再出発
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4.

 若菜の自宅前に車が停まると、純一は何故か身なりを整えて車を降りた。
「……なんで親父まで降りるんだよ。さっさと石川に連れてって貰えよ」
 その言葉そっくり返すよ、と若菜は、降りた厚志にも胸中で向けた。
 純一を警戒しているのか、厚志はいまだ若菜の腕をつかんだままだ。若菜は無言のままため息をつく。
(本当にこいつは何考えてるかな)
 初恋を邪魔された時に感じた独占欲と同じ。『自分の物を盗られるのが嫌』なだけなのだ。
 若菜は眉根を寄せながら、そんなことを思った。
「挨拶はきちんとしておかないとな」
 自分の思考に没頭しかけていた若菜は顔を上げた。純一の顔はどこか嬉しげに綻んでいる。そんな彼に厚志は訝る視線を向けるが、若菜を素通りする分には問題ないと考えたのか、積極的に彼を止めようとはしなかった。
 若菜も純一を見送ろうとして我に返る。
 自宅前にまだ停まっているレンタカーの存在は、義之の在宅を示している。
 厚志とは打ち解けたような義之だが、果たして純一の存在は受け容れられるのだろうか。
 若菜は慌てた。
 純一のスーツをつかんで引き止めようとしたが一歩遅く、純一はインターホンを押していた。
(いれ以上ややこしくしないでくれ!?)
 必死の想いも純一には伝わらない。
 誰か出てくる前に、と若菜は素早く自分で扉を開けた。
「ただいま!」
 大声で帰宅を告げ、今のインターホンはなかったことにする。
 が、哀しいかな。若菜の目の前には大工道具を抱えた義之の姿があった。
 どうやら裏庭に放置してあった小屋の修繕に取り掛かろうとしていたらしい。驚く義之に、若菜は冷や汗を流す。
 一瞬で名案を思いつき、一瞬で実行に移す――生憎と、そんな器用さは持ち合わせていない。
 義之の視線が若菜を滑り、その背後に向かった。
 若菜は考える。
 いっそのこと、このまま扉を勢いよく閉めてなかったことにしようか。それで純一の手が挟まったって知るもんか。
 しかし実行には移せない。
「誰だ?」
 初見の純一に、義之は戸惑うような声を上げた。説明しろ、というニュアンスが含まれた視線を向けられたが、若菜は説明したくなかった。
「突然の訪問失礼します」
 若菜が良案を模索している間に純一が声を掛けてくる。
 義之は「俺か?」と更に戸惑い、「はぁ」と曖昧に頷いた。まるでこれから訪問販売が始まるかのような雰囲気だ。
「実はこの度、政府の縁談で若菜さんと婚約しました、厚志の父にあたる者です」
 純一はスーツの胸ポケットから銀色の名刺入れを取り出した。慣れた手付きで名刺を差し出す。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ない。なにぶん多忙な身で、本日しかご挨拶に伺える機会がありませんでした。とは言え、今日も次の予定が入っているんですが」
 爽やかに純一は告げる。
 義之は名刺を貰ったままの状態で固まっている。
 非常に複雑な構図を、若菜はただ見上げるしかできなかった。
「――斎藤、純一……?」
「ええ」
 純一が笑みを深めた。どこか意図的な笑顔だ。
 義之の視線が背後の厚志に向けられると、厚志は開き直ったかのように視線を受け止めた。軽く頭を下げて純一の言葉を肯定する。
 義之が口を開きかけた、そのときだ。
 家の裏手から回ってきたらしい由紀子の声が聞こえてきた。
 全員の視線がその足音に向けられる。若菜だけは玄関の中に入っていたため由紀子の姿を見ることはできなかったが、義之の表情が強張る様子と、純一の表情が綻ぶ様子を目撃した。
「お久しぶりね、純ちゃん。いつ来るかと思っていたけど、ようやくのご登場?」
「由紀子さん」
 親しげに交わされた会話に若菜は瞳を瞬かせた。
 苛立たしげな表情をして顔を背ける義之を、ただ黙って見上げていた。

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