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第三章

 【五】

「紅葉とお前は以前からの知り合いか?」
 白亜の背中を冷たいものが流れ落ちた。喉が渇いて両手が震える。自分がとんでもない過ちを犯してしまった気がした。目の前に銃を突きつけられたような気分だ。
 硬直した白亜を見つめていた蓮夜は、ふと瞳を瞠らせた。しかし白亜がその表情を読み取る前に払拭される。外された彼の視線は教会に移動した。そこには十字架がそびえている。
「プロテスタント――反抗する輩」
「え?」
 小さな呟きは聞き取りにくい。何を指してそのような言葉が出てきたのか分からない。
 眉を寄せて聞き返そうとした白亜を、蓮夜は振り返った。そこには先ほどまでの感情の揺れはない。いつもと同じ無感動な鉄面皮があるだけだ。
「考えてみれば良く似ている」
 問うことは沢山あるが、どれもが言葉にならない。蓮夜から放たれる威圧感は白亜の反論を抑えこむ。見えない圧力が増したように感じた。
 瞳を瞠らせる白亜を見やり、蓮夜の瞳は侮蔑するように歪んでいく。
「姉の復讐かと思ったが、紅葉を取り戻すことがお前の目的か」
 その場から一歩も動けない。声を上げることも叶わない。誰かにつかまれているかのように、心臓が鋭い軋みを上げたような気がした。
 蒼白となる白亜をどう思ったのか、蓮夜は冷然とした瞳をさらに細めて白亜に向ける。
 何を言うつもりなのだろうか。
 本音を言えば今すぐに踵を返して逃げ出したい。しかし足は縫いとめられたように動かない。呼吸は知らず止めていた。限界まで止め、蓮夜の唇が動くのを見つめる。
 その直前だ。
「そいつも連れて行くつもりなのか?」
 蓮夜の声とはまったく違った声が割り込んできた。
 重たい装飾が施された教会の扉を押し開け、出てきたのは夜人だった。相も変わらず不機嫌そうだ。白亜を見つめる瞳は昨日と変わらない。
 しかし白亜は昨日とはまた違った意味で驚いた。重苦しかった空気が浄化されたように澄み、呼吸が途端に楽になる。その場の支配権が蓮夜から夜人に移る。いったいどんな魔法を使ったのだろう。
「足手まといは迷惑なだけだ」
 感動しかけた瞬間、夜人は無表情で言い切った。その後はそのまま去ろうとする。
 仕事なのだろうか。その足は教会ではなく外へ向かっている。
 普段と変わらぬ格好と態度だが、その瞳から白亜に対する興味だけが失われている。
 白亜は、蓮夜と二人だけでいたときには凍りついていた空気が急速解凍されたような錯覚に陥った。言葉が意味として染み込んだ瞬間、叫んでいた。
「どういう意味よっ?」
 蓮夜の脇を抜けて追いかける。肩を怒らせる白亜に、一瞬だけ夜人の視線が向けられる。しかしその視線は直ぐに前に戻った。
「自分が使えるとでも思っているのか、お前」
「夜人みたいな馬鹿よりよっぽどマシよ!」
 歩みを止めることなく進む夜人の隣に並び、怒鳴りつけてやると片目を塞がれた。どうやら頭に響いたらしい。耳元で怒鳴った甲斐があるというものだ。
「邪魔なだけだ。大人しく帰れ」
 軽く肩を押された白亜はよろめいた。夜人はその隙に先へ行く。そんな態度に納得がいくわけがなくて、白亜は強引にその腕をつかんで振り向かせた。蓮夜相手にはできない暴挙だが、夜人であればこんなにも簡単に自然体でいられる。彼の胸倉をつかんで顔を覗き込むように近づけると、夜人の瞳が大きくみはられた。次期トップを約束されている彼に、そのような暴挙を働く組織の者はいないのだろう。
「邪魔なだけなら遠慮なく撃ちなさいよ!」
 この至近距離なら避けられない。白亜はそのまま、思い切り頭突きした。
 即座に両手を放して歩き出す。もちろん、夜人よりも先に外へ出てやる、と良く分からない競争心を込めて。
 きっと予想できなかった攻撃なのだろう。振り返る白亜の瞳に、顔を押さえてうずくまる夜人の姿が映った。ざまあみろ、と胸中で舌を出してやる。そんな夜人に蓮夜が近づき、その顔が白亜に向けられた。白亜は慌てて前を向く。彼の存在をすっかり忘れていた。
 夜人の登場でうやむやになってしまったが、蓮夜はあのあと何と言葉を続けるつもりだったのだろう。聞きたいが、聞きたくないような気もしてしまう。どちらにしても今更聞き返すには機を逃していた。
 白亜は滲んだ涙を拭って石門をくぐりぬけた。以前は夜人を殺すことになってしまったけれど、今度こそはと決意を新たにする。背後で焦る気配を感じたが、白亜は追いつかれる前にと速度をつけて外に飛び出した。
 ――普段の仕事に石門は使わない。
 追いついた夜人に思い切り馬鹿にされ、蓮夜にまで嘲笑され、白亜は再び組織のなかに戻ることになったのだが、それでも決意は変わらなかった。
 外見が変わったくらいで気付かない夜人は本当に馬鹿だと思うけれど。絶対に助ける。あのような悪夢は繰り返させない。
 諦観したような夜人と蓮夜に案内され、地下空洞へ入る。そこが仕事用の出口らしい。冷やされた空気は何十年も前からその場にあったと思われる。白亜はそこで深呼吸を繰り返し、二人の後を追いかけた。
 組織の仕事。紅葉でいた頃は拒否ばかりしていたけれど、もうなりふり構ってはいられない。
 白亜は組織の大掛かりな惨劇の舞台へと、自らその身を投じるのだ。

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