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第五章

 【三】

 鈍い金属音と共に息を呑む気配。いつまで経っても覚悟していた瞬間が来ないことに、白亜は詰めていた息を吐いて瞳を開けた。
 そして海斗の背後に見えた真紅の痩身に、瞳を大きくして口を開いたが。声が全く出てこない。
「……弱者が強者に従うのが絶対ならば、今すぐそいつから離れろ」
 先ほどまで白亜を追い詰めていた海斗の声ではなかった。加担も救出もしようとしなかった周囲の誰かでもない。
 聞き慣れた低い声に白亜はしゃくりあげるように大きな息をついた。海斗はこめかみに銃口を突きつけられ、強張った表情で振り返ろうとする。しかし動こうとした瞬間、突きつける力が強まったようで、海斗はそれ以上動こうとはしなかった。
「てめぇ、蓮夜……っ」
 うめくように海斗がしぼり出す。
 銃を突きつけている蓮夜は壮絶な笑みを浮かべて周囲に視線を向けた。それだけで周囲も引いていく。
「さっさと離れろ」
 言われるがままに、海斗は白亜から離れた。白亜はようやく起き上がる。大きく裂かれた服を重ねて縛り、応急処置を施した。
 その作業中も手が震えたけれど、なんとかやり終えることが出来た。
 立ち上がろうとするがが上手く立てない。恐怖は直ぐに消えるわけでもない。
 荒い息をつきながら、首からかけていた宝石を服の下に戻して。
「……白亜は俺の隣であの銃撃戦を生き延びた奴だ。命令は下っていると思うが」
 白亜が顔を上げると二人は既に睨みあって対峙していた。深紅の髪をきらめかせながら銃口を向け続ける蓮夜の言葉は淡々としている。
 立ち上がれば蓮夜は構えを解かぬまま視線だけで白亜を確認する。その隙を狙ったのか、海斗が素早く懐から銃を取り出し構えようとした。――それよりも早く反応した蓮夜に撃たれて銃が舞った。
 暴発の危険性に周囲がざわめく。
 幸いにも銃は暴発したりせずに床へ転がり、一瞬の危険が過ぎ去ると周囲は再び冷静さを取り戻した。
「てめぇ……撃ちやがったな……」
 育ち行く憎悪。銃を弾かれた衝撃で指を痛めでもしたのか、海斗はしゃがみ込んで両手を庇っていた。
 酔いはスッカリさめたらしい。双眸を血走らせながら蓮夜を睨みつけている。
 対して蓮夜は全く動じず、冷めた瞳で海斗を見下ろす。海斗はユラリと立ち上がった。
「組織内での私闘は」
「先に破ったのはお前だろう。狙撃手でもないのに後ろへ下がった臆病者が」
 それが先日の大規模な掃討を指して言っていることは分かった。蓮夜の目の前、海斗は怒りのあまりに顔が白い。
「ガキのお守りしか出来ねぇお前はなんだっていうんだ」
 しぼり出した海斗の声に、蓮夜はフッと笑いを吐き出した。紅葉のことか、夜人のことか。
 先ほどまで訳が分からず蓮夜と男のやり取りを聞いていた白亜は、その言葉に片眉を上げて口を尖らせ海斗を睨みつけた。
「ただのガキか、確かめてみるか?」
 挑発的に言った蓮夜は銃を構えて引き鉄を引いた。
 向けたのは海斗にではなかった。
 漂う緊張に固唾を呑み、蓮夜と海斗のやり取りを見守っていた白亜に向けて、だ。
 一瞬の出来事。
 蓮夜の救いがまだ信じられずにいた白亜は、その蓮夜に銃を向けられ、事実を飲み込めなくて反応できなかった。蓮夜の指が引き金を引くのを呆然と見ている。その部分だけがやけにゆっくりと感じられた。
 逃げるか応戦しなければ、と頭の隅では考えた。けれど体は恐怖から立ち直っていないようだ。足が動かない。懐に忍ばせていた唯一の武器も、海斗にどこかへ飛ばされている。
 蓮夜の唇が笑みを刻む。親指が撃鉄を上げる。引き金にかけられた指が、限界一杯まで引かれる。
 きっと白亜は何が起きているのか分からず、戸惑ったまま、敵だらけの状況のなかで死んだのだろう。
 そうなる、と誰もが思ったはずだ。
 けれども。
 蓮夜の銃声と共に別の銃声が響いた。
 白亜に向けられていた銃口は、火花を吹き上げる前に逸らされた。銃弾は軌道を変えられ、天井付近に穴をあける。天井からは細かな埃がパラパラと落ちてきた。
「ほらな」
 そうなることが分かっていたかのように蓮夜は驚いていなかった。唇を歪めて笑い、肩を竦める。白亜は彼の視線を追いかけて恐る恐る振り返った。壊れた機械のようにぎこちない。もう一つ響いた銃声の方向に首を巡らせる。
「仲間内での殺し合いも禁止されているはずだな、蓮夜?」
 人垣が割れた。誰もが恐怖に顔を強張らせて振り返る。
「殺しちゃいないさ」
 揶揄するように蓮夜は鼻を鳴らした。白亜はようやく事態が把握できてきて、しゃくりあげるように大きな息を一つつく。視線の先には夜人がいた。彼は銃を構えている。
 先ほど蓮夜の殺意から白亜を救ったのは夜人だ。
 彼は険しい表情で騒ぎの中心に歩いてきた。恐怖で腰が抜けたように座り込んでいる白亜の腕をつかみ、立ち上がらせた。
「俺が止めなければ殺していただろう」
「こいつが死なないのは確信していた」
 二の腕をつかまれ、無理に立たされた白亜はその痛みに顔をしかめた。しかし夜人は気にする様子も見せない。視線が白亜に向けられることもない。険しい表情のまま蓮夜と相対している。
「さっきお前がこの部屋に入ってくるのを見ていたからな」
 嘲るような蓮夜の言葉に夜人は「なるほど」と小さく笑った。そして気配は鋭く変化する。
「なにが言いたい、蓮夜」
 夜人が銃口を蓮夜に向けた。笑みは瞬く間に塗り替えられた。先ほどから痛いほど緊張と悪意が張り詰めている。白亜は吐き気と頭痛に顔を歪め、夢現のように二人を眺めていた。
 ――夜人が私を助けてくれた。
 それだけが胸に染み込んでいく。胸が潰れそうに痛い。
 蓮夜は銃口を突きつけられたままどこか投げやりな笑みを浮かべた。銃の存在など目に入っていないかのようだ。
「どうぞお部屋にお戻りくださいませ、夜人さま?」
 慇懃な態度と言葉で退室を促した。

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