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奇人変人噂話

 山間の盆地は結構な広さを有し、王国の首都に比べれば田舎であるが、それなりに平和でそれなりに平凡でそれなりに事件が転がっている所。
 悠々とした自然に囲まれた広大な大地を治める領主は、これまた気性が穏やかな男性だった。彼は名のある貴族の出身で、田舎の領地を与えられたが面倒な領民もおらず、環境に恵まれて、良き領主を勤められてきた男だった。
 しかし――娘の気性は男に似ず、荒かった。


「婚約!? 婚約って、どうして私が!?」
 屋敷に響いたのは高い声。安穏とした領民や天候の反存在として生まれたのではないかと思われるような、場違いに勢い付いた声だった。それは驚きも露に屋敷に響く。
 いくら田舎の領地とは言え貴族たちにも身分がある。受け継がれてきたこの領地は由緒ある物であり、国王が避暑地に指定する誉れもある。決して領主の地位が低いという訳ではない。たとえ、国王の気紛れによって指定された避暑地としての誉れだろうが、それぐらいしか他の貴族たちに胸を張れる所がなかろうが、身分は身分である。娘であるフィランも、貴族の女性という事でそれなりにお嬢様暮らしをして来ている。だから――その貴族の娘が、間違っても身分低い商人の家に嫁ぐなんて、あってはならない事なのである。
 そのような訳で、父から婚約の話を聞かされたフィランは顔を真っ赤にさせて叫んだのだ。


 フィランの前で父が薄くなった髪を必死に撫で付けていた。顔を俯かせ、体を小さくさせて居心地悪そうにする父には、お世辞にも威厳を感じない。フィランはまだ興奮冷めやらぬ顔で父を睨みつけていた。
 首都から離れた盆地だけあり、交易はそれほど盛んではない。特色は美味しいお茶であるが、あまりにも地味すぎて誰の目にも留まらない。並より群を抜いて美味しければいいのだろうが、悲しいかなそこまで群を抜いていない。地元の水と組み合わせて飲めば結構な美味しさであるが、かかる人足費と時間が結構なものだ。そこまでしてお茶を飲みたい者もそうそういない。せめて国王が避暑地として使ってくれればいいのだが、ここ数年、国王も訪れない僻地と化している。
 ――必然的に、家計は圧迫する。
「酷いわ! 私を売り飛ばして家の安寧を求めるなんて、それでも父なの!?」
 悔しさにフィランが叫ぶと、男は驚いたように双眸を瞠った。その瞳の奥には本音を言い当てられた図星と、娘に言い当てられたという羞恥とで、痛みが宿っていた。
 フィランは唇を噛み締める。
 ――違う。こんなの、違うのに。
 他ならぬ自分の言葉で傷付く父の姿に胸が痛む。この父は昔から優しすぎるきらいがあり、こんな性格で良く領主を勤めていられるものだと疑問に思うくらいの人だった。 フィランは男から視線を逸らして拳を握り締めた。
 ――けど、いきなり婚約して欲しいと言われ、それを直ぐに承諾など出来るわけがない。娘の意見も聞かずに、横暴も良い所だ。ましてや相手は――
「私、嫌ですからね。あんな、女好きで節操無しで意地が悪い、って三拍子揃った悪名高いバルメダに嫁ぐなんて、絶対に嫌」
 フィランは落ち着いてきた事を感じながら言い切った。婚約相手が“あの”バルメダでさえなければ、家の為に、と割り切る事も可能だったかもしれない。政略結婚など、ある一定身分の貴族の家柄になれば普通の話だ。幾ら没落しているとは言え、フィランも充分“一定身分の貴族の家柄”である。
「あんな奴に嫁ぐくらいなら、家出してやるんだから……!」
 顔は見たことがないが、この際、噂だけで充分である。山の向こうから聞こえてくる話にも昇るほど悪名高い男になど誰が嫁いでやるものか。幾ら大富豪の息子だからと言っても、これだけは譲れない。
 硬く宣誓するフィランに、父はますます困ったように小さくなった。
「お前だって、山向こうの町では結構な評判だったぞ。お転婆も裸足で逃げ出す悪女だとか。気に入らなければ年中怒鳴っていびり倒すとか。果ては剣を振り回して鬼退治に出かけるんじゃないかと笑われて」
 徐々に思い出してきたのか、笑い事ではない筈なのに父は楽しそうに笑った。フィランは拳をブルブルと震わせる。この領地の者達の気性を見たら、絶対に誤解だと納得できるような噂であるが、誰も真実を確かめようとはしないのだから噂は誰かにとっての真実であり続けるのだろう。なぜそこで笑い、訂正して来なかったのよと、フィランは大声で怒鳴りつけたかった。
 けれど次にもたらされた衝撃的な言葉に機会を逸したのだ。それはつまり。
「それに、婚約の話は既に向こうで承諾してしまったしなぁ……」
「な」
 何気なく呟かれた言葉にフィランは絶句した。
 会って来たという相手側の両親の事を、まるで十年来の親友と会って来たような顔で話す。都に近い人間は嫌いだという父がここまで楽しげに話すのだから、よっぽど気が合ったのだろう。しかし、それと婚約とは別問題である。
 フィランの心情を一つも理解していない父の笑顔に、フィランはとうとう切れた。罪悪感など吹き飛んだ。
「だから……、どーしてそーいう大事なことを、父様はその場でいい気になって、決めて来るのよーっ!」
 普段から直して欲しいと思っていた父のあれこれを、ここぞとばかりに叫んでぶつけ、怒りが収まらずに調度品や椅子までを力任せに投げ飛ばし、フィランは部屋を飛び出した。

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 自室に戻ったフィランは声を上げて泣いた。
 父には暴言を吐いたが、結局は彼の言う通りにするであろう我が身を呪う。大好きな父を悲しませたくないし、家の家計が傾いているというのは本当なのだ。両親を今更苦労させたくない。それでもこうまで抵抗するのは、相手が“あの”バルメダだからだ。名前の前に“あの”と付けられてしまうような人物だからだ。
 バルメダは山を一つ越えた、首都に近い町の大商人の息子だが、とにかく女好きで有名なのだ。一応貴族の家系に入っているらしいが、その辺りは認めたくないので割愛する。彼の噂はフィランの町にまで流れてくるほどだ。
 フィラン自身も貴族の娘という事で、色々と隣町へと噂が流れているらしいがバルメダに比べればいい方だ、とフィランは勝手に思っている。
「んな奴の所に嫁ぐなんて、友達になんて言われるか……ああ、いっそのこと男に生まれれば良かった……!」
「ああ、それはいい」
 相槌の声があった事には気付かないままフィランは悔しさに拳を震わせる。
「そうすれば王宮騎士にでも何でもなって、名を上げる事もできるのに」
「剣が好きなの?」
「好きなんだけど、両親は平和主義者だから隠れて練習するしか出来なかったのよね。こればっかりは許されなかったわ。おまけに女が剣を扱うなんて、世の中じゃ変わり者扱い……って、あんた誰よ」
 振り返った視線の先に少年がいた。いつの間にかフィランの私室で寛ぐ彼は、椅子に座り、どこから用意したのか、優雅に紅茶を飲んでいる。
 少年はニコリと笑った。
「僕は魔法使い」
 その笑顔は可愛らしいものだった。可愛いものに目がないフィランは、今まで怒っていたことも、警戒心も、すっかりと忘れて頬ずりしたくなる衝動に駆られる。幸い、行動には移さない。
「フィランは男になりたいんだね。なら男にしてあげる」
 少年の言葉を疑問に思う暇もなく、フィランの眼前で光が散った。
 眩しさに瞼を閉じる暇もないほど一瞬の出来事で、光は直ぐに消えた。少年は笑顔のまま首を傾げる。
「これでフィランは男だ。あとは自分の好きなようにすればいいよ。じゃあね」
 フィランに何事かをした少年は、愛くるしい笑顔を残して消えた。残されたフィランは胸を押さえ、今まで服を圧迫していた物がなくなっている事に唖然とした。胸元が特に、すかすかとする。
 しばらく呆然としていたが、事態が飲み込めてくるにつれて黒い笑みが浮かぶ。
「ふ、ふふふ……やった。これで婚約なんてしなくて済む……!」
 どうやら声も少し低いようだった。
 少年魔法使いが何者なのかは知らないが、これは神様からの贈り物という事で有難く使わせてもらう事にしよう、とフィランは立ち上がった。

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 結論から言えば、婚約は取り消されなかった。
 フィランの姿に両親は驚いて青褪めた。しかし婚約は既に顔合わせの日時も決められ、王宮へも報告が為されている。単なる口約束だけではなく、正式な手順を踏まなければ破棄することが出来ない段階にいるようだ。
 何も知らせずそこまで進めていたのかと、フィランは腹を立てた。けれど自分が男になってしまった以上、破棄は目前である。これからバルメダに顔合わせさせられようが何しようが全て茶番となる。
 ――ああ、何ていい魔法使いだったのかしら。魔法使いなんて今まで王宮で怪しい研究ばかりしてるものだと思ってたけど、あんなにいい魔法使いもいたのね。これからは認識を改めなくちゃ。ありがとう少年。私、貴方とだったら結婚してもいいわ。
 フィランは喜びのあまり何を口走っているのか分からないまま、脳裏でそれらを展開させた。
 目の前を歩く両親の背中は緊張している。
 フィランは現在、真っ白な騎士の正装をして両親の後ろを歩いている。フィランの父の領地では珍しく華やかな館だった。以前に訪れた時と少し廃れているように見えるのは気のせいだろうか。フィランは観察しながらバルメダと顔合わせの部屋へと入った。
 無駄に広い部屋だった。中央にテーブルが置かれ、フィラン側の両親の席と、フィランの席が並べられている。バルメダ側の両親の席とバルメダの席もあるが、当の婚約者同士の席がとても離れている。
 フィランは「こんな物なのかしら?」と思いつつ、両親に促されるまま席に座った。騎士服であるので、裾を気にせず歩く事が出来て、ちょっとした感動を味わった。
 バルメダが来るのを心待ちにする。
 婚約破棄が決定されているのだから、話の種に噂の彼の顔でも拝んでやろうと思ったのだ。そして今回の出来事を、面白おかしく友人に伝えてやるのだ。
 ――フィランが席についてしばらくしても、バルメダは現れなかった。
 指定の時間はとうに過ぎており、あまりに常識はずれな時間が流れようとしている。当然フィランは苛々とし始め、両親も落ち着かないように何度か館の者に彼らの到着を確認している。
 ようやく待ち望んだ者たちの到着が伝えられた。
 両親はあからさまに安堵して肩を落とし、フィランはそれを横目で見ながら苛立ちを募らせた。仮にも婚約者との初顔合わせをこんなにも遅刻して、どういうつもりなのだろうか。
 扉が開かれ、入ってきた老夫婦を見つめた。後に続くはずのバルメダを捜したのだが、フィランはその姿を見ることが出来なかった。
 眉を寄せて、フィランは入ってきた夫婦を見つめる。フィランの父も怪訝そうに事態を見守る。
「息子は、その……」
 言い難そうにフィランを見る夫婦に、フィランは勘を働かせた。
 ――逃げたのだ。すっぽかしたのだ。仮にも、王宮へ報告した正式な婚約者との顔合わせの場面を。
 そう理解した途端、フィランは勢い良く立ち上がっていた。椅子が倒れて両親が驚いている。バルメダの両親も目を丸くしてフィランを見ている。
 フィランは引き攣る口許を無理矢理笑みに変えた。
「丁度良かった。私の今の格好を見ればご理解いただけるかと思いますが、私は男なのです。この婚約は無効となりますよね。別に、本人が来なくても用なら足りますから。ではそういう事で、ごきげんよう!」
 フィランは荒々しく足音を立てて部屋を飛び出した。
 現れたバルメダの両親の側を通る時、彼らの視線が痛いほど突き刺さって悔しくなる。その視線は確かに驚いていたけれど、非常識な行動を取るフィランに対する咎めはまるで無かった。
 ――フィランが男であることは、まだバルメダには伝わっていなかった筈だ。それなのに彼は顔合わせをすっぽかした。
「噂どおり、最悪な男!」
 少しだけ期待していた自分の心にとても腹が立った。

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 王宮までの道のりを歩いていた時のこと。フィランは背後からやってきた男たちに囲まれた。良くいる、一人旅の女性を手篭めにするような雰囲気を纏う男たちだ。
「お嬢ちゃん1人でどこまで行くつもりだい?」
「誰がお嬢ちゃんだよ。良く見なさい。わ……俺は男だ」
 フィランは声を上ずらせながら必死で睨んだ。領地でこのような男たちに囲まれたことはない。少しでも男に見えるよう言葉遣いに気をつけたがぎこちなく、男たちは顔を見合わせて笑った。フィランの言葉を頭から信じていない。
 嘲っているのが明らかな彼らに、フィランは無言のまま剣を引き抜いた。
 王宮へ行くと言って譲らないフィランの為に、両親がしぶしぶながら鍛冶屋に頼んだ一品だった。肝心のバルメダも現れなかったし、フィランの肉体が男のまま戻りそうもないと思って、とうとう父も諦めたのかもしれない。
 白刃を見た男が面白そうに自分の剣も引き抜いた。
 剣を見せればあっさりと退散するのではないかというフィランの目論みは崩された。
「やるってのかい? お嬢ちゃんの細腕でどこまで出来るか、楽しみだなぁ?」
「男だって言ってる!」
 フィランは悔しさに涙を溜めて、鋭く剣を突き出した。
 応戦する男は1人だけで、他の男は面白そうに周囲で野次を飛ばす。
 最初の一突きは簡単に躱されたが、それは計算済みだった。男が避けた方向へと体当たりする。様子を見守っていた男たちが思わぬ反撃に口笛を吹く。地面に転がった男に野次を飛ばし、倒された男は舌打ちをする。
「少しは使えるようだが。付け焼刃なことは隠せねぇなぁ?」
 言いざま男が攻撃を仕掛けた。
 フィランは紙一重で避けたものの、太刀筋の鋭さと速さに、男の言葉が真実だと思い知る。躱すのが精一杯で、反撃に移る暇がない。これまで女の身でいたことが悔やまれた。男の姿になってからは護衛たちが剣を教えてくれるようになったのだが、それはとても、目の前の男たちに勝てるような日数ではなかったのだ。
 追い詰められたフィランは後退し、背後に別の男が当たった事に気付いた。
「お遊び終了、だな」
「放して!」
 自由を奪われたフィランは叫んだが、放される訳もない。
「ん?」
 好奇の目を注いでいた男の1人が、こちらに駆けてくる1頭の馬に気付いた。全力疾走してくるその馬に、他の男たちも意識を向ける。何をそんなに急いでいるのかと、もうもうと砂煙をあげるそれを迷惑そうに見やる。
 フィランはその隙を見つけて男に切りかかった。
「痛ぇっ!」
「来ないでよ!」
 悲鳴を上げた男は直ぐに追いかけてくる。その手を必死で掻い潜りながら涙声で叫ぶ。
 耳を塞ぎたくなるような怒声が飛び交って、声は直ぐに距離を縮める。
 恐怖と混乱に足がもつれ、転びかけたフィランは、ふわりと体が持ち上がった事に気付いた。疑問に思う間もなく、男たちの姿が遠ざかっていく。地面が凄まじい速度で流れ、フィランは眩暈がした。
「ふーん。近くで見れば可愛い顔してるじゃん。噂なんてアテにならねぇな」
 近くで聞こえた声に驚いた。
「動くな。落ちるぞ」
 フィランはようやく、馬に乗せられている事に気付いた。落とさないようにしっかりと抱えているのは見知らぬ男だ。
「誰?」
「誰でもいいだろ」
 そのまましばらく走り続け、緊張に汗をかいてきた頃、ようやく馬の速度が落ちた。後ろを見たフィランは誰もいないことに息をつく。男たちからは完全に逃れられたようだ。
「助けてくれて有難う……あの――」
 改めて男の顔を見たフィランは、男の整った顔立ちに見惚れた。
「どうした?」
「綺麗な顔立ちしてるなって、今のなし! 言い間違い! 気にしないで!」
 何を口走ったのか恥ずかしくなって両手を振ったフィランは、拍子に落ちかけて再び男に支えられた。男が呆れたようにフッと笑みを洩らす。
 その仕草も慣れたもので、フィランはやはり見惚れてしまう。悪の手から助けられた姫が、王子と恋に落ちるのは物語りの王道的な話だと、フィランでもそんな話に対する憧れはあった。
「たまには1人に絞ってみるのも悪くない」
 呟きを聞き返す前にフィランの口は塞がれた。驚くフィランの瞳に、尋常でなく近づいた男の顔が映り込む。伏せられた睫毛の影が頬に落ちる。
 一体何をされているのか、一瞬で混乱に陥ったフィランは男の胸を叩いた。しかし口付けが止まることはなく、全てを奪いつくすかのように何度も繰り返される。そしてあろうことか服の中に男の手が進入してきた。
 フィランは体を震わせた。
 ――道の往来で何してるんだ、この変態野郎ーっ!
 悲しいかな、口を塞がれているために罵詈雑言は浴びせられない。
 羞恥と混乱と苦しさと、その他諸々が滅茶苦茶になって、何が何だか分からなくなってきた。男が体を離したのは、フィランの真っ平らな素胸に触れたときだ。
「男……」
「この変態ーーっっ!!」
 フィランの大絶叫が迸った。
 容赦なく男を馬上から蹴落とし、肩で荒い息をつく。
 蹴落とされた男は、馬上で真っ赤になって涙を零すフィランを見て、赤い顔を背けた。
「……フィラン?」
「何で私の名前知ってるのさ!」
 フィランは睨みつけた。
 こんな見知らぬ男にまで知れ渡るほど“フィラン”の名前は有名なのかと、フィランは拳を握り締めた。先ほど描いた夢物語は無残に崩れる。目の前にいるのはただの狼藉者。体が震えてどうにもならない。
「何で私、男なの? 願ったから? そうね、でもこんな事なら頼まなきゃ良かったわ、馬鹿!」
 大混乱のままとうとう泣き出したフィランは両手で顔を覆った。男の手がフィランの片手を掴み、外させる。真っ直ぐに見つめられてフィランは胸を高鳴らせる。
 一目惚れしたのだと気付いたのは、これよりずっと後の話になるのだが。
 男はどこか不機嫌な手付きのままフィランの涙を拭った。
「俺がいる町にまでお前の噂が伝わってきていて、そんな変人と婚約なんて冗談じゃないと思った」
「え?」
「使用人に頼んでお前の様子を見てくるよう言ったんだが、余計な事までしてくれたらしい。お陰で合わせる顔がなくなった」
「はぁ?」
「お前が王宮へ行ったという話を聞いて、婚約破棄の手続きをするんだと思ったんだ」
「はぁ……」
 フィランは相槌を返す。フィランが王都に行こうと思った訳は、男になった今であれば何かしらの職が見つかるのではないかと思ったからだ。婚約が駄目になった以上、フィランが稼がなければ両親は本当に苦労することになる。それぐらいはフィランも悟っている。王都にいけば婚約破棄の正式な手続きができるのだと、男に言われて気付いたほどだ。
 男が気まずそうに視線を逸らして言うものだから、フィランも何とはなしにその言い訳のような話を聞いていた。
「エクタ!」
「はいはーい」
 男の声に応えて少年の声がした。宙に現れたのは、フィランを男にした少年魔法使いだった。
 思わず絶句するフィランであるが、男二人は構わぬように会話を弾ませる。
「元に戻せ」
「もう、やだなぁ。これだから気紛れなご主人様は」
「余計な気を回してややこしくしたのはお前だろう」
「はーい」
 エクタ少年魔法使いはやる気のない態度で返事をするとフィランに向き直った。
 パチン、とフィランの眼前で光が弾けた。目を硬く瞑ったフィランは、服が急に窮屈に感じられて眉を寄せた。
「え?」
 声も高くなっていた――女としていた時の高さに戻った。
 目を開けたフィランは自分の姿を眺め下ろす。そっと胸に触れてみると、そこには確かな膨らみがある。
「じゃあ僕は消えますね」
 元に戻すなら最初から頼まないで欲しいなぁ、とぶつぶつ呟きながら、エクタ少年魔法使いは消えた。
「そっちの町でも俺の妙な噂があるらしいが?」
「……女好きで節操なしで意地が悪いっていうバルメダ……」
 バルメダは顔を顰めた。
「言っておくが、女好きでも俺は一途だぞ。今までのは遊びだ遊び。本命にはちゃんと一途だ。しかも意地が悪いってのは一体なんなんだよ」
 不貞腐れたようにバルメダは呟いた。言い訳のような説明をされても、それも何だかなぁという感じではあるが。
 バルメダは馬に手をかけて飛び乗った。そして少し躊躇ってから、女に戻ったフィランに口付けた。
 幸いなことに拒否はされなかった。

END

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