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第四章

 【一】

 どこからこれほどの人が集まったのかと思うような社交界。
 ヒラリと舞った編み紐は淡い桜色で、まとう衣装はさながら蝶。歩くたびに視界で揺れる。絢爛豪華な衣装を誇らしげにまとい、艶やかな口許を扇子で隠す貴婦人がいれば。灰色のスーツに身を包んで誠実さを示す紳士がいる。誰もが笑顔でその社交界を楽しんでいる。
 集う皆に共通するのは仮面をつけていることだった。
 千差万別。色も形も大小様々な仮面で目元を隠し、誰とも知らぬ他人と笑み交わす裕福な人々。いわゆる貴族たち。
 殺されるとも、知らないで。
「お嬢さんは何をお待ちかね?」
「素敵なショーの始まりを」
 黒い清楚なドレスに身を包んでいた白亜は微笑んだ。目立たぬよう、壁に重なるように背中をつけて舞台を眺めていたのだが、逆に男性の目に留まってしまったらしい。見上げれば白髪の男性が微笑んでいた。口髭を蓄えた彼は他の者と同様、仮面をつけている。
 白亜もまた仮面をつけている。初めて刷いた口紅が、いまだ馴染まない。それでも艶やかな唇は綺麗な弧を描いて男性を魅了した。憐憫は仮面の中だけで展開される。
「そうか。素敵なショーをね」
「ええ。素敵なショーを」
 彼はこの言葉が何を意味しているのか知らない。
 手にしていたグラスを回すとワインが揺れる。気付いた男もグラスを掲げた。
「今宵の貴方に祝福を」
 誰もが口に乗せる、お決まりの文句。二人はグラスをカチンと合わせ鳴らせて微笑んだ。
 男は再び話しかけようとしたが、白亜の視線が別のところに向けられ、諦めたようだ。グラスを掲げてそのまま離れていく。白亜はそっとため息をついた。彼の背中が他の人々に紛れてしまってから小さな笑みをつくる。
 白亜は再び壁に背中をつけた。ワインなど口をつけもしない。
 固定された笑顔。固定された台詞。
 人の輪から外れて観察していれば良く分かる。
 この集まりを純粋に楽しむ者と、これから起こることに緊張をみなぎらせている者と、雰囲気は二分されていた。それでも交わす笑顔は皆に共通し、完璧だった。
 ――これらが総じて夜人を助けることに繋がるのなら。
 私のなかで、これはすべてしなければいけないことだから。夜人を助ける通過点にしかならないものだ。
 組織の者たちは漆黒のスーツに漆黒のドレス。仮面の色も漆黒で、同じデザインで統一されている。なぜ誰も共通点に気付かないのか、白亜には不思議だった。
 そうして、惨劇のときは訪れる。
 形式的にワインを持って佇んでいた白亜の視界に、最初に上がったのは鮮やかな血飛沫だった。合図となりそうな悲鳴はない。けれどもその色が舞台を彩った瞬間、黒い群れは動き出した。洗練された動きで次々と新たな緋色を操っていく。
 何が起こったのか分からぬようにその場から動かない者たちへと容赦なく武器を向け、人形のように命を狩り続ける。やがて残った少数が、ようやく事態を把握したのか出口に向かって突進し始めた。
 入口近くの壁に背中をつけていた白亜は、笑顔のまま体を起こした。
 笑顔という仮面はなんて便利なものなのだろう。私の心をこんなにも包んでくれる。
 引き金を引くと同時に、手から離れたワイングラスは回り落ちる。小さな音を立てて、床で砕けた。


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 腹の探り合いをしながら歓談していた皆は、途端に驚きさざめいて恐慌状態に陥った。攻撃に転じる者、逃亡を謀ろうとするもの、綺麗に二分された。
 けれど護身銃を出そうと懐に手が伸びた者から順々に倒されていく。組織の狙撃手たちは優秀だった。また、二階席から狙撃する彼らに負けず、接近戦で銃剣を振るう者たちも優秀だった。一発で確実に仕留めていく。
 何人が潜入していたのだろうか。白亜にも数え切れないほどだ。命が一瞬ごとに消えていく。
 銃声が響くたびに倒れていく者たちを横目に、逃亡者たちは扉に走っていた。
 だが組織の者たちが封鎖している。
 逃げることもできないと悟った者たちが取る行動は様々だった。
 放心したまま殺されていく者と、何としても生き延びようと抵抗する者と。ここでも行動が二分される。弱そうな者から突破していこうと試みる。いったい何人が扉まで辿り着けるのか。他者を扉まで走らせるために己の身を犠牲にしてもいいという輩がこの場にいるわけもない。
 白亜は自身に襲い掛かろうとする者たちの前で、冷静さを失わなかった。静かに銃身を上げて狙いを定める。一人ずつ引き金を引いていく。まるで命令を刻み込まれた機械人形のように冷然と倒していく。
 濃い血臭が鼻を刺し、紅に霞む視界に眩暈がした。
 それでもただただ、リヴォルバーからオートへと武器を変えた白亜は引き金を引き続けた。あれほど蓮夜たちに対して抵抗を続けていたのに、一度引き金を引いてしまえば簡単なことだ。
 これはなんでもないこと。ここにいるのはただの白亜。すべての穢れは白亜が引き受ける。
 何も知らず麻奈たちと過ごしているだろう紅葉に、思いを馳せながら白亜は引き金を引き続けた。一歩だけ後退する。周囲の援護射撃があるとはいえ多勢に無勢だ。生き残っている者たちすべてが白亜に向かおうとしている。
 組織の識別服をまとう白亜。その身に手が伸びる前に、狙撃手たちが倒そうと意識を向ける。しかし乱戦になり白亜を巻き込む可能性が高い。
 仲間意識など冗談ではないけれど、白亜を援護しようとする銃弾は減っていた。
 白亜は小さく舌打ちする。死に物狂いで向かい来る人々が恐ろしくなる。空になった弾倉を取り替えようとする暇もない。体面も良心もかなぐり捨てて、生きることに躍起となった人物たちの爪が白亜の服にかかった。
 白亜は次に来るだろう衝撃を予想して思わず瞳を閉じてしまう。けれどそうはならない。眼前で炎が散り、まさに白亜に手をかけていた一陣が倒れこむ。
「馬鹿が。動きながら撃つこともできないのかお前は」
 何が起こったのか分からぬまま、それでもその隙に素早く弾倉を取り替えた白亜は苛立った声を聞いた。
 隣に並んだのは蓮夜だった。
 もしかしていま助けてくれたのは蓮夜だろうかと思い、否定する。倒れた方向から推測すれば、結果的に白亜の援護を行った者は部屋の奥にいることになる。蓮夜が出てきた方向ではない。
 白亜は探ろうとしたが、新たな人物に飛びかかられてそれどころではなくなった。詰め直した銃で再び屠り出す。
 生き残っている者はあとわずかだ。
 蓮夜が人波を撃ちとどめている間に扉を開き、白亜は新鮮な空気を取り入れた。その刹那に突き飛ばされる。背後で轟音が響き渡った。空気が震動し、倒れた地面も鳴動する。閃光に瞳を固く閉じる。
「走れ!」
 背後を確かめている暇もない。白亜は突き飛ばされるようにしながら走り出す。
 その背後では大罪が悲鳴を上げる。
 惨劇を繰り広げた舞台は轟音を上げて燃えていた。


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 白亜は広い通りをひた走っていた。
 吹き上げる炎に巻き込まれぬように。我先に走ろうとする避難民たちに巻き込まれぬように。何も知らず、別の建物から避難する者たちの群れに紛れながら走っていた。
 その群れの中には組織の識別服をまとった者たちも何人かいた。彼らは走りながら識別服を脱ぎ捨てて集団に紛れ、直ぐに他の者たちと区別がつかなくなった。
 蓮夜に言われるまま、白亜もドレスを引き裂いて外套を羽織る。顔の返り血は汗に流れて消えていた。
 ――耳の奥で何かが叫んでいる。声にならぬ声で、必死になって。
 血に染まった真紅の手の平。もう二度と、洗い落とせない。
 背後で逆巻く罪など振り返りもせず、誘導されるままに走り続けた。
 白亜はふと嫌な予感を覚えてその場から飛び退いた。
 刹那、響いた発砲音。
 炎を掻き消すように鋭く響いたそれは、避難民すべての進行を妨げ、同時に飛沫が舞い散った。終わったはずの悪夢が再び幕を上げようとしている。
 素早く路地へと転がり込んだ白亜の瞳に焼きつく真紅。
「頭の悪い」
 白亜と同じく、蓮夜も狭い路地に飛び込んでいた。小さな舌打ちが零される。その間にも真紅はとどまることなく吹き上がっていた。
 あれほど陰惨に集った皆を殺しておきながら、まだその被害を広げようとするのか。
 白亜は蒼白になりながら座り込んでいた。さきほど銃弾から逃げられたことが奇蹟に思えた。
 頭を圧迫されているようだ。更には、何かにキリキリと締め付けられているようだ。
「大した者たちではないな」
 スコープを取り付けた蓮夜は路地から顔を出し、そう呟いた。
 白亜は通りに視線を向ける。
 いまだ勢いを増して広がる炎と、その周辺の建物からあふれ出してくる人々が逃げ惑っている。その中でも、蓮夜たちが属する組織の識別服をまとう者だけが狙われているようだ。捨て遅れた者はもちろんのこと、明らかに一般人と区別がつかない組織の人間も殺されていく。識別服を捨てる場面から見られていたのだろう。
 今回の襲撃情報が洩れていたのだろうか。それともとっさの寄せ集めだろうか。それはまだ分からない。弾道から狙撃手の居場所を特定し、蓮夜はすぐに指示を飛ばした。組織の者たちには全員に小型無線機がつけられている。
 蓮夜の指示に全員が従った。白亜たちを狙った襲撃者たちは逃げる間もなく殺されていく。紅蓮にうなる炎と、暗澹たる暗雲と、その下で行われる殺戮が、白亜の瞳に焼きついた。
 ――キレイ。
 そこに人の思惑が渦巻いていなかったから、素直にそう感じることができただろうに。
 押し潰されそうな嫌悪感に思わず口許を押さえる。気付いた蓮夜が冷笑する。
「死にたくなければ銃を取れ」
 空となった弾倉を詰め替える。その命令に従うことが当然であるかのように、白亜は銃の状態を確かめた。
「走れ!」
 角から窺い見た大通りには緋色しかない。それ以外の色を探しだす方が困難だ。
 世界はすべてが紅蓮に染まる。
 狭い路地から飛び出して、こちらを狙おうとする者たちの気配を感じればそれを避けて反撃する。自分が反応できることが酷く不思議だった。
 瀕死だがまだ尽きてはいない者たちが上げる怨嗟のなか。死ぬ瞬間の者たちが思うことは何だろう。生きたいという本能に尽きるのだろうか。
 修羅を燃やす人々の視線が突き刺さる。
 白亜は心を奪われることもなく走り続けた。



 走って、走って、巡り巡って。
 壊れた人形のように両手を大きく天空に広げて、この体に夢幻の命を湛えよう。
 伽羅。
 人が生き抜くために。
 私はまだ、巡り続ける。

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