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造魔精霊

 【一】

 薄暗い研究塔の中に光が一つ。
 光源は水晶球。その前には女性がいた。女性特有のふくよかな体つきで、艶やかな黒髪を背中に流す、何とも妖艶な美女だ。
 彼女の両手に包まれた水晶球は徐々に光度を増す。そんな様を眩しそうに眺めながら女性は嘆息する。悠々とした態度に誰もが騙されるが、その腕は緊張に震えている。彼女の表情だけを見ていれば気付きもしないだろう。
 タラッチェ王国では絶大な力を誇る、第一級魔道師。それが、現在の彼女が持つ肩書き。
 そんな彼女の背後には一人の少年がいた。机に座りながら、床まで届かない足を遊ばせている。女性の黒髪を見つめ、作業を見守っている。けれどその瞳は退屈に溢れていた。
 やがて耐えかねたのか、少年の口が開かれる。
「おいサミリア。いつになったら行くんだよ?」
「うるさいねぇ。ちょいと黙ってておくれよ」
 噛みつく声を一蹴したサミリアは水晶球を見つめ続ける。ジェイダは忌々しそうに「けっ」と吐き捨てた。
 光に彩られたサミリアの瞳は、髪色と同じく深い黒をしていた。情熱を宿す瞳で水晶球を見つめ、一瞬も気を緩めることなく魔法を行使し続ける。魔法を少しでも理解する者がこの部屋を訪れたら失神しかねないほど高濃度の魔力が、部屋には渦巻いていた。
「月の硬度はこれで正確なはず。保たせながら光度を上げて……あぁ、そうするとこっちが脆い。夜光草で結界を固めておくかねぇ。均衡を保たせながら……」
 もはや自分の世界に入ったサミリアは外部が見えていなかった。彼女の独り言を聞いていたジェイダは苛々と歯噛みする。
 それまで光を保ちながら白濁していた水晶珠が、サミリアの魔法に呼応して透明に変化した。サミリアは笑みを浮かべて水晶球を掲げる。天井を覆う光苔に透けて、石畳に敷かれた絨毯に強い光が一条差す。最後の仕上げに差しかかろうとしていた。
 ジェイダの瞳が水晶球を睨みつけた。
「おい、早くしろよっ。そんな研究、どこでだってできんだろっ?」
「黙りなさいと言っているのが聞こえないのかい、ジェイダ!」
 跳ね上がったサミリアの怒声と共に、甲高く澄んだ音が部屋に響いた。まるで脆い何かが壊れたかのようだ。この部屋には異質な音だった。
 ジェイダは息を呑む。振り返ったサミリアの視線は、あまりにも鋭い。本格的に彼女の怒りを買ってしまいそうな予感に肩を揺らし、そしてジェイダは、彼女が手にする水晶球が濁るのを見た。水晶球はそれだけに留まらず、粘土のように歪んで変形を始める。サミリアも気付いて舌打ちする。
「全くもう。忌々しいったら」
「お、俺のせいじゃないからな? 集中できないのは自分に問題があるからだって、サミリアもいつも言ってんじゃねーか!」
「あんたの性格と私の性格を比較するんじゃないよ! あれだけ喚かれちゃあ、集中しようにもできるわけがない」
 柳眉を歪ませたサミリアは白い頬をわずかに上気させる。そして彼女は、手にしていた水晶球をジェイダに投げつけた。
「げっ?」
 至近距離で投げつけられたにも関わらず、ジェイダは素晴らしい速度で反応した。片手で顔を庇い、もう片方の手で向かい来る水晶球を叩き落す。床に落とされた水晶球は、明らかに硬質音ではない、ベチッという嫌な音を響かせた。
「お、おい、サミリア!」
 うろたえるジェイダを横目に、サミリアは怒りを示すように顎を反らせた。
「邪魔したあんたの責任だよ。しっかり面倒見てやんな」
 腕組みしていたサミリアは、床の上で尚も変形を続ける元水晶に指を向け、棘のある声のまま告げた。
「“成れ”!」
 力ある言葉と共に、手の平に乗るほどでしかなかったソレは瞬く間に大きく膨れ上がった。床の上でもがいていたソレは一つの形となる。二人が見守る前で、大きく伸びをした。
「さぁ、あんたの名前はバッファだよ。生み出したのは後ろのジェイダだ。たんと礼を言ってやりな」
 バッファと呼ばれた彼は、まるで寝起きのような瞳でサミリアを見つめた。
 しつけのためではない言葉を吟味したのか、バッファは数瞬後にニヤリと笑う。鈍い光を宿していた瞳は払拭され、今は鋭利にきらめいている。
 胡坐を崩した彼は「どっこらしょ」と親父くさい声を出しながら立ち上がる。サミリアの背後で呆然としているジェイダに顔を覗かせた。
「何で俺よりでかいんだよっ」
 見下ろされたことに気付いたジェイダは怒鳴りつけたが、バッファは意に介さなかったようだ。
「ようチビ。俺様を生み出してくれたって? 礼を言うぜ。俺様が生まれてきたことに感謝と敬虔の意を覚えよ、ってな。はっはっはっはぁーっ!」
「それのどこが礼なんだよーっ?」
 全身から怒りを放ったジェイダは机に立ち上がると怒鳴りつけ、飛び蹴りした。バッファは直ぐに身構えたが動きがぎこちなく、ジェイダの攻撃を真正面から受ける。しかしジェイダが誇らしげに胸を張る前に、大きな平手で彼の体を横に薙いだ。ジェイダは簡単に叩き飛ばされる。研究塔の隅に転がった彼は素早く立ち上がり、怒りに言葉も出ない様子でバッファを睨みつけた。対峙するバッファも同じように睨みつける。けれどバッファの唇には笑みが浮かんでいる。そんな様子にもジェイダの苛立ちは増していくようだ。
 彼らのやり取りを傍観していたサミリアは、前途に想いを馳せて深いため息をつくのだった。

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