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造魔精霊

 【八】

 松明の炎が爆ぜた牢獄の中、ダラックが消えた後はサミリアがジェイダの拘束を引き継いだ。次いで右手に眩い光輝を生み出して掲げ、闇が忍ぶ牢獄の隅々にまで光を渡らせる。強い光ではあるが瞳を射るようなものではない。サミリアはそれを軽く上に押し上げ、天井まで届いたことを確認すると手の平を返した。丸い光輝は天井に溶け消えるとユックリ光を滲ませる。天井は己自身が発光する真っ白な光石に変質した。
「さて……」
 サミリアは軽いため息を零した。
 注目を集めていることを理解しながら、その中でジェイダに手を伸ばす。視線の先でうつ伏せに倒れる少年は動けないながらも怯えをみせた。そんなジェイダにサミリアは軽い笑みを浮かべる。瞳には呆れが宿っていた。犯罪者を見つめる瞳ではなく、家族を見つめるように温かな瞳だ。
 サミリアが軽く腕を振ると、ジェイダは見えない力の拘束から解放された。
「サミリアッ?」
 国王が驚愕して叫ぶ。
 事の次第を聞こうと鉄格子の前まで歩み寄っていた彼は、ジェイダが起き上がると驚いて飛び退いた。慌ててサミリアを振り返る。サミリアは最初の位置から動いていなかった。なんとも底知れぬ笑みを湛えて国王に視線を移す。その緩慢な動作は危険を孕んでいるようで、国王の背中を冷たい物が流れ落ちた。
 サミリアに潜むのは昏い感情。
「ジェイダ。私の言いつけを破ってこのような騒ぎを起こしたこと、後でたっぷりお小言を聞かせてやるから覚悟しておおき」
 ジェイダは初めこそ恐々と体を起こしていたが、サミリアの言葉には肩を怒らせて飛び上がった。
「なんで! だいたい、サミリアが俺を」
「口答えできる権利が今のお前にあるとでも思っているのかい?」
 サミリアの声は冷淡だった。鋭く睨みつけられ、ジェイダは慌てて口を噤む。彼女の背後で成り行きを見守っていたバッファはいつの間にかニヤニヤとした笑いを浮かべていた。目撃したジェイダは唇を尖らせてそっぽを向く。
「サミリア。これはどういうことだ? 結界に触れたこの子どもは」
「誰が子どもだ!」
「黙りなさいと言っているだろう、ジェイダ!」
 国王の声を遮ってジェイダが叫べば、その声すら上塗りする怒声が反響した。滅多にない激しい怒りにジェイダは息を呑んだ。ここにきてようやく、彼女が本気で怒っているのだと痛感した。まるで自分が見放されてしまうかのような、悲しくて悔しい、不思議な感情が浮かぶ。
「王さま。私の褒美についてですが」
 サミリアとジェイダのやり取りに不審を抱いた国王は眉を寄せた。このようなときに言うべきことなのかと、サミリアを凝視する。サミリアの瞳は真剣だった。
 サミリアは一つ息を吸い込むと、険しい表情を隠して微笑んだ。
「私をこの国から解放していただきたい」
 その言葉にジェイダは息を呑む。国王はそれ以上に驚いた。
 サミリアはタラッチェの大事な魔道師だ。先だっては国王の悲願だった魔法をも完成させ、彼女の栄華はこれからだった。国王はサミリアの意図がつかめずに視線を揺らした。
「何を言うのだ。そのようなこと」
「私は本気です。王さま」
 サミリアはついと視線を逸らせてバッファを振り返った。彼はサミリアの意図を理解して鉄格子に近づき、大きな手を翳すと軽く力を込めた。迸った魔力は一瞬だけ鮮烈な光を生み出すと、小さな音を立てて鉄格子を溶かした。ジェイダが嫌そうに鼻の頭に皺を寄せる。
「そなた、何を……!」
「私たちがこの国から出ることを、どうかお許し下さい」
 青くなってバッファを止めようとした国王は足を止めた。伸ばした腕は行き場をなくしてさまよった。彼の瞳がサミリアを振り返る。
「“私たち”、じゃと……?」
 サミリアは一歩も動かず国王を見つめていた。牢から出たジェイダは彼の側を通り過ぎ、サミリアの隣に並ぶ。バッファもそれに続いた。
 並んだ三人の姿を、国王はただ眺めた。
「王さま。私が、貴方のなさったことを知らないとでも思っていたのですか?」
 鋭くもないサミリアの声は、国王の顔色を変えさせるには充分な威力を含んでいた。
 ジェイダは国王を眺めながら首を傾げる。
 彼は不思議な存在だ。国王を守護する魔法の障壁が見えるが、それは国王自身が意図してまとっているような物ではない。誰が、彼にこのような強固な呪いのような結界を巡らせたのだろうか。
 ジェイダは先ほどまでの怒りを燻らせていたが、サミリアの話を聞きたいとも思い、葛藤のなかでうなり声を上げた。同じく知りたいと思っているだろうバッファに視線を向けたが、彼は何の動揺も出さずに平然としている。それが無性に悔しく感じられた。
「戦争を起こし、他ならぬ弟アーネットを殺し、他に並び立つもののない魔法王国を創り上げた。そして、魔力だけで創られた人形を欲し……」
 サミリアの声は静かだったが、その内に含まれた感情は徐々に熱を帯びていくようだ。積年の恨みはすべてを暴くように、言葉がするすると滑り出てくる。しかしその声はふと途切れる。サミリアの視線が入口に動いた。ジェイダとバッファも、それに気付く。
「主殿!」
「サミリア!」
 二人の従者の声が飛ぶ。
 絶対の主君を守るため、二人がサミリアを背後に庇ったその直後だ。地下牢は空気を一瞬にして膨張させ、火を伴って大爆発を起こした。
「なんだってんだよチクショウ!」
 炎と石塊が舞い上がる。地下牢の天井は崩れ、地上の明かりが差し込んでくる。崩壊したその場所でジェイダは砂煙に耐えながら辺りを観察した。
 大勢の人の気配と、混雑した魔法の気配。空気は緊張に張り詰められ、勢いを増す炎は酸素を燃やし尽くそうとうなり声を上げていた。
「サミリア」
 空気が薄れていくこの中で、純粋な人間である彼女には酸素が不可欠だ。ようやくそこに気付いたジェイダは、結界を張らなければと振り返って舌打ちした。背後にいたサミリアにはすでに結界が張られ、外の炎から完全に守られていた。誰の結界かは明白だった。この場にサミリアを瞬時に護れる者は、バッファしかいない。
 新参者のくせに、とジェイダは面白くない気分でその結界を見やった。
「ご無事ですか、王さま!」
 響いたのはダラックの声だった。ジェイダの敵愾心を散々煽った魔道師だ。ジェイダは苛立つ心のまま振り返った。砂煙の中、いつの間に地下牢に入ってきたのか。彼の隣では国王が咳をしながら立ち上がるところだった。彼にもサミリアと同じく結界が張られている。
 ダラックは国王の無事に安堵して表情を緩ませ、次いでサミリアに指を突きつけた。
「サミリア殿。お主の話は聞かせて貰ったぞ。それではお主は国賊ぞ!」
 サミリアは結界の中で直ぐに自分を持ち直していた。二人の様子を毅然と眺めていたが、指を突きつけられると薄く笑った。
「国賊……? 真に国賊であるのはどちらかねぇ?」
 寒気を催すほど妖艶な笑みだ。
 サミリアの瞳はダラックなど見ていない。彼の背後に隠れるようにして立つ国王だけを映している。数年前から抱いてきた激しい憎悪は、もはや隠せるようなものではない。
「ぬかせ! 王に危害を加えることこそ国賊である証!」
 ダラックは胸にかけていた銀製のペンダントを握り締めた。それは魔法陣をかたどった神聖なもので、使用者の魔力を高める効果があった。ペンダントの中央に嵌められた赤宝玉に力を込めると、ダラックを囲むようにして五人の魔道師たちが現われた。ダラックが最初に伴っていた兵士たちは激しい砂埃の中で悲鳴を上げており、とても満足に戦える状態にはなかった。
 新たに現われた五人はダラック直属の配下だった。それぞれに若く、力に溢れている。
「王さま。よろしいですな?」
 何を聞いているのかは明らかだ。国王は渋い顔で頷き、サミリアのため息を誘う。
「まったく。数年前にディーラリアを逃がしてやったというのに……さらに贄を求めるかい」
 国王の眉が震えた。ダラックは鼻で笑う。
「訳の分からぬことを! 捕らえよ!」
 影のようにひっそりと佇んでいた魔道師たちはその号令に素早く動いた。彼らに合わせてバッファが前に出る。ジェイダも負けじと参戦する。
 ジェイダたちが前に出ると、国王は声高に叫んだ。
「その者たちに傷をつけてはならぬ! 捕らえるのじゃ!」
「王さま……?」
 ダラックが戸惑うと、魔道師たちも勢いを失った。ジェイダたちに放たれた魔法が力を弱める。ジェイダやバッファの眼前まで迫っていた攻撃弾はアッサリと防がれ、威力を倍にする魔法返しで魔道師たちに迫った。
「ふん。渡すわけがないだろう」
 魔法の衝突による凄まじい音が響くなか、サミリアは呟いた。
 魔道師たちは最初の戸惑いを払拭させ、それならばと捕らえることに全力を注ぐ。五人がかりで大規模な魔法陣を紡ごうとするが、敏感に察知したジェイダによって防がれた。切裂くように五人の陣営を崩したジェイダは再び彼らから離れる。その後を引き継いでバッファが壊れた魔法陣の中へ飛び込み、暴走しかけていた魔法をあっさりと相殺させた。
 サミリアはまだ一度も魔法を操っていない。意外な戦力に愕然としながら、ダラックたちはその光景を見ていた。魔法を理解しない兵たちは、結界に護られた国王を残して遠くに後退している。
 サミリアは周囲の様子を観察しながらジェイダを見つめた。
 小さな体で楽しそうに、彼は魔道師たちを撃破していく。抑制された力を存分に揮えることを喜んでいるようだ。遠慮など欠片もない。地下牢でも鬱憤も溜まっていたのだろう。ジェイダの瞳は輝いていた。
 サミリアはそんな彼の姿に過去の幻影を重ねて瞳を細めた。
「あれはガーランドがたった一つ残してくれた、私への贈りものだよ。汚らわしい手で触るんじゃないよ」
 ポツリと呟かれたサミリアの声は、その場の魔法戦に消されて誰にも届かなかった。
 けれど、それでいい。
 サミリアは片手を空に掲げて瞳を閉じた。
「あーっ! ずっりぃぞサミリア!」
 背後の気配が変わったことに気付いたジェイダが振り返り、サミリアの様子に悲鳴を上げた。騒がしいジェイダにつられてバッファもサミリアを振り返り、唇を尖らせる。
 サミリアは二人の不満を微笑みで一蹴すると、手の平に力を集中させた。
 溜まっていく、高濃度の魔力。
 異変に気付いたダラックや魔道師たちが止めようとしたが、ジェイダやバッファに阻まれて辿り着けない。
 サミリアは静かに魔法を紡ぎながらその場の皆を見渡した。
 漂う魔道師たちの魔力を吸い取り、集め、副反応が出ないよう計算して未来を展開させる。
「王よ。人体魔術は私が持っていきます。かつての名君、取り戻すこと叶わずとも――これが、ガーランドとアーネットの望みですから」
 私の、最愛の友たちの悲願だったから。
 サミリアは手の平から伸びる魔力たちを瞬間的に結合させ、反応を起こし、周囲を取り巻く炎も魔法も吸い尽くした。彼女を中心として、灼き尽くすかのような鮮烈な白い光りが迸る。誰もが目を開けていられなくなる。平衡感覚を失って倒れていく。
 意識を失う間際、国王が恨みがましく腕を伸ばしたが届くことはない。腕は力を失って落ちた。
 そうして、サミリア、ジェイダ、バッファはタラッチェ王国から姿を消した。
 時をちょうど同じくして。
 地下牢があった場所とは異なる、城の一角にあったサミリアの研究塔が音を立てて崩れた。塔は半ばで真っ二つに折れ、派手な音を立てながら地面に落下する。
 不運にも通りがかった人々は悲鳴を上げて逃げ惑ったが、落ちてくる塔の内部から溢れた光に包まれて、危険のない場所に移動させられた。
 サミリアの研究塔は跡形もなくなった。彼女が研究していた物は瓦礫のなかに埋没した。その後、魔道師たちがどんなに手を尽くそうとも復旧はならない。彼女が研究していた魔法の残骸すら見つけ出すことは叶わなかった。


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 サミリアたちは城から遠く離れた小高い丘の上にいた。突然現われた彼女たちに驚くような通行人も、この場にはいない。
 三人は遠くにそびえる城の塔が崩れる様を眺めていた。サミリアの瞳はとても穏やかなものだ。彼女は艶やかな髪を風に遊ばせながら、そっと瞳を閉じて眉を寄せる。故郷との訣別。まるで走馬灯のように、これまでの激情が脳裏をよぎっていく。
「ガーランド捜すんだよなっ?」
 噛み付くようにして怒鳴ったジェイダは息を詰まらせた。静かな眼差しがジェイダを貫く。決まり悪げに顎を引くが、サミリアを見返す瞳は決して引かない。サミリアが誰よりも憧れたかの人と同じ眼差しだった。
 ――ガーランドが生涯でたった一人と決めた女性への想いを核として創られたジェイダ。何よりも欲しかった想いの結晶。
 もう一人の友人アーネットの娘は、いまどの辺りを旅しているだろうかと、サミリアは思った。自分も旅をしていれば、いつか再び彼女に会える日が来るかもしれない。
 遠い過去、自分にとっても彼女にとっても悪夢だったであろう日を思い返しながら、サミリアはジェイダを見つめた。残された者は彼らだけだ。
「ど、どうしたんだよ?」
 何も言わず、ただ黙って見つめられていたジェイダは狼狽した。
 サミリアはそんな彼にふっと笑いかけて、額を叩いた。
「痛っ。何しやがんだ!」
「主の言いつけを守れない者には当然の報いさね。まったく。あんたの無鉄砲さのせいで、私たちは無一文で旅に出る羽目になっちまった」
 サミリアは腰に手を当てて「やれやれ」と首を振った。本当は次の街に荷物は全部預けてあったのだが、ジェイダに知る術はない。いいようにからかわれるだけだった。
「これから先、あんたには寝る暇もないくらい稼いで貰わないとね」
「何で俺だけ! だいたい、あんな用意良く塔を破壊するんだったら、旅の仕度ぐらいしとけよな!」
「ジェイダにだけは言われたくないねぇ」
 ジェイダの焦りを聞き流しながら、サミリアは煙を上げ続ける城に背中を向けた。草むらに寝転がって休んでいたバッファを見つけると、思わずため息を零す。
「私の従者ともあろう者がだらしない格好してんじゃないよ。出発だよ、バッファ」
「ああ? こりゃ失礼」
 バッファは緊張感なく立ち上がった。先ほどの戦闘で疲れたということではなく、これが彼のスタイルなのだろう。気だるげに草を払う。
「サミリアッ?」
「はいはい。出発だって言ってるだろう」
「もちろんガーランド捜すんだよなっ?」
「はいはい。うるさいねぇ」
「ちゃんと答えろよ!」
「おうジェイダ。俺の主殿に向かって、何てぇ暴言だ」
 歩き出したサミリアと、それを追いかけるジェイダ。その後ろからのっそりと歩き出したバッファは直ぐに追いつき、ニヤニヤと笑いながらジェイダをからかった。ジェイダの肩を軽く突くと、彼はあっけなくバランスを崩して丘の上を転がった。ジェイダが弱いということではなく、バッファが馬鹿力だということだろう。
「はっはっはっは。お前の体は良く転がるなぁ!」
「てっめぇ……許さねぇぞ。旅に出るいい機会だ! どっちが上か、思い知らせてやる!」
「お。やるか。ガキが?」
 油断していた自分にも怒りを募らせたジェイダは憤然と立ち上がる。バッファはニヤニヤと笑いながら即座に戦闘態勢に入った。旧街道を使っているため、人の目はない。サミリアは二人を尻目に歩みを進めた。
 街に入る前に、何度言い聞かせなけりゃいけないんだろうと、頭を抱えながら。

END
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