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造魔精霊

 【六】

 扉守に示された中庭へ出たサミリアは遠目から目的の者を見つけて足を止めた。
 国王は侍従をはべらせ、色とりどりの花々に囲まれた中庭を散策していた。結構な大所帯で歩いていたため、直ぐに見つけられた。けれどそれは、サミリアにとって都合が悪いこと。
 内心で悪態をつきながら、サミリアは静かにその団体へと歩み寄った。気付いた護衛兵の一人が国王へと耳打ちする。
「おお、サミリア」
 国王自らが声を上げ、側の者たちは皆その場に膝をついた。立っている者は国王とサミリア、そしてバッファだけになった。この場に集う者たちでは、国王を除けばサミリアの地位が最も高い。
 跪いた彼らを一瞥しながらサミリアは歩を進め、待ち構える国王に近づくと視線を上げた。何の影もない笑顔がサミリアを迎える。
「そなたが研究塔から出てくるとは珍しい。何かあったのか?」
 国王の口から穏やかな声が洩れた。
 それは――偽り。
 サミリアは国王と同じく笑みを浮かべながら礼を取り、再び顔を上げた。
「ええ、王様。かねてよりの悲願について申し上げたいことが御座いまして、こうして参上した次第です」
「ほう?」
 国王の片眉が神経質に持ち上がる。
 加齢により色が抜けた髪や髭は、彼に威厳を与えているように見えた。
 けれどサミリアは知っている。王はただの人間だ。
「儂はサミリアと話がある。その方ら、下がりおれ」
 国王は周囲を一瞥して言い放った。頭を下げて声だけを聞いていれば厳かな言葉に聞こえたが、彼の姿を真正面に捉えて様子を見ていたサミリアには、どうにも浮き足立っているようにしか思えなかった。
 騙されている周囲の者は一度、深々と頭を下げて散っていった。
 彼らが充分に離れるのを待ってから、国王はサミリアに向き直る。直ぐにも声を上げかけた彼をサミリアは制し、周囲から人の姿が消えるまで待って促した。
 国王はそわそわと両手を握り締めており、サミリアから許しが下りると身を乗り出した。
「ええい、いつもながらそなたの徹底振りには舌を巻くわい」
「国に仕える者の義務ですから」
「そんなことは良いのじゃ。後ろの男は、もしや」
「はい王様。貴方の悲願でございます」
 サミリアが笑顔で告げると、王は一度、呻き声のようなものを洩らして一歩後退した。
 バッファを捉える瞳は次第に歓喜に輝いていき、王は一歩前進する。
 待ちきれないように腕を伸ばし、バッファの手を硬く握り締めた。
 バッファは一瞬嫌そうに眉を寄せたが、喜びの只中である王は気付いた様子もない。爛々と輝く瞳でバッファを眺め渡す。
「おお、おお、まことに人間と変わりない。これが本当に人形などと、信じられぬ」
 大きな皺が寄った目尻には涙が光っていた。
 バッファをしげしげと凝視するその様は、まるで新たな玩具を与えられた子どものようだ。
 サミリアは穏やかな笑みを湛えたまま「そうでしょうとも」と頷いた。
「ようやった、サミリア。ガーランドにも成し遂げられなかったことを、そなたは見事やり遂げたのじゃ。そなたこそ真なる魔道師じゃ」
 サミリアの瞳が細く笑みに歪んだ。その気配に気付いたのかバッファはサミリアを見る。しかし王はバッファを眺め触るだけで、まだ嬉しそうに小さな歓声を洩らしていた。まるでサミリアのことなど忘れてしまったかのようだ。
 サミリアはその場から動かず語りかけた。
「差し当たりまして王様。私に褒美を下さいませ」
「ほう、褒美とな。物欲など見せたことのないそなたが何を所望する?」
 楽しげに輝く国王の瞳は、ただ真正直にサミリアを映した。彼の瞳には笑顔だけが映り込む。
「良い。そなたは儂の悲願を達成させたのじゃ。何でも取らせよう」
「では王様」
 形のいい唇が続きを紡ぐ瞬間、蒼穹を描く空が真っ白に染まった。サミリアの唇が驚愕を洩らす間もなく、次の瞬間には毒々しい深紅へと変わった。空は明滅するように暗闇と深紅を繰り返す。
 異常なその現象に、サミリアと王はこれ以上ないほど大きく瞳を瞠らせ、互いに顔を見合わせた。
 バッファが「これは?」と問いかけたが、二人は何も返さなかった。
「誰か! 誰かこれへ!」
 国王が大声で呼びかけた。
 先ほど人払いをしたばかりであり、人が駆けつけるには時間がかかる。それでも通常から考えれば大分短い時間で護衛兵が走り出てきた。彼らもこの異常事態に、国王の元へ向かっていたのだろう。
 一人の護衛兵は慌てて国王の足元に跪いた。急ぎ来たため、息が弾んでいる。
「この警報は?」
「は。城壁の結界に何者かが触れた様子。守護魔法と反応してこのような現象が起きたものと思われます」
 明滅を繰り返していた空は時間の経過と共に薄れていった。今では元の蒼穹を取り戻そうとしており、慌しく動く人間たちのみが異常事態を知らせている。
「城壁の結界に触れた、じゃと? 人がか? 鳥やゴミなどではなく、か?」
 怪訝な声にも兵は頷く。
「確かに人であります。詳細は今、別の者が戻り次第お伝え出来ると思います」
 断言した兵に、国王は信じられずに眉を寄せた。
 国全体を覆うことは出来ないが、国の要である中央の城下町に限っては城壁に結界が張られている。それは城を基点としてとても高く完成されている。人が上ることな不可能だ。一体どうしてそのようなことになったのか、国王ばかりか現場に詳しい兵もが首を傾げてしまう。
 報告を聞いたサミリアだけが「あの馬鹿」と頭を抱えるだけだった。
 それから幾秒も経たずに次の兵が現れた。
 彼は中庭に足を踏み入れるのは初めてなのか、頼りなげに周囲を見渡し、国王の姿を見つけると安堵したように笑顔を見せた。けれど直ぐにその笑顔を払拭して走りだす。
 国王の側まで来ると、一番最初に現れた兵と同じように跪いて告げた。
「報告します。城壁を乗り越え城下町から出ようとした者を捕らえ、現在は地下牢へと入れております」
「そうか」
 王は頷いて二人の兵を下がらせた。
 このような緊急事態に、護衛も兼ねる兵を下がらせることに渋い顔をした二人であるが、国王が強く命じれば従うしかない。側にはサミリアという第一級魔道師がいるのだから大丈夫だろう、と理解はするのだが、彼らの表情は決して納得した物ではなかった。
 普段、滅多に研究塔から出ないサミリアを訝っているのかもしれない。
 サミリアは彼らに何の言葉をかけることも、説得することもなく、黙って彼らの背中を見送った。
 国王が深いため息を零してサミリアを振り返る。
「心配するな」
 サミリアが苦い顔をしていることに気付いたのか、国王は笑う。
「そなたを軽んじる輩など気にする必要などない」
 国王が何を気遣っているのか悟り、サミリアは笑わずに肩を竦めた。彼女が心配していたのは全く違うことだった。しかし訂正しない。
「どのようにして魔法のかかる城壁へ登ったのか、是非とも問い質さねばなるまい。お主も興味があろう? ついて参れ」
 国王の心配は全くの的外れであったが、その申し出には有難く乗る。赤い外套を翻され、その風に微かに煽られてサミリアは眉を寄せる。そっと瞳を伏せて追いかけた。

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