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巡るメビウス

 【三】

 一切の物音が消えた空間で、伽羅もまた瞳を閉じた。
 最後の一呼吸を吐き出した白亜の傍らで、静かに吐息を引き継いだ。
「ならば……いつか来る日の未来を見せよう」
 翠にきらめく髪が羽のように揺らぎ、腹の上で組んでいた手をそっと解いて上向かた。
「紅葉。お主の道が再び巡り出すように」
 何度も過去と未来が繋がったこの空間。
 不自然に脆くなったその場所から、紅葉が発動させた力の残滓を利用するのは容易いこと。
 過去から未来を手繰り寄せ、解放された輪を再び彼女へ。これからの全ての白亜へ。
「それくらい出来なくて何の妾か」
 このまま終わらせてしまうには、あまりにも哀しすぎるから。
 包むように両手を持ち上げたその中に、眩しいほどの光輝を放つ丸い宝石が浮かび上がった。
 紅葉が持ち去ったものと同じもの。
 伽羅は己の力を込めて、それを発動させた。すべての禁忌が詰まった漆黒の宝珠。
「そなたの始まりはこの場所じゃ。たとえメビウスとて、始まりを知れば迷うこともなかろうよ」
 そう呟いて――手を繋いで眠る、二人を見下ろす。
「……夜人はどうなる?」
 それまで存在を消すようにして傍観していた男が、夜人を見つめながら呟いた。
 伽羅は振り返り微笑する。
「人の感情に乏しいそなたでも気になるかえ?」
「夜人は私が自ら育てた人間だ。どんな道を辿るのか興味がある」
 世界中を震撼させたソフィアの頂点に立っていた男の視線は鋭く、野生獣の牙を連想させる。けれど伽羅は恐れることなく微笑むだけだ。
「お主の息子は人の心を失ってなどおらぬよ」
 答えではなく、それだけを返されて男は笑った。
「お前の娘も同じだろう」
「娘など」
 伽羅は声を上げて笑い、男の訝りを誘う。笑いをおさめて口元から手を放し、瞳を伏せるように口の端だけで笑う。
「遙かに薄い血族よ。この血が妾に絡むのも当然のこと。枷が外れたなら未来は繋がろうよ」
 伽羅は紅葉たちを振り返った。
「不思議な子らよ――同じ時を刻む者であるのに、含ませた意味は区別されおるのか。汝らの眼に映る真実は想いか理性か感情か、それともそれが本質なのか」
 炎はただ燃えるだけ。示された名前は音の羅列で、握る銃は鉄の塊。
 意味を含ませたのは、捉えた大勢の人間たち。
 名前に、人に、仕草に、他人に。
「その手で何度返したことか――砂時計は未だに零れ続けおる」
 フッ、と伽羅は遠くを眇め見るような眼差しとなってから白亜に視線を落とした。
「妾とそなたとの縁もここまでじゃな。後はそなたのために、道を歩むが良い」
 草原を渡る風のように柔らかく広がった裾を翻し、伽羅は背中を向けた。
 沈黙を保ち続けた男を見上げて促した。
「そなたの道先は妾が案内しよう――数奇な運命に巻き込まれたものじゃの」
 男は一度も表情を変えることなく夜人たちを眺めていたが、伽羅の言葉にふと笑った。
「巻き込んだのはお前だけだろう」
 男が鼻を鳴らすと伽羅は笑い、一歩進んだ。男もそれに倣う。
 そして、その場から二人は姿を消した――


 ――ずっと考えていたよ。答えは出なかった。
 お前が自由に生きていられるならいいと思った。
 俺はそのためにこの場にいるんだ。ようやく、自由にしてやれる方法が見つかったんだ。
 俺が組織に戻らなければいい。そうすれば蓮夜は紅葉を外へと連れ出すことになる。
 そして――紅葉は白亜となり、自由になるだろう?


 自分が生きられない未来を否定するのではなく、何かを生かすために輪を繋げられるのなら。


 いつか――夜人と、そんな会話を交わせる日が来るのかもしれない。


 巡り巡るメビウスリング。
 軌跡は紡がれ果ての見えない未来を探す。
 貴方に出会えたことだけが奇蹟。


 今は、ただそれだけ。

END

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