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造魔精霊

 【七】

 かびついた石の匂いがした。
 一番最初に蘇った器官は嗅覚であり、次に蘇ったのは触覚である。体全体に感じるのは重苦しい気だるさ。湿った空気が頬を撫でる。
 体で感じる硬い感触に、ジェイダは首を傾げた。
(何が起きたんだ?)
 どうやら横になっているらしいと気付き、起き上がろうとしたが腕が動かない。頬に伝わる冷たい温度が体から熱を奪っていくようだ。
 腕は後ろ手に縛られているらしく、少し力を込めた位では解けない。
 瞳を開いたが瞼に違和感を覚え、ジェイダは何度か瞬きをしようとした。そしてようやく、自分が目隠しされているらしいと気付く。
 ここまで来るとようやく彼の記憶が甦ってきて、それと同時に怒りも募っていく。
(くっそ、あそこにあんなもんがあるなんて、ひとっ言も聞いてねぇぞ。何であんなもんがあるんだよ)
 関所の兵に追い払われたジェイダは激しく気分を害し、何としても通ってやろうと決意を固めた。地面が通れないなら空を通って街から出ようと思い立ったのだ。
 その時は結構なアイディアだと思った。
 街中で飛行する事は躊躇われ、なるべく人目につかないような場所を選んで魔法を使った。慎重に高度を上げて城壁に手を掛けた。
 失敗を悟ったのはこの時である。
 何の予備知識もないまま結界に触れたジェイダは全ての魔法力を奪われ、墜落した。タラッチェ王国に張り巡らされた護りの結界は、ジェイダに存在を気付かせないほど密かに強く、根を下ろしていた。
(ったく。大体ここはどこだよ? 早く出ねぇとサミリアにつかまっちまうじゃねぇか)
 ジェイダは舌打ちして、何とか起き上がろうとした。肩を床に押し付けながら反動をつけ、勢いで寝返りを打つ。腹筋を使って起き上がる。
 隠された瞳で辺りを見回し、暗闇であることにため息をつく。
 目隠し、拘束程度でジェイダの行動を止めることは出来ない。彼が少々の魔力を込めるだけで、手首を拘束していた魔法鎖は澄んだ音を立てて引き裂かれた。ただしそれは正当な手順を踏まない力押しの魔法破りだったため、わずかな反動で皮膚が裂けた。
 ジェイダは痛みなど意に介さず立ち上がり、乱暴に目隠しを取る。一瞬見えた視界は、蝋燭が揺れるどこかの地下室のようだった。
 なぜ一瞬なのかと言えば。
 起き上がったジェイダに対し、鉄格子の外側で牢番と共にいた魔道師が力を揮い、ジェイダを再度床に叩き付けたからだった。
「なっ?」
 ジェイダは上から押さえつけられるような抵抗に目を剥いた。必死で両手を床につき、起き上がろうともがくが、それは困難だった。押し付ける力は強くて敵わない。
 突然の事態を把握できず、目を白黒とさせていると声が降って来た。
「坊主、魔道師か。その年で大した才能の持ち主だな」
 ジェイダは怒りを閃かせた。
「誰が坊主だ!」
「ほう、その状態で口がきけるか」
 意外そうな声が降って来るが、ジェイダは何も返さない。押さえつけようとする力が余りにも強いため、何か返している余裕もない、というのが正しいか。
 ジェイダは顔を真っ赤にさせて屈辱に耐えた。
 石畳を舐めるように、突っ伏したまま何とか顔を動かす。部屋の奥を映していた視界は入口を映し、自分が鉄格子を嵌め込まれた部屋にいるのだと悟った。鉄格子の向こう側に人間がいる。ジェイダは唯一自由になる瞳で睨みつけた。青黒いフードを頭から被り、裾の長いローブを纏って顔は窺えない。
 先ほどの声から男という予測はつくのだが、それ以上は分からなかった。格好から、かろうじて彼が魔道師だということが分かるだけだ。
「何で俺がこんな目に合わなきゃいけないんだよっ?」
 息を整え、何とか怒鳴りつけた。
「お前が結界を侵したからだ。それにしても大胆な奴だな。そのようなことも知らずに魔道師であるとは」
「俺は魔道師じゃねぇ!」
 体に加わる圧力が更に強まっていった。
 ジェイダは悔しさと苦しさに冷や汗を流して奥歯を噛み締め、拳を握り締めることで屈辱に耐えた。
(こいつ、こいつ、絶対許さねぇ……!)
 だがジェイダの怒りは空回りする。いつも通りに魔法を使おうとするが、なぜだか揮わない。魔法を封じられたらしい。どんなに揮おうとしても反応がない。
 体に息づく自然の魔法も、全てが機能停止しそうで息が苦しかった。
 拘束具を壊すことや、小さな魔法ならば扱える。だが、それ以上の大きな魔法は全て、ジェイダを見下ろす魔道師が制限しているらしかった。
「ダラック様。それ以上やると死んでしまうのでは……」
「心配性だな。私がその様な愚を犯すはずがない。手加減くらい心得ているさ」
「はぁ」
 ジェイダはその名前を心に刻み込んだ。
 ダラックという魔道師と共に立ち、ジェイダを見つめる牢番の顔は苦いものだ。
 それが更にジェイダの怒りを煽る。
(お前なんかに同情されるほど落ちぶれてねぇ!)
 どんなにか叫びたいことだろう。
 カツンと硬い足音が響いた。
 石畳に反響し、風が吹いたように蝋燭の炎がユラリと揺れて、ダラックと牢番は弾かれたようにそちらへ視線を向けた。
「くだんの魔道師はその子供か?」
 限られたジェイダの視界に、その声の主は見えなかった。
 ただ声だけで予測をつける。
 苛々と視線を巡らせたジェイダであるが、新たに訪れた者たちは、まだ視界に入らない。けれどどうにも胸が騒ぐ感覚に「もしかして」との疑問が湧き上がった。
「はっ。なかなかの使い手です。しかし、自分がなぜ捕らわれたのか分かっていない様子です」
「ほう」
 国王の声が怪訝に響いた。衣擦れの音と共に、彼の足音はジェイダに近づいた。
「王さま、人払いを」
「サミリア殿っ?」
 響いた女性の言葉にダラックは声を荒げ、ジェイダは瞳を瞠らせた。次いでとんでもない羞恥と悲哀が首をもたげる。
 怒られるだろう、それはもう今までの比ではなく盛大に。創られたジェイダの存在を常に隠してきていた彼女だから、こんな騒ぎは何よりも腹立だしいに違いない。
 ダラックと牢番は顔を見合わせた。ダラックは怪訝な顔で、牢番は困惑顔で、サミリアを凝視する。
「サミリア殿。相手は優秀な魔道師です」
 忠告というより、嫉妬という方が近いダラックの言葉に、サミリアは小さく笑んで首を傾げた。豊かな黒髪がサラリと服を滑った。
「ダラック殿は私の力が信用できないのかい? 確かに最近は研究塔に篭りきりだったけどねぇ、まだまだダラック殿に負けちゃいないよ。このような手負いの子どもに負けるほど落ちぶれてもいない」
「よさぬか、二人とも」
 静かな火花を散らせる二人に、国王の呆れた声が飛んだ。
「ダラック。下がって参れ」
 結果、追いやられたのはダラックであり、彼は悔しげに表情を歪めた。
 国王の取り成しにダラックは頭を下げたものの、サミリアに対する視線の鋭さは和らげぬまま部屋を退出した。もう一人いた牢番もダラックに突き急かされるようにして部屋を出る。
 部屋には国王とサミリア、そしてバッファとジェイダだけが残された。

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