誕生日
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1.

 玄関を開けた若菜は瞠目した。
「お久しぶりです、若菜さん。今日から再びよろしくお願い致しますね」
 そう言って微笑んだのは島田だ。覚えている通りの丁寧な仕草でお辞儀をする。まるで執事だ。皺が増える微笑みまで懐かしさを感じる。
 しかし彼は安西紗江を手伝っており、しばらくこちらには来ないはずだった。
 若菜は数秒、言葉もなく島田を見つめた。
「ええと……もしかして私が外に出るまで待ってたんですか?」
 本当に聞きたいことは上手く言葉にならなかった。
 突発事態に弱い若菜である。
 島田は微笑んだまま若菜に手を差し出した。
「ご心配には及びません。頃合を見計らって車から降りましたから」
 気を取られていると鞄を取られ、若菜は慌てる。そのまま島田は歩き出した。
「だ、大丈夫ですって。そんなに気遣って貰わなくても!」
 鞄を取り返そうとしたが空振りした。車までは直ぐだ。そして島田は足が速い。若菜が追いつくよりも先に後部座席のドアを開け、鞄を中へ入れると振り返る。
「どうぞ」
 丁寧にドアマンまで務める徹底振りだ。
 久しぶりの至れり尽くせりに若菜はうろたえたが、結局は島田に負けて乗り込んだ。
「紗江さんたちは、もう大丈夫なんですか?」
 車内は快適な温度だった。運転席に乗り込む島田へ恐る恐る訊ねて見ると笑われる。バックミラー越しに視線が合った。島田は瞳が見えなくなるほど細めて笑う。
「だいぶ落ち着かれたようですし、私はお払い箱ですよ」
「そう、ですか……」
 茶目っ気を出す島田に、若菜はぎこちなく頷いた。
 島田がここへ来たのは厚志も知ってのことか、迎えに来る時間が過ぎた今も、厚志の姿は見えない。
 若菜は深く座り直す。
 久しぶりに会う島田との距離感がつかめない。
 厚志が言っていた“壁一枚”を思い出したが、現状は“壁三枚”も隔てているような気がした。居心地が悪い。
「今日からまた若菜さんの送迎に励みますよ。私がいない間、不自由でしたでしょう?」
 肯定すればいいのか否定すればいいのか、非常に迷うところだ。
 若菜はあいまいに微笑むだけに留めた。
「島田さんがいない間は厚志が送迎してくれていたので……」
 発車させ、国道に出ていた島田は「おや」と言うように眉を上げた。
「私はお邪魔でしたかな?」
「島田さんの方が断然いいです」
 強い口調で若菜は断言した。
 一瞬の間を置いて島田が笑う。
 若菜は頬を染めた。付随して思い出したのはここ一ヶ月の、厚志の態度だった。
 彼との距離がかなり縮まった気がする。過剰に触れてくるようになった。子どものように良く笑い、ドキリとするような発言もする。独占欲は子どもの頃と変わらないが、大人びた表情も見せるようになった。
 幼馴染として覚えている厚志ならば安心できるが、知らない男の顔を見せられると不安を覚える。
 一ヶ月前の宣戦布告通りだとでも言うつもりか。次第に追いつめられていくような気がして、若菜は悔しさを覚えていた。
 若菜は外の風景に視線を移し、厚志から贈られた肩掛けを握り締めた。誕生日プレゼントだ。衣服や装飾品にお金を掛けてこなかった若菜は当初価値が分からなかったが、かなりの高級品であることを知ってからはぞんざいに扱えなくなった。厚志の前で着るのはまだ恥ずかしいが、風を通さないので非常に重宝している。
「こちらではそろそろ雪が降り始める季節ですかな?」
 プレゼントを貰ったのは夏の盛りだったなぁと思い出していた若菜は、島田の声に目を向けた。
「まだまだですよ。今は紅葉が綺麗な季節」
 沈黙を気遣うような問いかけに、若菜は笑う。
 九月の今、雪が降ったりしたらさすがに異常気象だ。
 笑った若菜にあわせて島田も微笑む。
「厚志さんとは上手くいかれておりますかな?」
 若菜は笑顔で絶句した。
 そもそも、その質問に含まれた意味は“喧嘩していないか”ではなく、“恋人としてどうか”なのだ。島田の視線が物語っている。
 若菜は何か喋らなければと思ったが、口は空回りし、出てきた声と言えば「えっと」や「あー……」といった、意味を成さないものばかりだった。
 そんな若菜の状態ですべてを察したのか、島田は苦笑するように瞳を和ませた。
「お二人とも不器用ですからな」
「不器用っていうか……」
「努力を怠ってはなりませんぞ。差し出がましいことですが、私はお二人に幸せになって頂きたいのですよ。日華里さん以外には頑なになっていた厚志さんを見ておりましたから、余計にそう思います。どうか厚志さんをお見捨てにならないで下さいね」
 笑顔に潜んだ真剣な瞳。
 若菜は無言で見つめ返した。
 信号が青になり、やがて逸らされた視線に若菜は何となく安堵する。そして内心で苦笑した。厚志の周りには優しい人たちばかりだ、と。
 若菜はしばらく経ってから「努力します」と答えた。
 だいぶ時間が経っていたため、島田は眉を上げて首を傾げた。しかし直ぐに思い至ったようで、嬉しそうに笑う。孫を心配するお爺さんの表情だ。
「そろそろ厚志さんの誕生日ですが、覚えていらっしゃいますかな?」
 若菜は瞳を丸くさせた。
 誕生日祝いを貰ったときに聞き出していたが――
「忘れてた……!」
 しまった、と叫んだ若菜に、島田は苦笑した。

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