いくらいだったが、いつの間に伸びていたのか、今では白亜の腰半ばまでもある。
 蓮夜は銃に弾倉を込めながら笑って頷く。そして銃口を白亜に向けた。
 弾は入っている。目の前でそれを見ていた。
 白亜は双眸を見開いたが、逃げることはしなかった。奥歯を噛み締めるようにしながら蓮夜を睨んだ。そんな視線に蓮夜の瞳が緩んで笑みが浮かぶ。ただ単に照準を合わせてみたかっただけなのか、蓮夜は直ぐに銃を下ろした。
「恐らくお前の姉にあたるものだろうな。良く似た奴をおれは知っている」
「……姉?」
 白亜は眉を寄せた。
 弟がいたのは覚えているが、姉という存在は知らない。幾度も見た夢にも出てこなかった。
 蓮夜は白亜から視線を外し、再び銃の点検を始めてしまう。
 自動銃は、手動のリヴォルバー形式と違って扱いやすいが、故障の率も高い。万が一のことがあっては命に関わるため、点検は怠らないのだろう。
 そんな蓮夜の作業を見ながら『姉』という存在を思い出そうとした白亜は、ふと、紅葉が攫われた街で、白亜として蓮夜に会っていたことを思い出した。
 初めて出会った蓮夜は今よりもかなり若かった。そんな時に出会っていたなら、彼が姉と間違うのも無理はない――白亜は唇を引き結んだ。
「生きていたとしても、お前では年齢が合わない」
「もし生きていたら……どうするつもり」
 威圧するように鋭い深紅が白亜に向けられる。
 安穏とした先ほどまでの雰囲気を一変させるその視線に、白亜はたじろいだ。息を呑む。後退することだけは踏みとどまって一呼吸待ち、負けないように見返した。静かに告げる。
「貴方が殺したんだ」
 戸惑うように、蓮夜の視線がさまよった。

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