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第八章

 【一】

 練習用に立てられた人型の的から200メートルほどもあろうか。白亜の目に映る的はただの黒い塊。地下で薄闇に沈んでいることもあり、とても詳細は窺えない。目を凝らしても変わらない。白亜は少し前方で腰を屈めている蓮夜に視線を移した。
 他者と隔絶するように立てられた衝立の中央で、彼はライフル――狙撃銃に取り付けられたスコープを覗き込んでいる。
 ライフルは別名、小銃とも言われるらしい。普段から持ち歩くようになったリヴォルバーよりも大きな銃の、どこが『小』銃なのだろう。呼び名をつけるなら『大』銃のような気がする。
 そう思ったところ、ライフルは大砲に比べて小さいので『小』銃になるらしい。いきなり大砲と比べるな、とは思ったものの、昔の人がつけた呼び名にケチをつけても埒が明かない。因みにその呼び名でいくと、いつも持ち歩くリヴォルバーは『短』銃となるらしい。ややこしい世界だ。
 蓮夜の背後でそんなことを思い出していた白亜は、ようやく響いた音に軽く眉を寄せた。今までと違い、その銃撃音は小さい軽いもの。一発だけで後には続かず、蓮夜はボルトアクションという動作をしたのち、狙撃銃をカウンターから外した。ガシャリと大きな音を立てて排莢され、空になった薬莢が石床に転がった。蓮夜の視線はただ的だけに向けられている。
 カウンターに備え付けてあるレバーを引けば的が引き寄せられてくる。肉眼では黒の塊にしか見えなかったそれだが、近づくにつれて白亜は驚きに目を瞠った。
 蓮夜が撃ち抜いたのは、眉間。白亜の目から見てそれはこの上なく正確だ。
 けれど蓮夜は舌打ちした。
「ここではやはり、これが限度か」
 こんなに正確に撃ち抜いておきながら何を言うのか。白亜は眉を寄せて蓮夜を見たが、彼が見るのは的ではなく訓練場内部だった。
 対人プログラムという、夜人に実地で教えてもらったその訓練部屋があるより更に奥の部屋には広大なこの部屋が広がっている。初心者向けの狙撃訓練が出来るようにと造られた部屋らしい。
 一体どこまで広大なのだろう、組織は。
 自然光が一切差し込まぬ、閉鎖された部屋の中で白亜は頭を押さえる。地面の下では毎日こんなことが繰り広げられていたのか。きっと地下にも階数があるに違いない。
「狭すぎる」
「狭いって……」
 不機嫌に呟かれたその言葉に、白亜は更に眉を寄せた。狙撃練習にしか使えないだろうこの部屋は、先ほど蓮夜が200メートルの距離を撃ち抜いたことでも分かる通りかなり広大だ。その代わりにカウンターは数台しかなく、幅は狭い。
 蓮夜が先ほど撃ち抜いた距離が、この部屋で出来る限界の距離だった。
「このような距離を撃ち抜けたって、自慢にもならない」
 ――仕事で使うのに扱えなければ意味がない、と。蓮夜はここへ白亜を連れてきた。
 彼自身が仕事の指導に当たるなど思ってもみなくて戸惑ったのだが、蓮夜はそんな白亜の違和感に気付きもせずに狙撃銃を取り出し手本を見せた。限りなく完璧に近い動作で、一度で覚えろと念を押して。
「お前には丁度いい練習距離だろうがな」
 白亜はムッと唇を尖らせた。そうまで言うなら蓮夜よりも正確に撃ち抜いてやろうと心に決めて狙撃銃を奪い取る。
 けれど先ほどの蓮夜よりも正確となると、どこを撃ち抜けばいいのかと首を傾げ――そんなことを考えてしまう自分に嫌気が差した。
 先ほど蓮夜が見せたように、銃をカウンターに固定させる。銃身に取り付けられたスコープを覗き込んでみて息を呑んだ。肉眼では遙か遠くにある的が、スコープ越しに見るとまるで、直ぐ目の前にあるかのようだ。思わずスコープから顔を外してしまうが、やはり的は先ほどと変わらず遙か遠くに位置している。突然それが近くなったりするわけがない。
 スコープって凄い、と内心で呟き口を開けた白亜は、背後で笑わて振り返った。狭い通路の壁に背中をつけて腕組みをして、白亜の様子をつぶさに見ていたらしい蓮夜が馬鹿にしたように笑っていた。
 口の端を僅かに緩める程度の笑みだったが、白亜は唇を噛み締めて狙撃銃へ向き直った。
 紅葉である時と違い、蓮夜に人間臭さを感じさせる動作や、意外に思える面を幾ら見つけてしまっても。彼へ抱く想いの根底には恨みがある。それが減ることは決してない。恨みや怒りといった念は、長く持続させることがとても難しいことなのだと最近良く思う。決して許せないことを犯した蓮夜に抱く想いが変わってしまいそうで、怖いのだ。
 白亜は敢えて蓮夜から意識を逸らしながらスコープを覗き込み、的に目を凝らして集中する。
 リヴォルバーと違って長い銃身に頬を寄せ、スコープの中心に狙いをつけた。
「この仕事が成功したら、俺たちはようやく認められる。そのための犠牲なら何をも厭わない――お前なら分かるんじゃないのか、白亜」
「――知らない」
 蓮夜の言葉を背中で受けながら、白亜は引き鉄を引いた。
 耳を打つ低い音がして、ボルトアクションを完了させる。鈍い音がして排莢がなされ、次弾が装填された。
 先ほどまで昂ぶっていた気持ちは綺麗に冷めている。白亜は背中を伸ばすと無感動に狙撃銃を見下ろした。
「組織って――何が望みなの?」
 カウンターに置かれた小箱には弾薬が敷き詰められており、明かりを反射して鈍い色を放っていた。
「誰もが望むことさ」
 いつになく饒舌な蓮夜はそう答える。白亜は一度も振り返らずにその言葉を反芻し、カウンターに置かれていたレバーで的を引き寄せた。
 人型を模した黒い的には、先ほど蓮夜が撃ち抜いた跡が残っている。
 視認できるほど近くまで寄せた白亜は微かに眉を寄せ、拳に軽く力を込める。引き寄せた的には、先ほど蓮夜が撃ち抜いた跡以外の銃痕は残っていない。ともすれば外したのかと思える結果だ。背後でそれを確認した蓮夜は軽く鼻を鳴らして笑い、「上出来だ」と褒め称えた。
 的に残る銃痕は、蓮夜が撃ち抜いた時よりも少しだけ穴を大きくしていた。

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