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第六章

 【六】

 銃を水平に構え、照準をしっかり自分の目で合わせて引き金を引く。
 意識は痛いほど澄んでいる。狙いが外れるなど思わない。普段は熱い場所が、今は酷く冷えている気がする。
 白亜は自分でも呼吸をしているのかしていないのか、意識しないまま連射する。高性能の耳あてをしているためにうるささは感じなかったが、肩にかかる反動に眉を寄せる。鼻に付いた硝煙が癪だった。
 どれほど意識を澄ませても、目の前のことに集中しようとも、脳裏に蘇る悪夢は容易く平常心を奪っていく。
 誰もいない組織の訓練場で、白亜は小さなため息を零して装填作業を続行した。
 撃てば撃つほど精度は上がり、銃の技量は上がっていく。
 身を護るためのすべて。夜人に近づくための手段。蓮夜を憎むため許された唯一の方法。
 衝動が込み上げ、白亜は新たに装填し終えた銃を片手で上げるとそのまま撃った。ひときわ大きな反動が肩へとかかり、片足を後ろへと下げて体を支える。銃弾は正確に的へと着弾したようだがそれを手元に引き寄せることはせず、白亜はただ視線をカウンターへと落として唇を噛み締めた。


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 組織に入ってから誰かの視線を常に感じる。何か一つでも失敗すれば直ぐに消されてしまうのだろうと思いながら、白亜は訓練場を進んでいた。周りには誰もいない。訓練場へと入るカウンターには恒例のマスターがいたが、それ以外の人物をまだ見かけていなかった。
 白亜は虚ろな意識のまま銃を握り締めていた。どこに向かおうとしているのかも分からず、ただ歩く。
 紅葉を連れ出す術を考えなければいけないのに、それを拒否するように意識は夜人へと向かっていく。悔しくて悲しくて、このまま動きたくなかった。
 白亜は唇を噛み締めて顔を俯け、そしてふと気付いた。いつの間にか狭い通路に迷い込んでいる。ここはどこだろうと首を巡らせる。訓練場を歩いていたはずだから、ここもまた何かの訓練施設だろうか。
 息苦しさを覚えるほど狭い通路だ。白亜は今しがた歩いてきた道を振り返る。そこには闇が沈むばかりで何も見出せない。こんな場所を歩いてきたのだろうか。
 直ぐ間近にある壁に手をつけ、白亜は不安になって前を見据えた。
 戻った方がいいのか、進んだ方がいいのか。
 どこかでこの通路を見たことがあるよと囁かれたようだ。白亜は高鳴りつつある鼓動を宥めながら足を先に踏み出した。風は白亜の背中を押すように前方へと吸い込まれていく。
 一歩、二歩、進んでからやはり戻ったほうがいいと判断して踵を返そうとしたが、白亜は直ぐ目の前が階段になっていることに気が付いた。薄暗くて良く分からないのだが下り階段になっている。
 スッと背中が冷えたのが分かった。白亜は導かれるように足を踏み出す。階段は直ぐに終わる。突きあたりには一枚の扉。手を伸ばし、喉の渇きを覚えながらそれを押し開く。
 瞳に入ってきたのは真紅、だった。
「あ……」
 双眸を見開かせ、白亜は息を呑む。額に汗が滲んだことに気付いて、何度か強く瞬きをする。
 部屋中に飛び散った鮮血は目の錯覚だった。正気に返ってみれば壁にかけられたランプが揺れているだけ。それでも、錯覚と共に蘇った記憶が白亜の脳裏に展開される。
 琴線に触れていく綺麗な音楽。破壊したくなるくらいに幻想的で感情を煽る。
 ――牧師に追い詰められ、幼い紅葉が大勢の子どもたちを見殺しにした部屋だった。
 部屋の中で揺れていたランプの炎が影を大きくさせて小さく爆ぜる。
「よくよく目障りな奴だ。監視は何をしているのか」
 直ぐ背後で響いた声に、白亜は喉の奥で小さな悲鳴を殺して振り返った。青い服が視界に入るや否や、奥歯を噛んで反射的に離れる。扉と対になる壁へと背中をつけるように逃げ、その人物を睨みつけた。
「無用心なんじゃない?」
 緊張で口が上手く回っていなかったかもしれないが、白亜は不敵に笑んで見上げた。
 扉を塞ぐように牧師がいる。イツからそこにいたのだろう。廊下で振り返った時にはいなかったはずなのに。
「平穏すぎて腕がなまっているようね」
 挑発するように、白亜は笑う。
 心持ち身を屈め、冷や汗が頬を滑るのを感じながら更に笑みを深める。相対していた牧師の瞳がハッキリと怒気を孕み、殺意まで叩き付けられたことが分かって奥歯を噛み締める。身を震わせたような、肌が粟立つような感覚に陥って、白亜はそのまま彼を見つめていた。
 恐怖が徐々に薄れていき、高揚する気分となっていく。痛いほど存在を訴える心臓が、今は嬉しかった。
 牧師は何の踏み込みもなく白亜の目の前へと迫り、無防備に晒されていた首に手を伸ばしてくる。けれど白亜は体をずらして腕を上げ、力の方向を変えられないように受け流した。腕に微かな痛みが滲んだけれど、それを確認する暇はない。狙いを外された牧師は素早く屈み込む。白亜の視界に青い残像が映る。彼の意図に気付いた白亜は壁のランプを取り上げ、それを彼に叩き付けた。
 ガラスが割れる音が響く。膨れた熱は一瞬消えかけようとしたが、直ぐに糧を求めて燃え上がる。
 白亜は頬を焦がすような熱に瞳を細めた。
「貴様……!」
 振り下ろされたランプの炎を肩掛けで払った牧師であるが、その炎は部屋の隅に飛んで寝台に火をつける。燃えやすい資材へと移った炎はあっと言う間に凶暴さを増した。
 牧師の瞳は更に剣呑となり、先ほどまでと比べ物にならない早さで白亜の首を捉えた。
 力強さに白亜は双眸を瞠らせ、圧迫された喉から小さな空気を吐き出しながら壁に押し付けられた。嫌な音を立てて骨が軋む。薄れいく意識でその音を聞きながら、牧師の肩越しに炎を見た。
 寝台に燃え移り、壁を舐めるように這い、徐々にその手を広げていく。
 牧師に握りつぶされるのが先か、炎に呑まれるのが先か。
 白亜は牧師の腕を外そうともがいたが、きしむ音にダラリと両腕を下ろした。
 牧師はいつもの帽子を落としていた。彼の容貌が隠されることなくさらされる。初めて見る彼の姿だが、もうろうとする意識のなかでは判別すらも難しい。
 炎色に染まる髪と瞳が神々しさを備えていて、白亜は微笑もうとした。最期を神様に見守られるなど僥倖ではないか。無意識に持ち上げられていた腕が壁を這う。そこには別のランプが掲げられていた。牧師は白亜の首をひねり潰そうとすることに意識を注ぎ、白亜の行動には気付かない。
 白亜は手にランプをつかんだ瞬間、それを壁からもぎとり、牧師の手に振り下ろした。
 ――神様など要らない。
 ガラスが割れる。中の炎が牧師を焼く。悲鳴を上げなかったのはさすがと言えようか。肉が焼ける音がし、唇がかすかに粘ついた。白亜は牧師から解放されて床に倒れる。
 炎の轟音のなか、牧師の怒声が聞こえた。しかし何を言っているのか聞き取れない。人語ではないような気もした。賛美歌で使われる、異国の言葉なのかもしれない。白亜はうつ伏せに倒れたままその言葉を聞き、動けない。
 部屋は炎に飲まれていた。空気の薄さと、首を絞められていたせいで頭痛がする。喉に手を当てると鈍い痛みが全身を支配した。持てる力のすべてを振りしぼるように咳き込みながら、部屋が崩壊していく音を聞いていた。
 直ぐそばに火の粉が降り注ぐ。壁の一部が崩壊した。
 先ほどから牧師の姿が見えない。
 気付いた白亜は静かに体を起こして彼を捜した。炎のなかに、彼の姿はない。扉が完全に使えなくなる前に逃げ出したのかもしれない。炎は寝台を飲み込み、遥か上空へ駆け昇っていた。木枠で支えられていた天井の一部が崩落して視界が埋まっていく。
 白亜は炎に飲まれていない壁に背中をつけたまま、ぼんやりとその光景を眺めていた。
 紅蓮の炎。脳裏に浮かぶのは組織の仕事。
 初めて白亜として仕事に参加した夜も、このように明るい炎が空を支配していた。
 胸が焼けるような痛みを訴えてきて、視界が暗くなっていく。炎によってこれほど明るいというのに、不思議だ。白亜はそんなことを思いながら惰性のように立ち上がった。自分がこれから何をしようとしているのか、良く分かっていない。けれど体は白亜の意識など無視して本能に従う。胸元で変わらぬ宝石を握り締め、先ほどまで背中をつけていた壁に軽く触れた。指先には粘りついた感触が残る。
 天井が崩落したことで床に転がった梁の一部を拾い、それに火を灯して松明にする。そして白亜はそれを握り締め、力の限り壁に振り下ろした。熱により接着部が熔けかかっていたため、壁は脆くなっている。何度か攻撃を続けているとついに壁が打ち壊された。
 新鮮な空気を吸い込んだと思ったその刹那、同じく新鮮な空気を得た炎が、白亜の背後で爆発した。
 体が浮かぶ。足が床から離れるのを見る。そして、息が止まるような圧力をかけられて体が吹き飛んだ。とっさに頭を庇った白亜は次の瞬間、廊下の壁に叩きつけられて床に落ちた。
 内臓が破れたのではないかと思うほど嫌な音を聞く。瞳を開くことはできるが動けない。目の前に力なく投げ出された腕を見ながら、その向こう側に炎を見ていた。部屋を舐め尽した炎は部屋から出ようと、さっそくその手を伸ばそうとしている。
 白亜は一歩も動けなかった。
 早く動かなければ炎は直ぐにこの体を飲み込んでしまう。それは嫌だと思いながらも動けずにいると、ふと体が浮き上がった。幽体離脱でもしたような錯覚だが、直ぐに違うと気付く。背中と膝裏に誰かの手を感じた。どうやら抱え上げられているらしい。夜人かと思ったがそれも違うようだ。蓮夜でもなく、ましてや牧師でもない。触れる手はどこか柔らかく感じられ、女性のものだと直感する。
 もしや伽羅だろうか。
 体を強張らせたが、どうやらそれも違うようだった。
 炎から遠ざけられ、汗をかいた顔を少しだけ動かす。自分を抱えて歩くのはいったい誰なのか。
「大したものね。その体で動けるなんて」
 硬質な声だった。
 感心するような響きを含んだそれが、揶揄する声だと気付く前に白亜は痛みを覚えて悲鳴を上げる。動くことすらできない白亜の体は、あろうことかそのまま固い石床に投げ捨てられたのだ。
 いくら女性に抱えられていたとは言っても、床までは距離がある。それも、予備動作もなしに突然だ。詰まった息に耐えた直後に痛みが響く。それは衝撃が去ってもなお鈍く残るものだ。
 顔をしかめて瞳を閉ざし、白亜は痛みにうめいて転がった。
 かろうじて開いた視界に誰かの足が映る。目の前に誰かがしゃがむのを見る。
 漆黒のワンピースに身を包んだ彼女は、無感動に白亜を見下ろしていた。まるでこちらが苦しむ姿を『一体どうなるのか』と観察するような視線だ。
「私は貴方につけられた監視なの。死なれて貰っては困るわ。分かる? 白亜」
 痛みに再びうめいた。
 監視だと告げた女性は立ち上がり、硬い靴で白亜の右手を踏み潰していた。
「夜人と蓮夜に近づける人間がいるなんて思ってもいなかった。紅葉だけだと思っていたのに、とんだ誤算だわ」
「……った、い……っ」
 踏みつける足は更に苦痛を与えるように体重をかけられ、女性の声も聞こえないくらい耳鳴りが酷くなった。
 彼女の体越しに雨が降るのを見る。自動消火装置が掛けられていたらしく、あれほど燃え盛っていた炎は細かな雨に沈静されようとしている。
 痛みにうめきながら白亜は微かな落胆を覚えていた。
 広がった炎がすべてを飲み込んでくれれば楽だったのに。
「ねぇ白亜? 私は蓮夜が好きよ。この組織の中で唯一私が好きになった男」
 楽しそうな声はまるでお気に入りのぬいぐるみに話しかけているかのよう。
「夜人には紅葉がいる。蓮夜の好意を無駄にしないで白亜。裏切りを犯されてはとても困るの。貴方は麻奈とも面識があるのだっけね?」
 踏み潰されていた手から足がどかされ、白亜はようやく解放される。
 けれど、そうと安堵した直後に再びうめいた。
 乱暴に髪をつかまれ顔を上げさせられる。目の前に迫った顔は見たことのある顔だ。先ほどの言葉の意味に気付いて蒼白となる。
「養護施設の……」
「ええそうよ、白亜。私はいつでも子どもたちを殺せる立場にある。紅葉もそれは気付いているはず。だから何もせずに大人しい。貴方にも同じになってもらうわ。蓮夜のために。裏切りを犯させないために」
 妖艶に唇がつり上げられた。零れる声は甘美なる毒。綺麗に化粧を施された仮面を崩すことなく、麻奈が暮らす養護施設の管理人は白亜に囁く。
「貴方に大きな仕事を回してあげる。夜人にも文句は言わせない。蓮夜もそれを承知している。彼は貴方をここから出したくないから」
「私は……っ」
「組織のすべてが牧師にあるのだと思わないことね、白亜。何を躍起になっているのか知らないけれど、ここは巨大な牢獄よ。外に出るのは死体のみだわ」
 髪をつかまれ壁に押し付けられ、白亜はその言葉を朦朧と聞いていた。
 目の前で諭すように首を傾げる管理人の笑顔は、母親のように優しいものだった。けれどそれを裏切るように冷たい声音。
「さぁ……楽しくなりそうだわ、白亜。夜人と蓮夜と、どちらがこの組織の上に立つのか。誰もが二人に手出し出来ないでいるのよ。彼らに関することも、何もかも」
 白亜は双眸を見開かせて目の前の女を見た。
 驚きを引き出せて嬉しいのか、女は高く声を上げて笑っている。
「どっちが上に立つって……」
 次のトップは決まっているはずではなかったのか。そんなことは初耳だ。
 呟きを耳にして、女はすかさずしゃがみこむ。体を引いた白亜に手を伸ばし、その唇に強く指を押し当てた。以前、蓮夜に口付けられた場所に。
「夜人か、蓮夜か。どちらにしろ、決まった瞬簡に貴方を殺してあげる」
 薄っすらと開いた彼女の瞳に炎が映っている気がして、白亜は声も出せずにそれを見つめていた。

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