前へ目次次へ

第七章

 【四】

 思い出すにも腹が立つ。結局こちらの真意は何一つ伝わっていないように思える。
 決死の覚悟で想いを告げたというのに、なんだってこうも奴は思い通りに動いてくれないのだろう。
 白亜は部屋へと戻り、持ち出してきた銃弾を机に置いた。銃を分解して掃除をし、丁寧に一つずつ組み立てていく。一番最初の仕事が終わった後、蓮夜から教わった。
 慣れない手つきに最初は蓮夜の罵声と嘲笑が寄越されたものだったが、ここ数日で白亜の腕は格段に上がっていた。
 分解と組み立てを繰り返すうちに、銃の構造も自然と頭に入っていく。
 ――手には残らない『死』という感覚。実感がないことは有難いことなのか、それとも不幸なことなのか。引き金を引くだけで人が死ぬのだと理解はしていても、心には何も残らない。
 白亜は唇を硬く引き結びながら一心に分解と組み立てを繰り返した。他に何もすることがないため、遊び道具のようなものだ。
 接近戦と違って強い力はそれほど必要としない。なければ困るのは集中力と反射神経だ。こうして一心に作業を続けているだけでも集中力は養われていく。
 家族と過ごした時間よりも、今となっては組織で過ごした時間の方が多い。与えられた知識はほとんどが夜人を通しての知識だ。それが正しいのか間違っているのか、ただ享受するしかなかった紅葉には分からない。白亜となった今でも分からない。白亜の根底を作っているのは夜人の意志のみ。
 思えば夜人は、すべての常識や道徳観念を覆す教育を紅葉に施すことも可能だった。閉ざされた世界での取捨選択など何の意味も持たない。この組織から抜け出そうという想いが消えなかったのは、考えてみれば夜人がそうなるように仕向けていたからなのかもしれない。だって彼は、紅葉を否定し組織が正義だと信じ込ませることも可能だったのだから。
 まるで蓮夜から与えられる知識を否定するように、夜人からは抵抗を教わった。
 そう言えば、他人と比べて自分の能力はどこに位置しているのだろうと急に興味が湧いた。
 周囲にいたのは夜人と蓮夜だけで、彼らと自分を比べるのは間違っている気がした。彼らは組織の中でも特別な存在なのだから比べられるような物が自分に備わっているとは思えない。
 他の人との差を調べてみたかったが、生憎そんな術はない。共同訓練でも受けてみれば分かるかもしれないが、その勇気が白亜にはなかった。
「……殺されて、たまるもんか」
 常に見張っているのだと、躊躇うことなく言い切った女性を思い出した。
 何度目かの組立作業を素早くこなして銃弾を込め、白亜は部屋の隅へと設置されている的へ照準を絞る。片手で持ち上げるには結構な重量だったが使い勝手は良さそうだ。
 響いた音は以外に小さく、銃弾は正確に的の中心を撃ち抜いた。
「――勘、かな」
 白亜は無感動に的を見やりながら呟いた。
 何となく、どこに何があるのか、自分から相手までの距離はどれぐらいなのか、見ずとも分かる気がするのだ。
 本格的な訓練など受けていないくせにこうまで正確に狙った場所へと命中するのは、勘によるものが大きい。
「それでも、紅葉の時は……下手だったけどね」
 自嘲するように昏い笑みを洩らして銃を下ろす。
 自分がどうしようもない落ちこぼれだったら夜人を狙っても命中することはなかったのに。中途半端に足を踏み入れてしまったからどこまでも自分は中途半端にしか進めないのだ。
「仕事……」
 睨むように的を見つめながら夜人の言葉を思い出した。
 彼から仕事に誘われたのは初めてだ。仕事というからにはまた手を染めることになるのだろうが、蓮夜や別の者たちと共に仕事をするよりは気が楽に思えた。別の意味ではとても重いが、それでも、彼の隣にいられることは純粋に嬉しい。
 白亜は装填して袖口にでも仕舞いこもうかとしたが、ふと思ってそれを眺めてみた。
 黒光りするリヴォルバー。
 紅葉の時に射撃訓練を受けたいと申し出た時が、初めて銃を手にした瞬間だった。あの時はもっと小型で精度が低く、構造も簡単で一般的に普及している物だった。
 次に手にしたのは夜人の銃。彼の部屋から勝手に持ち出し廊下を走った。
 そして白亜としてここへ来て、今は蓮夜から与えられた銃をずっと使っている。
 構造を教わり改造を重ね、自分が使いやすいようにされていたけれど基礎部分はずっと同じだ。身を守る銃の扱い方は、蓮夜から教わった。
 そうして自嘲する。
 ほら、蓮夜は知らずに紅葉と白亜の命を守り続けているのよ、と。
 磨いた銃身に今一度視線を落として顔を映し、瞳を閉じた。


 :::::::::::::::


 暴風吹きすさぶ中、周りのことなんか何一つ見えていなかったのだと思う。
「二の舞になんかならないわっ」
 そう叫んで宝石を握り締めた。
 子どもならではの情熱がなせる業だったのかもしれない。何も知らず、無知ゆえに出来た無謀。
 可能性はそれだけだと、狭い選択肢の中、死に物狂いでつかみ取った。
 思い出したくなんてないから今まで思い出しもしなかった。あの場面を詳細に思い出そうとすると心理的な防御作用が働き吐き気がする。
 そうやって逃げて、逃げ続けて。何度脱走に失敗しても、目の前で子どもたちが自分の犠牲となって殺されていっても――夜人がいる。ここいいれば夜人が傍にいる。
 そうやって追い詰められて、辿り着いたのは夜人の死だ。自分で引き金を引くという、傲慢であれた代償として。
 そう言えば、なぜ白亜はあの場所にいたのだろう。蓮夜は分かる。夜人の場所に案内したのは彼だから。けれど考えてみれば不思議だ。
 あのような建物の薄闇に満ちた地下室で、夜人はなぜ隠れるようにして潜んでいなければならなかったのか分からない。いや、違う。それは紅葉の両親を探り当て、紅葉をその場所へ戻そうとしたから、組織から追われていたのだ。
 そうだ、きっと。拘束なんてされていなかったに違いない。きっと夜人は組織から追われてあの場所に追い詰められ、そして蓮夜はそれを知って紅葉に夜人を殺させたのだ。夜人の抵抗を封じ込めるために。
 撃たれても、良かったのに。ためらうことなんてなかったのに。
 沢山の時間をかけて助けられた私だけど。それは、犠牲になった物の代価に見合うものなのだろうか?
 白亜となってからずっと放棄していた『考える』こと。自分で考えなければただ周囲に流され利用されるだけ――蓮夜に使われたように。
 胸に当たる宝石の存在を感じながら眠りに落ちていく。
 滑らかで、淀みのない湖面に石を投げ込んだように、白亜の胸に生まれた意志は、静かに波紋を広げていくのだった。
 眠りに落ちる瞬間脳裏を占めたのは、開かれた扉から射す一筋の光が闇の線を描き、その中から伽羅が姿を現す場面だった。
 それはまだ見ぬ、メビウスが語り継ぐ未来だったのかもしれない。

前へ目次次へ