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第五章

 【四】

 蓮夜の言葉に、夜人の放つ空気が鋭さを増したような気がした。二の腕をつかまれていた白亜は、その力が強まって顔をしかめる。悲鳴を上げかけたが必死で歯を食いしばった。
 そんな白亜の様子に夜人は気付かないようだ。険しい表情のまま蓮夜を睨みつけていた。
 先ほど蓮夜に脅されていた海斗は、夜人の登場に蒼白となって後退していた。海斗の仲間らしい、別の男たちの輪の中へと身を隠す。白亜はその一部始終を観察した。夜人がそばにいる事実だけで心が軽くなり、周囲を確認する余裕も生まれる。
 蓮夜と夜人を囲むように広がる人の輪。先ほどまでごった煮状態だった人々は固唾を飲んで二人の動向を見守っている。彼らの表情は実に様々だった。
 いまさらながら、白亜は夜人たちの立場を実感する。周囲が二人に向ける視線は“畏怖”だった。
「この前の指令の日に助けたのもお前だろう? こいつが一人で扉を守るには無理があったからな。死んでもいいと思っていたが、お前が守るとなれば話は別だ。だから余計に話がややこしくなるんだ」
 嘲るように鼻を鳴らした。蓮夜はそれだけ言うと興味を失くしたように銃を下げて歩き出した。人垣が割れて彼のために道を作る。それを確認して夜人も歩き出した。白亜の腕をつかんだまま、部屋から引きずり出すように。
 夜人の力には一片の優しさもないような気がして白亜は何も言えない。ただ黙って彼に従い、廊下に連れ出される。途端に全ての騒音が遮断されるような感覚に陥った。
 廊下には蓮夜の姿があった。彼は振り返りもせず、歩いて行ってしまう。
 夜人は蓮夜の背中を見ながらしばらくその場で佇んでいたが、やがて蓮夜が向かった方向とは逆の方向へと歩き出した。


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「蓮夜が言ったのはどういうこと?」
 夜人の歩幅は大きい。白亜が合わせて歩こうとすれば早歩きになる。
 腕をつかまれたままだった白亜は、つかまれた箇所から指先までが冷たくなるのを感じながら夜人を追いかけていた。追いかけるというより引きずられていると言った方が正しいかもしれない。
「あのとき私を助けたのはもしかして」
「お前には関係がないことだ」
 しばらく進んだ廊下で冷たく遮られた。
 ――紅葉をここから連れ出すため、夜人を死なせないため、すべての穢れは自分が引き受けると覚悟して引き金を引いた、あの夜。狂乱する人々に殺されかけたのを助けたのは蓮夜ではなかった。先ほどの言葉から、それはもしかして夜人ではなかったのかと問いかけたのだが、返答は冷たい。
「関係ないわけ、ないじゃない」
 夜人の言葉に胸が痛むのを感じながら睨んだ。赤みがかった黒い瞳が白亜を振り返る。
「私のことよ。何がどうなってるのか知っておく権利があるわっ」
「権利があっても知る力がお前にはない。知る術もない。ここでは弱者は何もできない」
 いっそ清々しいほどの断言だった。
 夜人に合わせて歩いていた白亜は荒い息のまま「ああそう」と低いうなり声を出し、自分の腕をつかんでいる夜人の腕をつかんだ。何をするつもりかと訝んだ夜人は足を止め、そのまま振り返る。
「何もできないと思ったら大間違いよ。私は何かをするためにここにいるんだからね!」
 怒鳴り声と共に白亜は夜人の腕をつかむ力を強くした。力いっぱい床を蹴る。そして、振り返った夜人に頭突きした。いや、白亜の目論み外れて顎だったが同じようなものだ。白亜の得意技だった。
 夜人は全く予想していなかったのだろう。
 かなりいい音がして、二人は対極にある磁石のように分かれ、しゃがみこんだ。
「――っの、なにするんだよっ?」
「るっさい馬鹿! 見なさいよこの腕! あんたが加減もしないから血が止まってたのよ、冷たいの、痺れてるの! 私の腕を使い物にならなくさせる気なの夜人は!」
 顎に当たったため、頭が割れるように痛い。白亜は涙目になりながら二の腕を示して見せた。夜人の馬鹿力でつかまれていたそこには痣が残っている。しっかりと手の形をしたあざだ。その周辺の肌も、どこか血色を失って色が悪い。
 夜人はしゃがみ込んで顎を押さえている。白亜は即座に立ち上がり、怒涛の勢いで怒りを吐き出していた。
 夜人はその怒りを聞き流したあと、何を言われていたのか分からないように瞳をきょとんとさせて、ポンと両手を打ち鳴らせた。
「悪い」
「なによその『今思いつきました』みたいな態度はーっ!」
 誠意が感じられないその態度に白亜は当然、怒鳴る。つかつかと夜人に詰め寄ると、胸倉をつかんで顔を近くに引き寄せた。
「絶対悪いと思ってないでしょうっ。もっと誠意を見せて謝りなさいよ!」
 鼻息荒くそう怒鳴りつけると、夜人は「それもそうか」と何でもないことのように呟いた。何を思いついたのか白亜の両手を服から剥がす。先ほど白亜が示した痣に口付けた。
「お前の誠意はそれなのかーっ!」
 素直に見守っていた白亜は怒りに震えた。次期トップの頬に鋭い往復ビンタが飛ばされた。それを咎めるような人物は、廊下に誰一人として存在していなかった。

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