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古の大樹

 カーヤが好きだと言っていた森は失くなる。
 彼女が好きだと言っていた自分も、あと数刻の命。処刑が迫っている。
「カーヤ……」
 繋がれた鎖が重い。心はもっと重い。
 自分が死んだ後、カーヤはどうなるのだろう。町長の娘。恵まれて育った強い女性。
 幾ら町長でも自分の娘を殺す事はないだろうが、このような騒ぎになってしまった後では、彼女の尊厳が守られるかどうかは疑問である。
「僕が死んだら泣いてくれるかな」
 零れた笑いは自嘲だった。重たい息を吐き出しながら、昏い天井を振り仰ぐ。
 カーヤは炎にまかれた時の火傷で、今も床に臥している筈だった。
 現在の状況は理不尽で怒りしか湧かないものだけれど……カーヤを苦しめる火傷が僕のせいだというなら、処刑も甘んじて受け入れてあげる。僕の体はもう動かない。動こうとする気力も、もう無いんだ――。

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 カーヤは一人だった。
 いつもは父が煩いくらいに、一人で歩くな、屋敷から出るな、人前に出る時にはベールで顔を隠せ、と説教するのだが、彼は現在カーヤの側にいなかった。朝から町の者たちと寄り合いを開いている。だからカーヤも監視の目を掻い潜って、こうして一人で出歩く事が出来るわけだ。
 カーヤは町外れにある森に足を踏み入れた。町中では決して分からない自然の優美さに圧倒されて感嘆した。
 背がそれほど高くない樹が連立するその森は、真昼の木漏れ日が至る所から降り注ぐ、明るい森だった。
「なんだ。全然怖くないじゃない」
 もっとおどろおどろしいものを想像していたカーヤは安堵に息をついた。
 戦々恐々と緊張をみなぎらせていたが、それらは途端に瓦解し、遊び心が疼き出す。
 決して入ってはいけないよと釘を刺された森の中。
 大人たちに対する反発心は好奇心を生み出し冒険心を掻き立てる。
 カーヤは木陰に小さな動物を見つけて表情を輝かせた。初めて見る、可愛らしい動物である。歓声を上げて走り寄ると当然ながら動物は逃げ、けれどカーヤは夢中になって追い掛け回す。途中で見たこともない可憐な花に心を奪われて動物を見失い、落胆はしたものの直ぐに次の興味を見つけ出す。美味しそうに成っている果実に手を伸ばして喉を潤し、頑丈な蔓を見つけるとぶら下がって遊んだ。
 そうしていつの間にか、森の中央まで入り込んだカーヤは巨木を見つけた。
 大人が10人ほど両手を広げて囲んだような太さと、明るい緑の苔に覆われたその樹は、とても背が高い。森で一番背が高い樹のような気がする。
 今まで心を奪われた小さな草花や動物などが取るに足らない存在に思えた。風に葉をざわめかせる事はあっても本体が揺らぐ事はない。ただ静かに佇んでいる巨木に、圧倒的な存在感を感じた。
 カーヤは音を立ててはいけないような気持ちになった。
 口を開けて見惚れ、一歩を踏み出すのにも慎重になって近づいた。
 木漏れ日を浴びる苔がとても柔らかそうだった。
 ――触ってみてもいいかしら。
 行動を制限されるなど不愉快なものでしかないが、この時ばかりは誰かに了承を取りたくなった。けれどここには許しを与える者などいない。
 カーヤは誘惑に勝てず、そっと手を当ててみた。充分に陽の光を含んだ苔が優しくカーヤの手を包み込む。
「あったかい……」
「そこで何してるの?」
 突然の声に、カーヤは飛び上がるほど驚いた。振り返った視線の先には、カーヤよりも背の高い少年が佇んでいる。
 深い緑の瞳に、明るい緑の短髪。木漏れ日に透けて風に揺れて、まるで御伽噺の中に迷い込んだ錯覚に陥った。
 森の中へと踏み入ってから感情に訴えかけられるものばかりに出会ってしまう。この少年にしてもそうだ。あまりにも綺麗で、言い訳しようとした事も忘れて見惚れてしまう。
 少年が困ったように首を傾げた。
「君みたいな子どもがこんな所にまで入ってくるなんて珍しいね。大人たちなら最近は良く入ってくるけど」
 大人たちがこの森に踏み入る訳を、カーヤは知っていた。
 この森を潰して町の拡張を図ろうとしているのだ。今朝早くから父が出かけて行ったのも、それの準備に取り掛かる為だ。
 カーヤは子ども扱いされた事に唇を尖らせた。
 ――私はもう13歳よ。
 だから、度胸試しに森の奥深くにだって潜れる。
 目の前の少年が何歳になるのかは分からないが、カーヤは自分とそれほど変わらないように思えて不愉快になった。子ども扱いされるのは誰でも腹が立つものだ。
「カーヤよ。子どもじゃないわ」
「そう? ごめんねカーヤ」
 少年は素直に謝った。その言葉には嘲る様子など微塵もなくてカーヤは拍子抜けする。まじまじと少年を見詰め、澄んだ瞳が見返してくるのを不思議に見やる。
 これほど何の思考も読み取らせない相手とは初めて出会う。上手に感情を隠す大人たちでさえ、何らかの思考を伝えてくるものなのだが。これが“純粋”という物なのだろうか、とカーヤは思った。
 カーヤの様子に少年はまた首を傾げた。なぜカーヤにこれほど見つめられるのか、分かっていないのだ。
 カーヤは自分が試されている気になって、なぜだか慌てた。
「あ、貴方は? 名前……何て言うの?」
 問いかけたカーヤに少年は表情を綻ばせた。桜が舞うように儚く、誇らしげに告げる。
「皆はセージュと呼ぶよ」
「セージュ?」
 変な名前だと思ったものの、口には出さなかった。近づいてきた彼の存在がとても大きく感じられた。
 これまでカーヤが出会った男たちは、大工の町としても知られる為か、かなり逞しい男性ばかりだった。セージュとは違った意味で存在感溢れる者たちだ。
 セージュの姿はとても脆く、叩けば折れそうなほどに弱く思えた。しかし彼の瞳にはそう思わせない、力強い何かがある。矛盾する印象にカーヤは混乱する。
「貴方も1人でここに来たの?」
「来たんじゃないよ。僕はずっとここにいた」
 セージュの言葉に、今度はカーヤが首を傾げた。
「家出したの?」
 セージュは微笑んで「違うよ」と告げた。その笑顔にカーヤの頬が淡く色を帯びる。
「僕は、カーヤが触れていたその樹の精霊なんだ」
「せいれい?」
「うん」
 セージュの微笑みがとても優しくて、カーヤは心臓を高鳴らせた。これまで言葉を交わしてきた人間の誰とも違う笑顔に囚われた。一瞬で虜にするこの少年がこの森にいるから、大人たちはこの森に入るなと言っていたのかと、カーヤは熱くなる頭で思った。
 ――ああそうだ。
 カーヤは頬を上気させたまま思い出す。
 ばあやが話してくれた絵本の話。“せいれい”は“精霊”と書き、この世のどこにでも存在する。本当は人間と言葉を交わすことは難しいのだけれど、長い時を経て力をつけた精霊は、更なる上級の精霊として生まれ変わることがあるのだと。そうした精霊は人間の言葉も理解し、人間を幸せにしてくれるという絵本の話だ。
 カーヤに詳しいことは理解できないが、それは並ならぬ努力をして認められた者だけが与えられる特権なのだと思った。
 絵本の中だけの存在だと思っていた精霊が目の前にいる。とても信じられなかったが、セージュの存在は本当に不思議で、すんなりと受け入れられてしまう。いつも威勢のいい口も、今は大人しくしている。
 カーヤは興味深そうにセージュと大樹を見比べ、セージュの肌に触れてみた。
「温かいわ」
「冷たかったら嫌じゃないか」
 まるで当然だとでも言う口振りにカーヤは眉を寄せた。人間と全く変わらない。
「貴方、1人なの?」
「1人じゃない。この森全てが僕の友達だよ」
 セージュは大気に馴染むように両手を広げて紹介した。彼の口調に合わせて木々が歌を奏でてくれる。風もないのに葉が揺れる。
「この森が全て?」
「うん」
「でも……私、貴方の他には誰とも会わなかったわ。隠れているの?」
 セージュが“友達”とするなら、彼のような存在がもっといるに違いない。
 カーヤはそう思って視線を巡らせたが、森の生き物たちが歌を奏でるだけで少年のような子どもの姿は見出せなかった。
「僕のように人の姿を持って話せる者はいないよ。でも、話せないけど、皆は直ぐ側にいるんだよ」
 セージュはまるでその場に誰かがいるかのように優しく瞳を細めて森を眺めた。彼に降り注ぐ陽光がキラキラと輝いて、セージュに挨拶をするように光の粒が揺れた。
 セージュが側にいるだけで全てが輝いて見えると、気付いたカーヤは顔を輝かせた。この少年と一緒にいれば、たとえ姿を見ることはできなくても存在を感じることが出来ると胸を躍らせた。
 しかしカーヤは顔を俯けた。
「でも……この森はもう壊されてしまうの。お父様が言っていたわ。町の人たちが増えて来たから、森を削ってしまわなければいけないのだと」
 削った森の跡地に石畳を敷き詰め、新たな居住区とするのだ。その案件はずっと前から出されており、最終的な判断は町長であるカーヤの父に委ねられていた。高名な大工でもあった町長は直ぐに計画に移り、測量士たちと合わせて計画を進めてきた。新たな町のデザインを見せられて、カーヤも心を躍らせたものだ。
 しかし今は、セージュを輝かせる存在が少しでも失われてしまうと悟って喜べない。セージュが哀しげに瞳を翳らせたのを見て、更に焦る。
「あの、でもね、全部削ってしまう訳ではないのよ?」
「……カーヤは腕を折られたら痛くないの?」
「え?」
 セージュの手がカーヤの腕を掴んだ。
 その仕草と、彼の瞳に浮かんだ底知れぬ光を見たカーヤは息を呑んだ。
 怖くなって振り解こうとしたが、セージュの力は強い。しっかりと掴まれていて解けない。
「この森は僕の全てなんだ。どこを削られても僕は痛い。カーヤから腕がなくなって、足がなくなって、頭だけになったとしたら、それでも生きていける?」
 セージュの言葉にカーヤは震えた。想像したくないのに想像してしまう。怖くて哀しくて、カーヤは涙を零した。
「セージュはこの森の一部が欠けてしまうのが嫌なのね?」
「――昔はね、あの町はもっとずっと小さくて、町の人たちはうんと優しかった。毎日のように森に入ってきて、僕たちに話しかけて来てくれた。嬉しかったことや哀しかったこと。初めて告白した時のことや、初めて一等が取れた時のことや。でも、人が増えていったら、優しい人たちは僕たちの事を忘れてしまったんだ。話す相手は僕たちじゃなくても良くなってしまったんだ」
「忘れられたことが悲しいの?」
 するとセージュはカーヤを見つめた。
 一つだけ瞬きをして空を見上げた。
「――僕はこの森を守り続けるよ。優しい人たちの思い出が、この森には沢山詰まっているんだ」
 カーヤは熱いものが胸を支配するのを感じて訴えた。
「わ、私、お父様に頼んでみる。セージュの森を壊さないように、心から頼んでみるわ。だから……」
 言葉に詰まった。
 セージュの瞳が再びカーヤを映すが、そこから哀しみは消えない。
 自分の父が彼にこんな顔をさせているのだと思えば悔しかった。
「セージュがいるなら、私、この森好きよ!? 待ってて。お父様に話してくるから」
 カーヤは勢い良く駆け戻った。
 ――父は言っていた。この森を壊す予定は今日だ。
 だからカーヤは森に入ってみようと思った。今まで恐ろしい噂ばかりだったこの森も、最後だと思えば勿体無いような気がして、見納めようと思ったのだ。
 勇気を出して良かった、とカーヤは走りながら思った。森の中は、思い描いていた場所とは全く違っていた。セージュに生きていてほしい。あの綺麗な存在が失われないで欲しい。
 こんなに全速力で走り抜けたのは初めてかもしれない。
 呼吸が激しくカーヤの胸を圧迫し、貧血がした。それでもようやく森の入口に辿り着いたカーヤは愕然とした。森の外には町の大人たちが大勢いたのだ。
 カーヤは声も出せずに立ち尽くしていた。
 森を眺めていた大人の1人がカーヤに気付いた。驚いたように何かを叫んだ。周囲がそれに気付き、カーヤを見て再び驚き、必死に何かを叫んだ。
 異様な雰囲気にカーヤは動けなかった。
 ただ黙っていると視線の先で群集が割れ、その間から町長が飛び出してきた。足をもつれさせるくらい、急いで走って来たらしい。いつもの様子からは考えられない、父の取り乱しようだ。その事に驚きながらも可笑しくて、カーヤが笑みを零した直後、背後で爆音が響いた。
 鼓膜が破れたのではないかと思えるほどの轟音を浴びたカーヤは、同時に吹き荒れた風に体を攫われそうになった。森から飛んできた小さな礫に体を傷つけられながら、瞳を硬く瞑ったカーヤは足が地面から離れるのを感じた。
 訳の分からない恐怖が口をついて悲鳴になる。手足を滅茶苦茶に振り回してバランスを取ろうとするが、暴力的な風はあっさりとカーヤを吹き飛ばした。
 ――カーヤは吹き飛ばされる直前、何かに支えられたような気がした。両肩に置かれた優しい手がカーヤを地面に繋ぎ止め、息さえ奪われる暴風を僅かに宥めてくれた。
 カーヤは耳鳴りがする中で目を開けた。自分を支えていたのがセージュだという事に気付いた。
「……セージュ? 追いかけて来たの?」
 先程の爆音はカーヤの声すら奪ってしまったようだ。子ども特有の声が掠れていた。
 カーヤは喉に手を当てながら彼を見上げ、彼の背後に見えた炎に目を見開いた。
 唸りを上げた炎が森を飲み込んでいた。逆巻く炎はあっと言う間に燃え広がり、新しい木々を次々と飲み込んで、更に勢いを増していく。
「どうして!?」
 信じられなくて叫んだカーヤに、冷静なセージュの声が降り注いだ。
「町長さんがね、中にカーヤがいることを知らないで爆発させたんだよ。手っ取り早く荒地にしてしまおうとしたんだろうね」
「こんな、酷い……!」
 炎は黒煙を上げて勢いを強めていく。
 最初は小さな炎であったが、熱気がカーヤにまで伝わるようになると一気に広範囲へと広がった。巻き込まれた風が悲鳴を上げて呻き声となり、あっと言う間に命を奪われた木々たちの灰がカーヤに降りかかった。
 森だったものの残骸はセージュにも降りかかっていた。彼はそれを浴びながら町の皆を見渡した。町の大人たちはまだ森の入口で立ち尽くしている。
 大人たちは、明らかに雰囲気の異なるセージュを見て息を呑んだ。セージュはカーヤを連れて彼らの方へと歩き出す。
「町長。僕は貴方が憎いよ……」
 町長の目の前へと来たが、セージュの瞳には言葉ほどの憎しみは込められていない。悲しそうに揺れているだけだ。
「カーヤが僕の所へ来た時、道連れにしてしまおうと考えたんだ。……町長。僕は貴方が悩みに悩んで告白した日の事を知ってるよ。貴方は転んで服が汚れるのも構わずに僕の所へ走ってきて、凄く嬉しそうな顔で報告してくれたよね。勇気を出せて良かった、って」
 町長の目が困惑して揺れた。
「……優しい人たちはどこへ行ってしまったのかな……」
 セージュは虚ろに微笑んで姿を消した。
 訳が分からないように唖然とする父を、カーヤは泣きながら睨んだ。
「お父様の馬鹿! この火を消して! セージュを助けてあげて!」
 娘に泣きながら抵抗されて、町長の心は動きかけた。しかしこれは一年も前から町の皆と計画し、進めてきた物なのだ。町長としての勤めを、私情を挟んでやめる訳にはいかない。
 カーヤは自分の言葉が父に届かないと知ると、ギュッと唇を噛んだ。父の胸を突き放すと森へと走った。
 これに驚いたのは町の皆だ。
 消火活動を急げだとか、お嬢さんを連れ戻せだとか、色々な声が飛び交った。
 カーヤはそんな声も振り切って、黒煙が立ち込める森に飛び込んだ。近づいただけで目が痛くなり、息ができなくなって頭が痛くなった。炎に近づくと頭が朦朧とした。直ぐ近くで樹が爆ぜて襲い掛かられもした。
 それでもなんとか、カーヤは森の中心へと辿り着いた。
 ――セージュが静かに佇んでいた。
 大樹を見上げるセージュの背中を見ながら、カーヤが問いかけた。
「そこで何してるの?」
 セージュがカーヤに問いかけた時と同じ言葉で問いかけた。振り返ったセージュは、まるでカーヤがここに来ることを知っていたように驚いたりはしなかった。初めて会った時のように優しく微笑んだ。
 カーヤはボロボロと泣き出した。
「ごめんなさい」
 泣きながら謝った。夢中で駆け抜けて来た為に痛みはそれほどでも無かったが、ゆっくりと息をすると全身が痛みを覚えた。けれどそれ以上に心が痛い。セージュが失われてしまう。
「謝るのは僕のほうだよ。町の人たちが森を取り囲んだのを知っていた。けど、カーヤに教えるのを躊躇った。道連れにしようとしてたんだ」
「セージュにはそうする権利があるわ!」
「ないよ、誰にも。僕がカーヤの死を望む権利も、町長たちが僕の死を望む権利も……」
 カーヤはしゃくり上げてセージュに抱きついた。抱き付いて何度も謝った。背後から徐々に炎が迫ってくる熱を感じて、更にしがみ付く。セージュは優しく抱き返してくれた。宥めるようにカーヤの背中を撫でてくれる。カーヤはそれに誘われるようにして、体の力が抜けていくのを感じた。
 ――ああ、私はセージュを失くしたくない。彼が笑っていてくれるなら何でも出来るのに、どうして私には何の力もないのだろう。
 意識が闇に溶けていく。体中がヒリヒリと痛んだ。
 遠くで人の足音がするのを聞きながら、カーヤは意識を手放した。

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 精霊たるセージュに、繋ぎ止める枷は何の意味もなかった。それでもセージュはまるで人間のままごとに付き合うようにその場にいた。こうする事で町長が安心できて、町の人たちの不安が取り消されるのなら付き合っていようと思った。
 遠くで自分の本体が悲鳴を上げるのを聞いた。
 セージュは自分の体を抱き締めて、痛みと悲しみに必死で耐えた。カーヤが中断した森の焼却が再び始まったのだろう。
 親しんだ仲間たちの気配が消えていくのを悲しみの中で感じる。動ける者はどうか逃げて、新しい場所で生きていて欲しいと願う。
 ――僕の跡には人間たちが住むのだろう。外の町から新しい人々が移り住み、元々あった僕のことなど忘れて、賑やかに笑いあっていくのだろう。
 ああ、僕の役目は終わったんだね。これから人は、人との関わりをより深くする為に生きていくんだ。僕たちのような不確かな存在は必要なくなったんだね。それはとても寂しいことだけど……僕たちが愛した、貴方たちが選んだ道なら受け入れるよ。僕の滅びを。
 体中を苛む激痛に、セージュは耐え切れずに床にうずくまった。
 ――消える。消えてしまう。人々の想いで創られたこの姿が。
 ビクリとセージュの体が震えた。激痛ばかりだった体の別の場所で、何かが呼びかけてくるような感覚を覚えた。
 ――これは、何?
 轟々とした炎に包まれた森の中央が視えた。その場所に、床に臥せている筈のカーヤがいるのが視えた。
「……カーヤ」
 ふわりと体が軽くなる。体を戒めていた鎖を床に落とし、セージュは鍵の掛かった部屋を出ようとした。扉を通り抜けて廊下へ出ると、食事を運んでいた老婆が悲鳴を上げた。
 セージュは彼女を数秒見つめると床を蹴った。
 ――このお婆さんも知ってる。子どもが出来たと喜んでキスをしてくれた。
 セージュの胸が懐かしさに溢れたけれど、今はそれどころではなかった。カーヤに呼ばれている。早く行かないとカーヤが焼け死んでしまう。
 天井も抜け、建物のてっぺんに辿り着いたセージュは周囲を見渡した。
 森の方向は直ぐに分かった。黒い煙が立ち昇っている。
 セージュは風の力を借りて、飛ばされるようにしながらそちらへ向かった。意外に遠くて、着く頃には炎がすっかりと鎮火していた。
 セージュは森だった場所に足を着けて見渡した。
 森は焼けてしまったのに、なぜ僕は消えない?
 焼けた大地の中で、一角だけが焼け落ちずに残っていた。そこには聳え立つ大樹があった。そしてその周囲に、集められるだけ集めたという感じの、森中の植物があった。それらを眺めるカーヤの姿があった。
 焼け焦げて見栄えが悪くなった大樹を見上げて、カーヤは何を思っているのか。
 近づいたセージュに気付いてカーヤが振り返った。火傷の痛みなど欠片も感じさせない、はつらつとした笑顔をセージュに向けた。
「町の人たちを説得したの。うんとおじいちゃん達やおばあちゃん達の中には、セージュを知っている人たちもいたわ。呼びかけたのよ。そして、森を町に残すことに納得してくれたの。炎を消すのに時間が掛かってしまって、間に合わなかった部分もあるけど――寂しい?」
 セージュは眩暈を感じて瞼を閉じた。幸福に似た眩暈だった。
 全ては身勝手な人間たちの行動と想いが招いた事だけれど、そんな愚かさに愛しさを感じた。
「私が、忘れないから。私が大人になって、お婆ちゃんになって、死んでしまっても、私の子ども達に貴方の事を伝えるわ。そして、ずっとずっと語り継がれて行くの。素敵でしょう? だから、セージュが1人ぼっちになる事はもうなくなるのよ。長い間1人にしてしまって、ごめんね?」
 痛むであろう火傷を時折気にしながらも、カーヤはセージュを気遣った。
 大樹の側に寄せられた森中の仲間達が、痛みを訴えながら、それでも元気に再生しようとセージュに語りかけてくる。
 セージュは精一杯の笑顔をカーヤに贈った。


 数年のち、大きく枝を広げたセージュの樹からは実が落ちた。
 地面に落ちた実の幾つかは町の人たちに渡り、彼らはそれを町中に配置した。
 セージュの子ども達は逞しく町に根を張った。セージュの樹の側にも、今は多くの赤子が抱えられている。
 人々が多く住む町で、綺麗に整備されても緑を失わず、セージュは今日もカーヤと町の様子を眺めて笑顔を絶やさずにいる。

END

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