四面楚歌の抜け道
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2.

 気が重くて乗り気ではない。それは自分が一番良く分かっている。
 けれど若菜は「これも仕事のうちだ」と言い聞かせて笑顔を貼り付ける。隣に座る和人へ声を掛ける。
「秋永さん。来週の金曜日は予定ありますか?」
 仕事が一段落ついた頃。突然横から声を掛けられて、和人は驚いたようだった。パソコン画面を見続けて疲れた目を揉み解していた手を止める。若菜をしばらく見つめ、ニコリと笑う。
 その笑顔に寒気を催した若菜である。
「俺の歓迎会?」
「……ええ、まぁ早い話がそうなんですが」
「この前もやった気がするんだけどな」
「あれは会社全体での歓迎会です。次に予定してるのは、この部署内だけで――身内だけの歓迎会なんです。秋永さんの都合が悪ければ別の日に回すこともできますが……」
 そうは告げながら、決して断らないだろうことは確信していた。内輪での飲み会なら、参加者は開放的に打ち解けることが出来る。そんな日を和人が見逃す筈はない。
 それが今日までの彼の行動によって感じたことだった。
 案の定、和人は少しだけ考え込むふりをした後に承諾した。
 若菜は笑顔で「良かった」と告げながら内心で落胆する。
「では伝えておきますね」
 必要事項だけを聞き出した若菜は早々に話を打ち切ろうと体を戻した。しかし椅子を引っ張られる。
「……何ですか?」
「歓迎会なんだけどさ。それって親睦を深めるって意味での歓迎会なんですよね?」
「そうですね」
 若菜は眉を寄せる。
「それはそれで楽しそうだけど、若者は若者で別の親睦方法もあるんじゃないかな」
 仕事中だというのに体を乗り出し、顔を近づけてくる和人に、若菜は思い切り眉を寄せて皺を作った。好感度がマイナスに近い彼に近寄られるのは精神的苦痛である。
「言っておきますけど私には恋人がいますから、そういう意味で親睦深めるつもりなら容赦なく距離を置かせていただきますよ?」
 若菜は首から提げていた指輪を取り出して掲げた。こういう時だけ有効活用だ。
 和人は微かに瞳を見開かせたけどそれだけで、体を引くと苦笑した。
「そういう意味での親睦は間に合ってるよ」
 和人はサラリと言ってのける。
 若菜は彼を冷めた目で睨み、奥歯を噛み締めた。大輝と仲が良いというだけで受けてきた嫌がらせが、最近ようやく減ってきた。けれど今度は和人と共にいる時間が増えるという理由だけでの嫌がらせがある。その件数は徐々に増えてきており、いずれ、大輝原因の嫌がらせよりも和人原因の嫌がらせの方が勝るのだろう。仕事上の部下にあたるため邪険にもできず、嫌がらせは甘んじて受ける。そのようなことでへこたれる若菜ではない。しかし苛立ちは募るのだ。一緒にいたくている訳でもないので、少しは嫌がらせの主たちも自重してくれないだろうかと思う。
「俺が言ってるのは、皆で休日に遊びに行かないかっていうことなんだけど」
「……遊びに?」
「そう。俺、実は優待券持ってるんだよね」
 若菜の興味をひいた和人はおもむろに鞄を取り出すと、そこから何かのチケットを取り出した。
 見覚えのあるチケットに若菜は目を瞠る。
 和人が持ち出したのは、若菜が厚志に連れて行かれた遊園地のチケットだった。
「人数制限もない無料チケット。女と行こうと思ってたんですけど、どうせなら盛大に使いたいと思いませんか、阿部先輩?」
 若菜は心を揺さぶられた。厚志と行った時の開放感を思い出して、もう一度行きたいと思えた。しかし休日を潰されるのは嫌だし、共に行くメンバーが会社の者たち、というのも息が詰まる。そしてそのプランを取れば、親睦会で考えていた歓迎会プランが潰されることになる――とは言え、そのプランは単なる飲み会であり、親睦会という意味では和人が示す方法の方が余程いいものなのだが。
 若菜は断ろうとした。けれど丁度通りかかった人物が和人からチケットを取り上げたのを見て、そのまま言葉を失った。
「おお、秋永和人。君は良い奴だな。確かに、たまには変わった親睦会もいいかもしれん。採用だ!」
「……高橋さん」
 若菜は落ち込んだ声で呟いた。
 現われたのは若菜と共に同期で入社した高橋裕也だ。彼は若菜と同じく、今年の親睦会役員を務めている。彼にチケットが渡ったなら必ずそれが採られるだろう。若菜には強く反対する正当な理由がない。
 高橋の朗らかな声に周囲が気付き、何事かと集まってくる。
 若菜が口を挟む間もない。
 和人が持ってきた無料チケットは、回覧まで作って回され披露され、その行事はあっと言う間に決定してしまったようだった。
「俺としては気兼ねしなくて済む奴らだけで行きたかったんですけどね……?」
 全社員に回された回覧板を手にして和人は苦笑する。しかし希望が叶ったことで、その横顔は嬉しげだ。
 反対に若菜は机に肘をつき、眉を寄せながら、渡された回覧板を睨みつけた。


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「厚志? 来週の土曜日なんだけど、用事が入ったから紗江さんのところ行けなくなった」
 告げると携帯電話の向こう側から不機嫌な声が返ってきた。若菜も負けないくらい不機嫌な声で返す。
「仕方ないじゃん、会社の用事なんだから。私だってせっかくの休日潰されるの嫌だ。でも今年は役員になっちゃったし欠席する訳にはいかないよ。文句なら私じゃなくて新人に言え」
 それこそ無茶なことを言いながら若菜は溜息を吐き出した。
 厚志は仕事の都合で、今日は家に来られない。
 そんなこと、わざわざ報告しなくてもいいよと呆れた若菜だが、丁度いいとばかりに自分の用件も告げた。インフルエンザで世話になってから、週末は彼らの家を訪れようと厚志と決めていた。
 携帯電話の向こう側からは大勢の声が聞こえてくる。厚志はどんな所に勤めているのだろうかと疑問が湧く。気付けば厚志のことなど何も知らないのだと思った。
 聞こえてくる人々の声は忙しそうで良く聞き取れない。その合間に聞こえてくる微かな機械音はパソコンだろうか。
「一人で行くんだったら私の分も謝っておいて」
 若菜は嬉しげな紗江の様子を思い浮かべた。若菜が行けないと知ったらさぞや残念がるだろう。紗江の表情が沈むのを見るのは忍びない。全ては秋永和人のせいである、と唇を尖らせる。
「ああ、うん。じゃあね」
 若菜は携帯電話を切って寝台に横になった。
 しばらくぶりに、一人きりになれる静かな夜だ。厚志に怒鳴ることもない。
 何もすることがなくてゴロゴロと転がり、寝台から落ちかけた所でため息をつく。
 いればいたで邪魔に思うのに、いなければいないで物足りない。生活の一部となってしまったのかと思うと忌々しい。
 若菜はうつ伏せになって顔をあげ、目の前のぬいぐるみに手を伸ばした。引き寄せて抱き締める。
 気乗りしない遊園地だが、決まってしまったものは仕方ない。
「お前の兄弟も貰ってくるよ」
 ぬいぐるみ遊びはとうに卒業していたが、若菜はぬいぐるみに語りかけた。
 丁度もう一つ欲しいと思っていたので良い機会だ。これを利用させて貰い、ぬいぐるみを手に入れよう。
 転んでもただでは起きないのが阿部家の鉄則だ。
 若菜は複雑な胸中のままため息を吐き出し、瞼を伏せた。

 
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