誕生日
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2.

「九月十四日」
 職場に着いた若菜は呟いた。早すぎて誰も来ていない。いつものパターンだ。誰もいないフロアは心地よく、電気もつけないまま自席に着く。
 机のカレンダーを手にした若菜は眉を寄せた。
「水曜日だ」
 休日ならば良かったのに、後にも先にも休みがない。平日のど真ん中だ。イベントを考えるのなら夜かな、と首を傾げる。しかし次の日は出勤日。あまり遅くまで厚志に付き合っていては仕事に支障が出る。
 ここで「当日じゃなくてもいいから日曜にするか」と考えないのが若菜だ。一度「九月十四日」と決めてしまうと、それ以外の選択肢は思いつく余地もない。
 厚志は厚志で面倒な仕事抱えてるらしいな、とカレンダーを凝視する。最近の彼は疲れた顔をしていることが多い。若菜が見ていることに気付くと直ぐに表情を払拭させるのだが、どれほど上手く隠そうとも分かってしまう。
 夜遅くに行って騒ぐよりも、普通に寝かしつけた方が誕生日祝いになるんじゃないだろうか、と若菜はため息をつきながら考える。
 他人への気遣いは面倒だ。これが親しい友人のことならば遠慮なく都合を聞いて騒ぐが、厚志はまた別だ。遠慮など無用だと思っていたのに、いつの間にかそんな強気は失せている。関係が少しずつ変わってきたのか。彼の瞳を思い出せば身動きできず、呼吸さえ止めてしまう。
 厚志の過去を少し知り、感情が見えるようになり、そして彼の態度も徐々に変化してきたように思える。そんな、最近の彼に無理を強いるのは躊躇われた。妙な距離感が煩わしい。
「どうしようかな」
 肘をつき、顎に手を当てながらボンヤリと呟いた。
 若菜は自分の誕生日を思い出そうとしたが、記憶をはるか過去まで遡らなければいけなかった。高校生にもなると家族での誕生日祝いは自然消滅する。親しい友人からは祝ってもらったが、毎年のことではない。むしろ友人からの祝いは、単純に騒げるイベントを探してできた「ついで」だ。
 忌々しい思い出と懐かしい思い出に口許をほころばせながら瞳を閉ざす。
 どうしようかな、ともう一度胸中で呟いた。
 瞳を閉じても眠くなるだけで解決にはならない。
 若菜は何気なく首からかけている指輪を取り出し、握り締めた。
 最後に家族で祝った誕生日を思い出す。由紀子が手間をかけて作った豊富な料理を囲み、家族でホールケーキを切り分けて食べた。
 果たして厚志にそんな情景を求めてもいいものか。大体、彼は今まで誕生日をどうやって過ごしてきたのだろうか。転校で離れ離れになってからの厚志は知らない。
 知っていそうな人物はごく身近にいたが、生憎と彼はまだ来ていない。
 近づきたくもない人物だ。
 しかし、島田に訊ねるのも、純一に訊ねるのも気が引けた。安西たちに聞く手もあるが、そちらは更に気が引ける。一番気安く聞けるのはやはり和人だろう。
 そんな結論に至って、若菜は苦々しく舌打ちした。
 厚志が喜びそうなアドバイスなどを沢山知っていそうだ。あれほど厚志愛に溢れている後輩も珍しい。
 そろそろ皆が出勤してくる時間だ。
 若菜は入口を気にしながら始業の準備を始めようとした。
 そのときだ。
 場違いに大きな、携帯電話の着信音が鳴り響いて飛び上がった。
「び、びっくりした!」
 早まった鼓動を宥めながら息を整える。慌てて携帯を取り出す。
 確認してみれば、発信者は渦中の人物だった。
 このような時間帯に連絡してくるなど珍しい――とは思ったが、笑みが浮かぶのは止められない。この際、本人に直球で聞いてしまおうかと思う。
「はいはい、なに?」
「なに、じゃねぇ。今どこにいるんだ?」
「どこって……会社?」
 平淡な声で答える。向こう側から聞こえる不機嫌そうな声におかしさが込み上げる。憮然とする姿が目に見えるようだ。
「一人で行くなって言ったの、もう忘れたのか? 俺が何かしたかよ」
「いや別に。そういう訳じゃなくって」
 事態が把握できなくて首を傾げた。島田が迎えに来たと、厚志は知らないのだろうか。訊ねようと口を開くがため息が聞こえ、気が変わった。
「そうね。何かしたって言うならしたかもね」
 不機嫌な口調で告げてみる。その後で眉を寄せる。既に条件反射のような悪態だ。厚志の心証が良くなろうはずもない。そうかよ、という低い声が聞こえて通話が途切れた。ブツリという無情な音が鳴り響く。
「うわ」
 思わず片目を閉じてため息をついた。
「少しくらいこっちの言い分も聞いてよ」
 悪いのは明らかに若菜だが、唇を尖らせる。
 着歴から掛けなおしたが、繋がらなかった。どうやら本格的に機嫌を損ねたらしい。拒否設定にされたようだ。電話向こうからは無情なアナウンスの声が聞こえてくる。
「ちょっと……っ?」
 さすがにそこまでされるとは思ってもおらず、唖然と腹を立てて携帯を見つめた。
 渋い顔で携帯を睨み、何度か掛けなおしたが同じだ。
 若菜は肩を落とした。


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 朝に拒否されてから、時間を置いて何度か連絡しようとしたが無駄だった。決まって無情なアナウンスが流れるばかり。こうなったら直接押しかけようかと思ったが、決して本気の考えではない。顔を付き合わせれば事態が更にややこしくなりそうだ。
 今日一日で余計なストレスを抱え込んだ。厚志の誕生日なんてもう知るか、と不貞腐れたが、それでも就業時間が終わると若菜は和人を追いかけていた。
 最近の和人は終業と同時に会社を出るという、素晴らしい傍若無人ぶりを発揮している。止める者もいないので、彼の行動には拍車がかかるばかりだ。とはいえ、若菜も見て見ぬふりをしてきたので文句はつけられない。
 和人も上層部に関わりがあるということで、社内では暗黙の了解になっていた。それでいて仕事はしっかりこなして帰るのだから、表面上だけ見れば優秀な社員と言えるのかもしれない。
(なんで私がこんなに動かないといけないかな)
 厚志の誕生日を祝うにしても祝わないにしても、とりあえず和人から話は聞いた方がいい。無駄に終わろうと、祝うとなったときの準備は必要だ。
「秋永和人!」
 ちょうど終業のチャイムが鳴り響いた。
 一階の休憩室から出てきた和人を呼び止める。
 走ったせいで息が弾む。一回呼んだだけでは聞こえなかったらしく、走りながら何度か若菜は呼びかけた。
 振り返った和人は若菜の姿に眉を寄せたが、そのまま立ち止まってくれた。どうせなら戻ってきてくれると嬉しいのだが、和人にそんな期待は無駄だ。若菜は和人の元へ走った。
 和人は疎ましそうに見下ろした。
「何ですか、今度は」
 最初から敵意丸出しの態度に反発を覚えた若菜だが、あえて聞き流す。
「厚志のことで一番詳しいのは秋永さんだろうと思ったから」
 ある程度息を整えてから告げると、和人は少しだけ誇らしそうにした。表情は変わらないが、瞳が嬉しげに緩んでいる。
 秋永和人という存在を知らない者が見れば、彼が喜んでいることには気付かないだろう些細な変化だ。若菜は「おや」と眉を上げる。そんな些細な変化を読み取れてしまったことが、複雑だ。
(本当に厚志が好きなんだ)
 少しだけ呆れたが、気を取り直して向き直る。
「厚志の誕生日、そろそろでしょう? 何するか全然決まってないんだけど、今までに何かやってたりする?」
 和人の表情が強張った。
 なぜか若菜まで緊張する。
「何回言わせんだよ、厚志先輩は日華里さん以外に興味がなかったって。誕生日なんて、厚志先輩が祝ってもらってたわけないだろ」
 若菜は腹が立って怒鳴りつけた。
「それは私だって思ったけど! でも、あんただけでも誕生日祝いしてたのかと思って聞いてみただけだ!」
 強く肩を怒らせると和人の瞳が揺れた。何の反論もない。若菜は畳み掛けた。
「じゃあそれはそれで分かったから、次の質問。厚志が今欲しいものって何だと思う?」
「……今年の誕生日を祝うつもりかよ」
「悪いの?」
 ついつい挑発的に返してしまうのは悪い癖だ。けれど性格に矯正かけることもできない。言ってから気付いた若菜は軽く自己嫌悪する。
 和人が不機嫌そうに若菜を見下ろした。
 今までの彼よりは話が通じそうだ。厚志に何か言われたのか、それとも彼の言う通り、後から反省して成長したのか。
 もしかしてそんな所は似たもの同士なのかもしれない、と若菜は違う意識でそんなことを考えた。
 和人は鼻の頭に皺を寄せたまま視線を逸らす。若菜は我に返った。
「最近のなんて、俺よりそっちが詳しいだろ」
「人が欲しがるものなんて分からないよ。甘いものが好きなのは知ってるけど。ケーキを奮発して特大にしてやろうかな……」
 不意に思いついた発想に、真剣に考え込むと和人の呆れた視線が突き刺さった。
「他には何かないのか?」
「甘いもの? 多量摂取させたら体に悪」
「食い物しかあんたの頭にはないのか」
 軽く怒鳴られて若菜は唸った。けれど厚志の嗜好など良く知らない。他に喜ばれるようなものに心当りはない。縋るように和人を見上げると、苦々しく見下ろしてくる瞳があった。
「14日には一緒に行く?」
「俺が行ってどうすんだよ。よけい恨まれるじゃねぇか」
「ただでさえうるさいもんねぇ。誕生日くらいは静かに1人で過ごした方が厚志のためかな」
 退社の人間が増えてきた。ロータリーで話し込む二人を奇異な目で眺めて行く。
 和人は若菜の腕を引くと歩き出した。苛立つように、その足取りは乱暴だ。
「何?」
 突然腕を引かれた若菜は驚いて声を上げたが答えは返らない。睨みつけたものの、どうせこうなったら最後まで話を聞きだすか、と彼を止めない。引きずられながらも先ほどの案を真剣に考えた。
「あんたさ、意図的なんだか無意識なんだか区別つかないから」
 歩いた距離はそう長くなかった。別棟公舎の脇影に連れ込まれ、強い口調で告げられる。
「気遣って厚志先輩を一人にするのは無意味だ。一緒にいるんなら最後まで一緒にいろ。物は用意してなくてもそっちの方が絶対喜ぶ」
「最後まで……?」
 早めに寝かしつけて心機一転、次の日に備えさせる、という案は失われた。
「別にそれでもいいけど……じゃあゲームでも持ってくかな……」
 友人宅への宿泊にゲーム機は必須だ。
 若菜は本も持ち込もうか、といつもしているようにしようと呟いたが、和人に思い切り何か言いたげな目をされて、口をつぐんだ。
「――そうかもな。あんた相手だったら気を紛らわせる物でも持ち込んでた方が楽かもな。すんげームカつく。どこかのお嬢様かよお前」
「どういう意味よ」
 最後の言葉を馬鹿にされたと捉え、若菜は睨んだ。和人も無言で見返してくる。しかし何を伝えたがっているのか分からない。意志の疎通など皆無に等しい二人だ。
「じゃあな。俺は帰る」
「どうもありがとう!」
 憤然としたまま、若菜は和人の後姿に足を踏み鳴らした。肩を怒らせながら踵を返し、真面目な表情となる。いつだったか、夜に車で彷徨っていた厚志を思い出した。
「一人だったら不健康爆発ってこと?」
 家に引き止めておく方がいいのかと若菜は頬を掻く。
 厚志の誕生日まであと数日しかないが、それまで母に料理を教えてもらおう、と前向きに思考を切替えた。

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