結婚して欲しい
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3.

 暗い、進めない、何ここ。
 幽霊屋敷、と古びた看板が掲げられた屋敷に足を踏み入れた若菜はそんなことを思っていた。
「厚志。いる?」
「背後に」
「その言い方やめて。厚志が幽霊みたいだ」
 足場の悪い場所を滑り落ちるようにして下りた若菜は、軽く咳き込んで眉を寄せた。空気が乾燥しているせいか喉が痛む。気管は強くないほうだ。のど飴でも持ってくれば良かったなと思いながら、若菜は振り返った。先ほどの言葉通り、厚志がいる。彼も坂道を滑り落ちて来たのだろう。2人は敷いてあるマットに座っていた。
「なんていうか、凄く本格的な幽霊屋敷だね」
「色々と投資してるからな」
 若菜は小首を傾げて厚志を見たが、何の反応もない。視線を周囲に動かした。
 暗闇のなか、壁から放たれた青いレーザー光が足元を照らしている。立ち上がって尻を叩き、顔を上げて苦笑する。どうやら墓所のようだ。先ほどから静かなBGMも流れている。
 ゆっくりと周囲を眺めた若菜は驚いた。墓所のなかに、人魂が浮いている。紐も見えないのにどうやって吊り下げているのだろうと思った若菜は手を伸ばしたが、揺れる人魂はすり抜けた。
「一種の投影装置だろう」
 何とかつかもうと躍起になっていると、厚志の声がかかる。
「ほう?」
「うわ。凄ぇ嬉しそうな顔」
「こういうの、かなり好き」
 若菜は顔を輝かせて墓所を歩き出した。ここに来るまでにも結構な数のからくりがあった。100本の蝋燭に火を灯さないと開かない扉があったり、厚志と二手に別れてそれぞれに繋がる扉の鍵を探したり。
 その要所要所で効果音やBGMが流され、スタッフが効果的に幽霊役をこなす。あまりのリアルさと恐怖さにリタイヤする者たちも多いらしい。
 2人1組ではないと入れないこの屋敷は、遊園地の名物の1つだった。人気スポットで、入口には長蛇の列ができていた。長い待ち時間を過ごし、ようやく順番が巡ってきた若菜たちに、案内役のスタッフは凄味を持たせたメイクでニタリと笑う。
「リタイヤするときは彼氏に抱きついて泣けばいい」
 とからかったが、生憎と相手が悪い。若菜が氷点下の笑顔を見せるとスタッフは悪寒を感じたのかそのまま直ぐに場内の説明に移っていた。
「人魂が作れるってことはさ、進もうとすると幽霊も出たりしてほら出た!」
「普通そこは怖がるところ」
 墓所の一番奥から、CGで描かれた幽霊が浮かび上がった。若菜は嬉々として身を乗り出す。その瞳は少年のように輝いていた。
「うわぁ、凄ぇ何これ、うわー、うわー」
 目の前に飛び出してきた死体にも恐れることなく手を伸ばす。この死体も投影されたCGだ。手が死体を突き抜けることを知ると、若菜は歓声を上げて喜んだ。裏方に控えているスタッフたちも大変だろう。
 幽霊たちは次々と出現し、若菜たち2人を囲むようにグルグルと回り出した。生贄を見つけたと喜んでいるようだ。そういう設定なのだとこの部屋に入る前の案内図に書いてあった。
 呆れ顔で若菜を見守っていた厚志は、ひときわ大きな墓石に目を向けた。
「ほら見ろ若菜。あっち側の幽霊が親玉みたいだぞ」
「え?」
 若菜が振り返った先ではドライアイスが吹き出していた。鼓膜をつんざくように大きな効果音も鳴らされる。照明効果も息を合わせたタイミングで、立派な墓石から大きな顔が浮かび上がってきた。
「幽霊っていうか、妖怪?」
 これだけタイミングも雰囲気も揃えているのに、惜しむべくは観客が恐れを知らない好奇心の塊であるということか。若菜は先ほどの大きな音に体を震わせたあと、にっこりと笑顔を見せた。
 よっし、と気合を入れて、額に上げていたゴーグルを下ろして瞳を覆う。
「あれを倒せばこの部屋から出られるっていうわけね」
 ゴーグル越しに分かる、幽霊の弱点ポイント。今回の弱点は胸部だ。幽霊の胸元がひときわ強く輝いている。
 若菜は入口で渡されたオモチャの銃を構えた。たかがオモチャの銃だが、この屋敷の中では最強の武器だ。
 屋敷のコンセプトは『魅力的なアドベンチャー』だという。屋敷の中にはびこる幽霊を退治しながら宝を見つけて脱出せよというストーリーも絡めている。アクション要素もふんだんに取り入れられ、少し前にテレビ局の取材も入っていたようだ。恋人以外にも2人1組であれば入場できるので、友人同士で来る者も多い。10歳以下の子どもは保護者同伴が必須のため、その点を踏まえると、この遊園地は子ども向けというより大人向けといった方が正しい。
「屋敷の中に墓所があるっていうだけで爆笑ものだけどね」
「笑うのはお前みたいな奴だけだ」
 若菜は厚志と2人で銃を連射した。
 多大な労力をかけて出現した幽霊はあっさりと退場させられた。


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 若菜はからくり仕掛けの幽霊屋敷に大満足した。思った以上の面白さだ。
 無事にクリアし、出口のスタッフから攻略済のハンコを地図に押して貰うと機嫌は更に良くなった。
「守り甲斐のない女」
 若菜は上機嫌な微笑みのまま厚志を振り返った。
「厚志はそういう女が好み?」
 そんな質問は意外だったのか、厚志は双眸を瞠って声をつまらせた。少し考えるように視線を逸らせて笑う。
「気になるのか?」
「好意的な意味で言えば気にならない」
「どこら辺が好意的なんだ、それ」
 厚志は破顔した。
 若菜も笑みを返して背筋を反らせる。幽霊屋敷が暗かったため、空の青さが目に染みる。
「一番怖いのは生きてる人間。力で向かって来られたら私が敵わないことなんて沢山あるし。まぁ、そんな事態に巻き込まれることは滅多にないと思うけどこの前は助かった」
 少し早口な台詞に隠された感謝の言葉に、厚志は瞳を瞬かせた。困惑したようだ。ためらいがちな質問が頭上から降ってくる。
「ストーカー?」
 若菜は小さく頷いた。
「元を正せば私をあの場所に向かわせた厚志に原因があるとも言えるけど」
「待てこら」
「それにだけは感謝してあげよう」
 どこに感謝が含まれているのか。尊大な態度で不敵に笑って見せると、厚志は肩を竦めてため息を零した。
「――ということで」
 若菜は不意に立ち止まると厚志に手を差し出した。
 意味が分からなかったようだ。厚志は眉を寄せてその手を見たあと、若菜の瞳を見る。怪訝な表情で、目で問いかけた。
 若菜は少しだけ時間を置いて、明らかに本意ではないという顔をしつつ厚志の腕を取った。厚志の隣に並び、彼の腕に自分の腕を絡める。そして手を繋ぐ。驚いて硬直する厚志とは裏腹に、若菜はごく自然に歩き出した。まるで本物の恋人同士のように、幸せを湛えた笑みを厚志に向ける。
 厚志は微かに口を開いたが、言葉が生まれることはなかった。
 若菜はいつもの掛け合い雰囲気を払拭させてそのまま歩く。ごく自然に園内を見渡す。次にどこへ行こうか、と思案する視線だ。しかし厚志はその不自然さに気付いたように眉を寄せた。
「……なんだ?」
「護衛」
 浮かべている幸せそうな表情が嘘のように、若菜の声は平淡で素っ気ないものだった。厚志は再び瞳を瞬かせる。
「さっきからベンチ座ってる男2人がこっち見てるの。厚志がどこか用足しに行くの待ってたりするんじゃない? 私だけじゃなくて他の人にも目を配ってるし」
 若菜は厚志の視線を男2人に注目させるよう、さり気なく誘導しながら彼らの前を通り過ぎた。男2人の視線は確かに若菜を追いかけて動いたが、やがて外され、他の者たちに移っていった。
 しばらく歩き、男2人の視界から消えた頃に厚志は息を吐き出した。
「……良くそんなことに気付けるな」
「自意識過剰だって言われればそれまでだけど、そのお陰で巻き込まれることは少ないね」
 若菜は笑みを消して告げた。脳裏には嫌な思い出も蘇る。
 杞憂ならばそれでいいのだ。何事もなければそれに越したことはない。
 若菜は気を取り直すように遊園地の地図を広げた。チェックが入っていない場所はまだ数箇所ある。明るい声で、どこに行こうかと相談した。
 絡めた腕を若菜から外すことはなく、厚志から外されることも。その熱に違和感を感じなくなるのは案外早かった。

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