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第七章

 【三】

「勝手に人の人生決めてくれるな馬鹿夜人ーっ!」
 どうしてだか夜人相手だと無尽蔵に怒りが湧いてくるから不思議だ。恐怖に体が竦むなどあり得ない気がする。
 命令どおりに襲い掛かってきた女性と男性の腕を掻い潜り、身軽な女性の下に体を滑らせ片手を突き上げる。顎に命中し、女性は見事に横転した。舌でも噛んだのか転げまわる。
 けれどその顛末を見届ける暇もなく時間差で男性が襲ってくる。こちらには銃で対応しようと向けたのだが、その途端に「げ」とうなった。
 訓練場に入り、夜人の姿を追いかけることだけに目的が切り替わっていたため、本来の目的を達成していない――弾切れだ。
「冗談でしょうっ!」
 焦った白亜を見越してか、男が横から飛びかかる。床に打ち付けられて頭を押さえつけられ、更には襟を掴まれ首を絞められる。
 苦しさに生理的な涙を滲ませ銃で殴ったのだが、苦し紛れの攻撃ではあまり効果はないようだ。それとも自分に掛かる攻撃を我慢しても首を絞めたほうが勝機はあると言うのだろうか。ああ、その通りだ。このままいけば程なく自分の意識は消えるだろう。
 そんなことを思う。
 視界の端に先ほどから全く変わらぬ場所と態度でこちらを見下ろす夜人の靴が映り、白亜は強く奥歯を噛む。手にしていた役立たずの銃を力いっぱい彼に投げつけたがビクともしない。
「この、人でなし……っ!」
 声が潰れるために胸中で夜人を罵り、男の腕をつかんで逃れようとしたのだが隙は見られない。馬乗りになられて足技も封じられる。どうやって切り崩そうか、必死に考えていた白亜は次の瞬間息を呑んだ。
 隙を探して視線をさまよわせ、男を見た瞬間だった。
 一番最初に倒した男性が使っていた斧だろうか。それを、今自分に乗っている男性が手にして笑っているのだ。
 振り上げられる斧を止める手段は何もない。両手で男を殴ったが効果はない。夜人に助けを求めようにも彼は動かない。
「や……」
 振り下ろされる斧がやけにスローモーションで映り込んだ。
 恐怖のためか最後まで諦めまいとしたのか、白亜の瞳は閉じられず最後の瞬間までが映り込む。
 斧の向こう側に勝利を確信した男の笑い顔が映り、鋭い切っ先が眼前まで迫り、そして自分の額に食い込む様を、白亜は克明に焼き付けた。
 続いて。
「あっけないな」
 両手を床に広げたまま、双眸には天井を映したまま、白亜は仰向けに転がっていた。
 流れる血はない。
 荒い息が木霊して胸が上下する。
 たった今自分の身に起きたことが信じられなくて起き上がることも出来ない。瞬きも出来ないまま自分の呼吸音を聞いていると視界に夜人が入ってきた。
 白亜が殺されようとしていたのに微動だにしなかった男。
 組んでいた腕を解き、悠然と歩いてくるその様はふてぶてしいながらも圧倒的な存在感を放っている。彼がこちらに手を差し伸べてくるのを黙って見ていた。
「いつまで転がっているつもりだ。生きているなら立ち上がれ」
 腕をつかまれて無理矢理に引き起こされる。腕の付け根にピリリとした痛みが走ったけれど、それだけだ。
 斧で割られたはずの痛みはなく、胸に手を押し当てると鼓動が響く。先ほどまで緊張に晒されていたためにか響く鼓動はやけに強い。
 こちらの動きを封じていた男の姿も女の姿もなく、広い部屋には夜人と白亜の二人だけ。斧を振りかざした男は先ほど、斧を振り下ろした時に消えたのだ。目の前で、壊れたコンピューターが焦点を失ったように輪郭をダブらせて。
 白亜は自分の体を見下ろした。
「対人戦闘プログラム」
 横からの声に視線を向けると、白亜が投げた銃を拾う夜人の姿があった。
 彼は白亜に背中を向けてシリンダーを外し、弾を込める。
「……プログラム?」
「政府から収集した全世界の個人データを流用して作られたプログラム。あらゆるパターンに対応できる」
 こちらに背を向け、扉近くの壁へと近寄る。そこには壁と同化して分からないくらいに目立たない液晶パネルが存在していた。夜人が何かの操作をしたと思われる数秒後に変化が現われた。
 白亜の真横に人の気配。
 ビクリと飛び退いてそちらに構え、目の前で人間が形作られていくのを間近で目にする。
「何……」
 先ほどとはまた違った人間だった。
 足元から頭のてっぺんまで、順を追って造られていくデータの固まり。感情を消し去ったその表情に違和感を拭えず、ソロリと白亜は後退した。
「人間の遺伝子情報は有限で無限だ。旧時代の人間たちの遺伝子情報を操れば今を生きてる人間たちも作り出せる」
 カチャリと、白亜の銃を構えて出来上がった人間に向ける夜人。
 そちらに意識を逸らした瞬間、完全に人間と同じになった目の前のデータは動き出す。白亜には目もくれず夜人だけに。
 白亜を襲った男たちとは明らかに動きが違った。それは洗練された動きであり、夜人もまた揺らぐことなく冷静にその攻撃を受け流していく。けれど銃を使う隙までは作れないのか、間合いを詰められたまま格闘を迫られる。見ている白亜の方が緊張してきて胸元で両手を握り締めた。
 やがて、夜人が何か勝機を見つけたのか徐々にデータを押していく。
 そして夜人がデータから離れた瞬間、彼は銃を構えて引き金を引いた。
「まぁ、いい方か」
 自己完結して汗を拭う。呆然と見ていた白亜へと顔を向け、口元だけで笑って銃を放り投げて。慌ててつかむと彼は再び液晶パネルへと操作を加えた。
「……データ? データって」
 目の前で見て、説明されていても信じられない。だって彼らには質感も触感もあった。更には床に腕をつかまれ引き倒された時の痛みも克明に残っている。全てが作り物だなんてとても信じられない。
「人間は電気信号の固まりだ。特殊な電気でその信号を変えてやれば痛覚も触覚もデータに持たせる事が可能となる」
 まるで遠い世界の御伽噺。自身の知識を軽く超えたその説明に頭を抱え、白亜は何とか納得しようとしたがしばらくは無理そうだった。
「それで、俺に何の用だ?」
 それまでと全く違った夜人の話題変更にハッとして顔を上げた。そして一瞬にして体が冷える。
「あまり付きまとわないでくれないか、迷惑だ」
 少し呆然として唇を引き結ぶ。確かに、迷惑だろう。それでもそうしなければいけない理由が私にはあるのだ。多少迷惑だと言われても負けてたまるかと立ち上がり、服の埃を払う。ぴっちりと肌に密着する動きやすい服。急所に当たる要所要所には防弾が施されている特殊な服。蓮夜から常時着用を義務付けられていた物だった。
 白亜は息を整えて手を伸ばし、夜人から拳銃を奪い返す。大した抵抗は見せずにあっけなく取り返せた。息を潜めて低く声を張り詰める。
「なら、そっちも紅葉に付きまとわないでくれる? 迷惑なの」
「お前の迷惑なんて俺が知るか」
「私がじゃなくて紅葉がよ!」
 カッとして怒鳴る。
 どうしてこいつはいつもいつもこうなのだろうと頭が痛く、白亜はこめかみを押さえるように指で突いた。紅葉であった頃に向けられていた態度と比較してしまう自分の情けなさにも頭が痛くて、中途半端で、どうしようもなくて。
「紅葉だって毎日言っているはずでしょう。迷惑だって。私は紅葉をここから連れ出すんだから。いい加減、離れてよ……」
 言葉は徐々に力を失っていく。視線を床に落として奥歯を噛み締めて、白亜は両手を握り締める。
 どうしてこんなに消化不良で重たい気持ちを抱えなければいけないのだろう。唇を噛み締めながらそう思う。
 早く楽になりたいと願っても、先は見えずにとても苦しい。
 しばらく沈黙が下りて、先に動いたのは夜人だった。
 白亜の傍を通り過ぎて扉へと向かう。開いた扉から流れる風に顔を上げて、夜人の背中を見送った。白亜が泣き出したい気分で顔を歪めると夜人は止まってそのまま告げる。
「……言っただろう。紅葉を守るのは俺だって」
「守られたいだなんて思ってない!」
 一瞬浮かんだのは血の海に沈んだ夜人の姿だ。白亜は激昂して叫んでいた。
 振り返った夜人が静かな瞳で白亜を見据える。
「――お前が紅葉を連れ出すなら、明日、教会に来いよ」
「教会?」
 怪訝に眉を寄せると夜人は頷き、視線を白亜から外した。
「外に行くんだ。お前も一緒に連れて行く」
「どこに」
「明日になったら教えてやる」
 何の説明もされずに扉が閉められた。鉄の扉を見つめながら白亜はぼんやりと思う。仕事なのだろうか。夜人と、何の仕事を任されるのだろうか。彼の隣で私は銃を構えるのか。
 締め切られた部屋の中で、白亜は滲んだ涙を乱暴に拭い去った。

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