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バレンタイン企画小説

「紅葉! 台所を使ってもいいって!」
 外に出た途端、麻奈に飛びつかれた紅葉は抱きとめて、そんな声を聞く。
 とても嬉しそうな声だ。
 ふと見れば、他の女の子たちも一様に瞳を輝かせて紅葉を見つめていた。
「……台所?」
 それは組織の建物内部にあるため、普段ならそのような例外を認めることはない。しかし何の気紛れか、ときどきこういうことがある。今回もまた夜人が裏で手を回したのだろう。
「何を作るつもりなの?」
 麻奈を下ろして尋ねると、麻奈ばかりか他の女の子たちの視線まで突き刺さった。なぜそんな非難めいた視線を向けられなければいけないのか。紅葉は思わずたじろぐ。
「もう。紅葉ってばまたそんなこと言って。チョコレートを作るに決まってるじゃない。明日はバレンタインなのよ?」
 それは即ち女にとって決戦の日! と力説する麻奈に、紅葉は思わず脱力した。
「バレンタイン……バレンタインね。そういえばそんなのもあったわね」
「そうよ、あったのよ! 夜人に頼み込んでようやく許して貰えたんだから。紅葉もぜったい凄いの作るのよ!」
「はっ? 私も!?」
 紅葉は素っ頓狂な声を上げた。
「なんでいきなりそうなるのっ?」
 台所を開放して貰ったお礼に、麻奈が感謝を込めて夜人にプレゼントを贈るというのならば納得できる。だがその料理過程に、紅葉まで巻き込むことは初めてだ。
「なんで私があんな馬鹿に」
「やあねぇ紅葉。明日がバレンタインだから、貴女も作るんじゃない」
 紅葉は頬を引き攣らせた。これ以上夜人を調子付かせるわけにはいかない。ただでさえ普段、避けることで精一杯なのに。
 頭痛を覚えながら「あのね」と説得しようとした紅葉は他の女の子たちに群がられた。
「ほらほら紅葉。早く行くよ」
「私たちも頑張るからお姉ちゃんも頑張ってね」
「負けないからね」
「え、あの、ちょっと、麻奈……!」
 群がられた紅葉は否応なしに足を進められ、台所に連行された。


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「ああ、紅葉、駄目よ。もっと泡立たせないと!」
 子どもたちで溢れる調理室。
 皆がわきあいあいと料理に勤しんでいるなか、紅葉は一人ふくれっつらで白身を泡立たせていた。すかさず麻奈から駄目出しが飛ぶ。小麦粉を混ぜようとしていた紅葉は首を竦める。
「そんなので混ぜたら出来上がりがぺしゃんこになっちゃうじゃないの! 愛があればもっと泡立てることができるわ!」
 腕が疲れてこれ以上無理なんだけど、と言いかけた紅葉を先回りし、麻奈はおかしな台詞で紅葉を奮い立たせようとした。周囲の女の子たちも「そうよ」と同意する。誰もつっこまないテンションが異様におかしい。
「愛なんてないからこれ以上は無理よ」
 ポツリと呟くと女の子たちの視線が突き刺さった。紅葉は慌て、泡だて器をフル回転させた。
「麻奈は誰にあげるのよ」
 麻奈は料理好きだけあり、明らかに他の女の子たちとのお菓子とはレベルが違った。料理も機材も豊富に揃えて真剣に取り組んでいる。
「内緒よ」
「まぁ、いいけどね」
 できあがっても夜人になんて持っていかず、一人で食べよう。
 紅葉は密かにそう決意し、目の前でできあがりつつある巨大ケーキを物憂げに見つめた。


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「お。紅」
「この野郎」
 調理場から出てきた紅葉は爽やかに手を振る夜人を見つけた。渾身の力を込めて拳を繰り出した。
「あぶねぇっ」
 寸前で避けられて舌打ちする。反対の手で追撃したが威力は出ず、またしても避けられる。手首をつかまれた。
「なに怒ってるんだよ?」
「麻奈の料理に私まで巻き込まれたのよっ。料理は苦手だって言うのに……!」
 麻奈の助言を受けてなんとか完成したものの、外見はさほど立派であるとは言い難かった。
「駄目だな、紅葉。料理が苦手だなんて、いい嫁の条件に」
「黙れこの馬鹿!」
 手をつかまれたままだったので、爪先で思い切り向こう脛を蹴飛ばした。
 夜人は悲鳴を上げて紅葉から離れる。
「ああもう疲れた。蓮夜はまだ来てないの? 私このまま帰るわよ。麻奈はまだ頑張ってるけど……」
 腰に両手を当て、怒りも露に夜人を睨み付ける。
 蓮夜の姿はない。空を見ればすでに夕暮れで、こんな時間まで蓮夜が迎えにこないのは珍しかった。夜人は笑いながら肩を竦めて紅葉を引き寄せる。意識が周囲に向けられていて、その気配に気付けなかった紅葉は易々と夜人の腕に囚われた。
「甘い匂いがする」
「ぎゃあっ。ちょっと何するのよ、放して!」
 幸い、辺りに子どもたちがいないとはいえ、それで安心できる問題でもない。
 羽交い絞めのような格好に足技は使えない。腕を引き剥がそうとしても、強い力は緩まない。そんな状況のなかで首筋に唇を寄せられる。伝わる熱に紅葉は必死でもがく。
「……腹減った」
「ならさっさと戻ればいいでしょうっ? 放せってば!」
 逃げられればいいと自分の安全を考えずに全力で暴れるとバランスが崩れた。
 茜の空がゆっくり回る。両腕を囚われているため受身も取れない。組織の建物が目に入って硬く瞳を閉じる。
 衝撃は予想よりも少なかった。止めていた息をそっと吐き出しながら瞳を開ける。すぐ間近に夜人の顔があり、思わず息を呑んで体を硬くした。しかし、側の体温は直ぐに離れていった。
「……あ、れ?」
 体にかかる重みが消えたことに気付いて目を開ける。夜人の姿はない。
 慌てて体を起こすと、歩き去って行く夜人の後ろ姿が見えた。
 紅葉は不思議な気分でただ見送る。
 建物の中に入ろうとする後ろ姿になぜか苛立ち、立ち上がると勢い良く向かって走り出した。


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「……麻奈。これは?」
「私から、紅葉に!」
 笑顔で手渡されたのはチョコレートだった。昨日、麻奈が奮闘した結果のチョコレートだ。シンプルで何の飾りもないチョコボールだが、実は高度な技術が必要で、作るのは難しいと知っている。
 麻奈は小さな愛くるしい瞳を紅葉に向けて笑顔で差し出す。双眸には期待が込められていた。
 紅葉はそんな麻奈が年相応に可愛らしく見えて笑みを零し、ありがたく「いただきます」と小さなチョコボールを貰う。やはり麻奈は凄いなと実感しながらチョコボールを口に含み、そして舌に伝わった衝撃に思わずむせた。
 麻奈は隣で楽しげに笑う。
「ま、麻奈。これってもしかして」
「うん。アルコール!」
 小さなチョコボール一杯に含まれていたのは強烈なアルコールだった。喉が焼けるような熱を宿す。恐らく組織の大人たちが常飲しているものなのだろう。間違っても紅葉や麻奈のような子どもが飲むような類ではない。
 あまりの強さに紅葉はまだ咳き込んでいた。
「まだまだあるからね。紅葉に沢山食べてもらおうと思って」
 綺麗にラッピングされた袋のなかから、麻奈は次々とチョコボールを取り出す。
 紅葉は頬を引き攣らせた。一つでも強烈だったのに、何個も食べさせられてはたまらない。既に酔って、涙まで出てくる。心を込めて作った麻奈には申し訳ないが、「ごめん」と謝ろうとした。
「お。昨日のやつか?」
 頭上から声が降ってきた。
 麻奈が嬉しげに仰ぎ、紅葉も振り返る。
 そこには予想に違わず夜人がおり、興味深そうに麻奈の手元を覗いていた。
「ちゃんとアルコール入れたからね」
 夜人に笑顔を向けた麻奈の声に、思わず紅葉は聞き返した。
 麻奈は愛らしい笑顔を紅葉に向ける。
「だって、紅葉が酔っちゃえば、夜人は安心して押し倒せるじゃない?」
「さすが麻奈。良くできてるなー」
 夜人はチョコボールを一つ口に含む。麻奈を褒め、二つ三つと、美味しそうに食べて行く。その姿を紅葉は信じられずに見つめた。あのような強いものをよく平気で食べれるものだと感心した。
「今日くらいは私、夜人の味方なんだよねー。ごめんね紅葉。今日くらいは素直になってね。アルコール入りは、ちゃんと置いていくから」
 麻奈は小さな包みをその場に置くと、紅葉と夜人に手を振って丘を駆け下りていった。彼女の小さな体は子どもたちの輪の中に消えていく。紅葉は呆然と見送るしかない。
「あんな子どもにここまでお膳立てしてもらって、俺になにか言うことは?」
 今日はバレンタインデー。
 そのことしか頭にない夜人の楽しそうな笑顔を紅葉は見返した。
 アルコールで火照った体の中に、ふつふつと別の感情が湧きあがる。
「お前に一瞬でもあげようかと思った私が馬鹿だった!」
 酔っているとは決して思わせない鋭い拳が夜人の腹に決まる。夜人は丘を転げ落ちていった。その先で遊んでいた麻奈がやれやれと肩を竦めたのが見えて。紅葉は真っ赤な顔のままその場に突っ伏した。

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