他人事恋愛相談
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1.

 NWクリエイティブは様々な業種を持ち、各業種ごとに名前を変えて全国に支店を展開させている。若菜が勤めるここも、数ある支店の中の1つだ。自社ビルのため、他会社の人間と遭遇することはない。
 先日開かれた緊急総会は、ビル1つに集約された部署たちの幹部たちを集めて行われたもののようだ。それからは会社全体が慌しさを増したように感じる。実は本社のお偉いさんだったという純一や厚志が支社に出向いているのだから、それは仕方のないことなのかもしれないが。
 周りが慌しくなると、直接関わりのない自分まで焦ってしまい、落ち着かない。
 親睦会議に参加していた若菜は、同期生である高橋の熱弁を聞き流しながら横目で大輝を窺った。先日のことがあってから彼の態度も少し変わったように思える。寂しいことだ。それとはまた別に、大輝は仕事の最中にも険しい表情をすることが増え、出張も増えた。その忙しさは課長も同じだ。出張先から資料を持ち帰り、なにやら勉強をしている。
「おい阿部。聞いてるかっ?」
 怒鳴り声に襲われ、若菜は慌てて意識を会議に戻した。
 高橋が真っ赤な顔で睨んでいる。
 若菜は「うわ」と思いながら大輝を窺った。彼は小さく苦笑し、いつの間にか配られていた書類を示す。若菜は慌てて目の前の書類に手を伸ばした。
「今日も暑いからね。職場にも冷房つけてくれって頼んでみるよ。いつまでも扇風機だけじゃ俺らも辛いし……なんなら余ってる親睦会費で付けるって手もあるね」
 大輝が楽しげに口を開いた。若菜は助かった、と息をついて軽く頭を下げた。
 一方、高橋は大輝の言葉に目を輝かせて食いついた。
「本当ですか、大輝先輩! 絶対ですよ。絶対、今年こそ、冷房つけて下さいよ! 約束ですよ!」
 身を乗り出して念押しする高橋に大輝は苦笑する。
 若菜も声には出さずに笑ったが、内心は高橋と同じだ。関東に比べれば涼しいと言われる東北の夏だが、関東に住んだことのない現地人にしてみれば「だから何。暑いものは暑いんだ。比較されたって暑さが和らぐわけじゃないでしょう」と唇を尖らせるところだ。
 今年もどうやら相応の夏がやってくるらしいが、寒さに長けた東北人は、室内温度が30度近くを示しただけで無気力人間と化すのが得意だった。
 最近ではどこの会社にも冷房が入っているが、廃ビルを利活用したこの職場には、まだ冷房が設置されていない。
「クールビズなんて謳ってますけど、俺の友だちは冷房の温度を24度にまで下げて仕事してるらしいですからね! あぁクソ暑い! 先輩。さっきの話、絶対に通して下さいね」
「分かった分かった」
 この話にこれほど食いついてくるとは思わなかったようで、大輝は宥めるように手を挙げ、苦笑して頷いていた。
「じゃあ俺はそろそろ仕事に戻るかな。高橋も、ほどほどにして切り上げろよ」
「えー、大輝先輩が仕切って下さいよ。ちっとも案がまとまらないじゃないですか」
「それはお前が余計な私情を挟むからだ。今年は阿部さんと二人が幹事なんだから、二人で決めろよ」
 高橋はグッと声を詰まらせて大輝の背中を見送った。若菜も書類をめくる手を休め、笑顔で見送る。会議室の扉が閉まってから高橋を振り返る。
「で、どうします? 今年の夏親睦はなしにします?」
「いーや、やる。例年この時期は暇になるんだ。何が何でもやってやる」
「例年と違って今年は物凄く忙しくなりそうな予感がするんですけど」
「ただで飲める機会を減らしてたまるか!」
 結局それかよ、と若菜は軽いため息を洩らして笑い声を上げた。
「はいはい。じゃあやるってことで、場所は私が決めますよ? 高橋さんが選ぶ店って怪しげなところばっかりですからね」
「何だと! こっちの『やおろずバー』は店の親父がプロの手品師を目指してて」
「はーい却下ねー」
「クッ。ならばこっちの『由美子の部屋』は内装が女好みで」
「噂には聞いたことありますよ、由美子の部屋。何でも、全面ピンクの壁紙で、ステンドグラスがそりゃもう怪しげなムード全開で、当然ながら却下候補の1つになる場所ですね」
「クゥ……ッ、阿部! お前の美的感覚は間違っている!」
 店候補を連ねた書類を1枚1枚確かめながらのやり取りだ。高橋は悔しそうに拳を握り締めるが、若菜は笑顔で切り返した。
「親睦会感覚で正しいのは私です」
 大輝が去り際に目配せしていった意味をしっかりと理解しながら若菜は断言した。高橋の暴走などお見通しだったに違いない。一体どれほどの人間を掌握しているのだろう、と若菜は感嘆するばかりだ。
「そういう店はせめて、興味ある人たちだけで、三次会からにして下さいね」
「二、二次会はどうだ」
「二次会にはまだ正常な人間が沢山参加するので不可能です」
 親睦会の三次会ともなれば、深夜を回って午前様だろう。そこまで残っている人間がいるのかと言えば非常に稀で、高橋の野望は実現することなく夢に消えそうだ。
「個人で行けばいいじゃないですか。個人なら私も止めませんよ? 次の日から見る目が変わるかもしれませんけど、差別はしません」
「初めての場所に1人で行くには勇気が要るんだぞ、阿部」
「知りませんよ」
 若菜は呆れて書類を閉じた。軽く揃えてクリアファイルに入れる。
 怪しげな店候補しか載っていなかった書類は、この後すべてシュレッダー行きだ。
 高橋は夢破れて両手をテーブルにつき、グッタリとうな垂れた。そんな様子を見ながら若菜は肩を竦める。
「では丁度お昼ですし。今日はこれで終わりましょう」
 立ち上がった若菜だが、高橋に呼び止められて振り返る。少しだけ慌てたように腕をつかまれ、若菜は思わず眉を寄せた。軽い嫌悪感を抱いてしまう。そんな自分にも腹が立つ。
 若菜は高橋に気取られる前に無表情へと塗り変え、次いで笑顔を浮かべた。
「なんですか? 廃案は復活させませんよ」
 高橋は残念そうな顔をしたものの、言いたいことは別にあったらしく、かぶりを振った。
「阿部さ、高岡先輩と仲が良かっただろ?」
 どうやら彼は若菜の不自然な態度に気付かなかったようだ。若菜は胸中で安堵し、彼を見つめ、反芻する。
 美智子とは職場の上司部下の関係ではあるが、仲が良いのかは分からない。友だちだと呼べるほど親しくない。即答は避けて、問い返す。
「美智子先輩が何か?」
「いやー、最近彼女、綺麗になったよな、阿部」
「は?」
 高橋の視線は遠くを泳いでいた。まるで世間話でもしているかのような雰囲気だ。
 若菜は眉を寄せて高橋を見つめる。
「綺麗は綺麗ですけど……」
「固さが取れて柔らかくなったっていうか、前より付き合いやすいというか」
 何が言いたいのだろう、この男は。
 高橋の視線は泳ぎっぱなしで戻って来ない。沖にまで流されたらしい。
 若菜は間が持たないので、書類からホッチキスを外してシュレッダーにかける準備を始めてみた。高橋は気付かないまま、いまだその場でモジモジと指を組み変えている。気持ちが悪い。
 そうこうしている内に、お昼のチャイムまで鳴り響く始末だ。お腹が鳴りそうで、若菜は書類をしまった。
「先に行きますね」
「ま、待て待て!」
「嫌です」
 慌てる高橋へ無情に応える若菜。二人しか音を発しない静かなこの会議室でお腹の音が鳴り響くのは勘弁して貰いたい。
 そんな思いで彼を振り切ろうとしたのだが、若菜は再びつかまれた。
 今度は両肩に手が置かれ、力いっぱい振り向かされる。脳裏を過ぎった嫌な思い出に若菜は息を呑んだ。体を固くする。瞳には明らかな嫌悪感と怯えを宿し、高橋を見る。
 さすがに様子に気付いた高橋は謝ってきた。
「……大丈夫です。驚いただけですから。それで、美智子先輩が何だっていうんですか」
 この期に及んで言葉を濁すようだったら即刻立ち去ろう、と決意しながら問いかけた。先ほどの若菜の反応に気まずそうな顔をしていた高橋は、その言葉に頬を赤く染める。
 若菜は心持ち体を引いた。
「高岡先輩、恋人と別れたんだよな?」
 若菜は沈黙を保った。彼の瞳は真剣だ。
「……えーっと」
「俺は気付いたんだ。高岡先輩の指にあった恋人指輪がなくなっていたのに!」
 そうですか、と若菜は沈黙を保ったまま心の中で彼に応えた。
「ってことは、彼女は今フリーってことだよな? まだ失恋療養期間が適用されてて、縁談もないんだよな?」
「いやぁ、それは私には分からな」
「阿部。俺を応援してくれないかっ?」
 熱を上げた高橋に言葉は届かないようだ。彼は鼻息も荒く若菜に詰め寄り、応援を請う。
「高岡先輩と仲がいいお前だったら、高岡先輩が好きな食べ物とか、欲しい物とか、行きたい場所とか、知ってるんじゃないかと思ってさ」
「いや、そんなの知らないし」
 むしろ親しい友人であっても、誕生日を知らない若菜だ。いや、その前に、親の誕生日すら知らない。そんな若菜にその応援は酷だろう。
 引き攣る若菜に、高橋は心得ているように大きく頷いた。そして諦めなかった。
「今知らなくても次がある! 聞き出せ阿部!」
「んな無茶な」
 若菜は唖然と呟いたが、やはり高橋の耳には届かなかったようだ。彼は若菜の両肩を叩き、凄まじい形相になりながら頼み込んでくる。若菜は口を開いてはいけないような気分になりながら体を引いた。高橋が一歩詰めてくる。
「美智子先輩が気になるんだったら、私の手なんか借りないで告白してみればいいじゃないですか」
 そう言ってみると高橋は情けない顔をしてうな垂れる。
「今まで高嶺の花だった高岡先輩に、俺の印象なんて残ってるわけないだろう……?」
「いや。そうでもないと思いますけど」
「俺は、もうちょっといいところ見せて、高岡先輩の印象を良くしてから告白に踏み切りたいんだ」
 若菜は無言で「根性なしめ」と毒づいた。他人事だ。
「明日、先輩を食事に誘おうと思ってるんだ。高岡先輩が好きそうな場所、選んどいてくれよな、阿部」
「なんで私が」
 突っぱねようとした若菜だが、高橋は任せるように若菜の肩を叩くと出て行ってしまった。
「ちょっと!」
 追いかけようとしたが高橋は会議室から出てしまい、若菜の声は職場に響き渡る。そこには美智子もいて、不思議そうな目を若菜に向けていた。
 そんな中、高橋に断れるはずもない。
 若菜は憎らしい思いで、食堂へ去る高橋を睨みつけた。

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