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第六章

 【四】

 蓮夜に伴われながら組織までの道のりを歩き、前を歩く彼の後姿をぼんやりと見つめていた。
 先ほどまであんなに確かにこの現実を感じていたのに、過ぎ去ってみれば夢だったかのように曖昧で明瞭としない。目の前の蓮夜が弱音をさらけ出したと見えたのは気のせいだったのか。向けられる背中は拒絶とも受け取れた。
 自分がここに居ることが不思議な気がして。白亜は無意識に胸の宝石を握り締める。
 ――本気で、私を止めると言った伽羅。
 紅葉として夜人に守られていた頃のことを思い出し、顔をしかめた。
 絶対――これは、まだ渡せない。
 見つけたら伽羅に渡してあげようと思っていたのに今はまるで正反対のことを思っている。
 皮肉に思えて、自嘲するように笑うと蓮夜が振り返った。
 組織の石門は既に見えていて、ようやく戻ってこれたのだと安堵する。今まで安堵など覚えることは決してなかったのに、次第に自分の気持ちが変わっていくようで――酷く、怖い。
 振り返った蓮夜の姿を視界に入れて、白亜は一度意識して瞬きした。
 立ち止まり、白亜が近づくまで待っていてくれる。こちらを振り返る蓮夜の瞳は、今まで感じていたものとは全く違うもののような気がした。これは主観が変わっただけなのだろうか。それとも蓮夜自身も変わったのだろうか。
 白亜は思わず胸が痛んだ。
 絶対の一人を作ることと、何者にも心を許さず弱みを作らないことと、彼らにとって幸せなのはどちらなのだろう。
「紅葉を連れ出すのか」
「え?」
 予想もしていなかった言葉に目を瞠った。
「妹なのだろう?」
 本気で思っていると取れるその言葉に白亜は肩を落とした。
 ――夜人といい蓮夜といい、馬鹿なんじゃないだろうか。
 何十年も経っているというわけでもあるまいに、なぜ誰も相似点に気付かないのか。白亜は引き攣りかけた頬を抑えて蓮夜を見た。
「……私と紅葉は、似てる?」
「似ていない」
 組織の石門の前で、そんな会話を交わす。蓮夜の答えに白亜は目を瞠った。
 自分の目から見れば紅葉は自分に瓜二つであり抹消したい過去の古傷なのだが、やはり主観と客観は違うということか。
「お前の目は」
 手を伸ばされて少し体を引いたが、蓮夜は気にした様子もなく白亜の頬に触れてくる。頬骨に力を乗せ、覗き込むように。
「俺たちと同じものだ」
 目を瞠った。
 心臓をつかまれた気分で何も返せなかった。
 白亜が立ち尽くすのを見て、蓮夜は緩く口の端を持ち上げた。そしてそのまま背を向けて石門を潜り抜ける。そうして潜り抜けて、もう一度白亜を振り返った。
「だが、紅葉を連れ出せば裏切りだ」
 先ほどまで浮かべていた笑みを払拭させて、蓮夜の瞳は今静かに冷たい。黄昏に浮かぶ赤い月のように虚ろで不安を呼び起こす。
「裏切るなよ、白亜」
 既視感を感じてしまったのはなぜだろう。
 もう振り返らずに組織へと消えていく蓮夜を、白亜は黙ったまま石門の外から見つめていた。


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 組織の敷地内。
 蓮夜と別れ、箱庭で遊ぶ子どもたちを眺めながら丘の上でボンヤリとして、紅葉の姿がないことに気付く。麻奈の姿はあったのだが、紅葉と会ってはいないのかその姿は寂しそうなものだ。
 遊ぶ子どもたちに姿を見られない場所から眺めていたため気付かれることもないが、紅葉の姿がないことが不安を呼ぶ。
 ぼんやりと子どもたちを眺め、立ち上がり。普段しているように建物へと近寄り見上げた。
 ――どこへ行こう。
 紅葉の部屋へと行ってみてもいいのだが、そのことが何に影響するのか分からない。先ほども蓮夜に釘を刺されたばかりだ。
 白亜はどうやって時間を潰そうかと歩き出し……やはり紅葉が入れられていた居住区の近くまで来た頃、白亜は何だかいつもと空気が違うような感覚に陥って周囲を見回した。
 誰もいない廊下。一定間隔を置いて付けられている蛍光灯は薄暗い明かりを放っていて、それだけならいつもと変わらないものなのに。
 何だか落ち着かない。
 誰が騒いでいるわけでも無いと思うのだが、白亜はザワザワとする胸を押さえてその場に立ち尽くした。
「なんだろう」
 伽羅がいるのだろうか。
 段々人間離れしてきてしまった今の状態に苦笑を洩らし、次の刹那白亜は息を呑んだ。
 夜人の部屋に繋がる扉が開いている。
 どうやら無意識に白亜は夜人の部屋へと向かっていたらしく、白亜は駆け寄った。脳裏に浮かぶのは、建物の地下で倒れていた夜人だ。何があったのかと考える余裕もなく心臓が激しく音を立てた。
 ――まだ、まだ大丈夫のはずだ。こんなに早く何かが起きてしまうなんてまだあり得ない――そのはず。
 背中を嫌な汗が伝い落ちるのを感じながら白亜は唇を引き結んだ。扉に手を掛けて部屋の中を覗き込んだが夜人の姿はない。
 けれどその代わり。
「無茶すんなって!」
 夜人の怒鳴り声が聞こえて首を竦めた。
 どこから聞こえたのだろうと視線を巡らせ直ぐに気付く。
 夜人の部屋へとそっと足を踏み入れ扉を閉めた。視界には見慣れた情景が広がっており、思わず安堵の吐息を洩らす。
 紅葉と夜人の部屋を仕切る壁が壊されている。
 白亜は気配を殺しながらそちらへと向かい、くぐもった声に聞き耳を立ててみた。
 夜人の傍にいるのは間違いなく紅葉のはずだが、一体いつのことなのだろう。夜人がこんな風に、真剣に怒鳴るのは珍しい。いつも腹立たしいほどノラクラと笑っているのが夜人だから。
 白亜は首を傾げて思い出そうとしたが、浮かんでは来ない。
「あー、分かった分かった」
 先ほどよりは声量が抑えられていたけれど、やはり苛立ったような夜人の声。傍にいるはずの紅葉の声は全く聞こえてこない。
 夜人に負けぬよういつも意識して怒鳴っていたんだけどな、と白亜は肩を竦めながら壊れた壁に屈み、覗かせようとして。
「……白亜?」
 こちらに背中を向けていた夜人が振り返った。彼の体が緊張したように強張ったが、こちらが誰なのか気付くと直ぐに緊張は抜ける。その姿をおかしく思いながら白亜は彼が抱えている紅葉に瞳を瞠った。
 抱えられている紅葉は辛そうに眉を寄せて瞳を閉じている。意識も曖昧なのか、全身を弛緩させているようだ。明らかに衰弱していた。
「……紅葉?」
 自分がそのような状態になっているなど信じられず、思わず駆け寄って顔をしかめた。
 紅葉の部屋に入った途端に包まれる熱気。
 それが紅葉から発せられている熱なのだと悟ると、白亜は夜人から奪い取った。
「おいっ」
「熱があるんでしょうっ。そんな雑巾あてがったって仕方ないわよ馬鹿!」
 寝台に横たえながら怒鳴ると、夜人はなぜか詰まってうなった。顔をしかめて舌打ちされる。
 早く別の布でも持ってきて、と振り返った白亜は、扉が開くのを見る。
「……白亜?」
 その場にもう一人、別の人物が姿を現す。
 紅葉の食事を抱え、扉を開けたままの状態で驚きに瞳を瞠るのは蓮夜だった。
 真紅の瞳は白亜から移動して紅葉を宿し、そして夜人に移される。切れ長の双眸が険しさを増した気がした。

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