第二ステージへ
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1.

 結婚推進法令が定められてから、街には恋人同士が語らう情景が多々見られた。冬に向かう今では熱が惜しいのか、夏よりも二人の距離は近い。どこを見ても恋人だらけで若菜は眉を寄せる。目のやり場に困る。あの人たちは本当に互いしか見えていないのだろうかと疑問になる。
「若菜さん、紗江様から招待されておりますが如何なさいますか?」
「うん……厚志が時間見つけられたら一緒に行こうかと思ってる」
 車窓から窓の外を眺めていた若菜は、視線を動かさないまま返した。
 赤信号から青へと変わる。島田はとても穏やかに車を発進させる。
「お仕事は忙しいですか」
「それなりに……ですね。そろそろ年末調整が入ってくる季節ですし、一社まるまる総務課に流れてくるから量も半端じゃないんです。去年までは大輝先輩がほとんど引き受けていたんですが――」
 やはり視線を窓の外に固定したまま、若菜は呟くように島田に答える。
 脳裏に描くのは職場のこと。珍しいことに、最近の大輝は仏頂面が多くなった。笑顔が少なくなり、彼を取り巻いていた女性たちは熱が冷めたように大人しくなる。お陰で、今では数少なくなった若菜への嫌がらせはピタリと止んだ。美智子が可笑しそうに笑っていたのを思い出す。
 そして最近の大輝は有休が多くなった。仕事の不明点を聞こうと思ったときには席にいない。ここ1ヶ月そんな様子が続き、さすがに業務に支障が出てきた。不明点をメモ用紙に箇条書きすることは既に習慣となってきた。大輝がいるときにまとめて聞いている。
 こうしていると本当に、大輝は仕事のほぼすべてを掌握していたのだなと実感する。彼がいないだけで立ち行かなくなるなど危険だ。お陰で若菜はかなりの残業をして、大輝の引継ぎを受けている。
「……安西さん、容態はもう大丈夫って聞きましたけど本当ですか? あれから一度も不安なところはなかったんですか?」
 最近溜まり始めたストレスから目を背けるように、若菜は努めて話題変更した。
 安西が退院してから一度も遊びに行けていない。厚志や純一から、安西たちの様子を聞くしかなかった若菜は、島田に体を乗り出した。島田は相好を崩す。
「お加減は宜しいようで、倒れる前と変わらないまでに回復しておりますよ」
「そう。良かった」
 若菜も瞳を細めて笑みを見せた。


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 日数を重ねるごとに違って見えるのは気のせいだろうか。
 若菜は車から下りてきた厚志を見て、そう思った。
 会社から自宅まで、島田に送られてきたところだ。どうやら厚志も丁度良く今到着したらしい。
「今日はお仕事が早く済んだようですな」
 厚志の車に横並べて停車した島田は、素早くシートベルトを外して運転席から出る。冷たい冬風に若菜は首を竦めた。慌ててマフラーを巻き直してコートも確認し、手袋を着用してから外へ出る。幾ら自宅が目の前だからと言って、不精すれば直ぐに風邪を引く。
「お疲れ様です、厚志様」
 車の反対側から島田の声が聞こえてきた。振り返った若菜だが、車高は若菜の背丈よりも高いため、二人の姿が見えない。若菜は足早に車の反対側へ回った。
「若菜」
 仕事帰りのため当然スーツだ。
 笑って声をかけられ、不覚にも若菜は心臓を高鳴らせて睨みつける。しかし厚志は受け流して近づいてくると、若菜の腕を取る。あろうことか若菜の額に口付けた。
 お前はどこぞの王子様か、と胸中で叫んだ若菜はそのまま厚志の爪先を踏みつけた。厚志は飄々と足を外す。堪えた様子はない。
「次の日曜に休みが取れたから安西さんたちの所に行こうかと思ったんだが、若菜も行くだろう?」
「行く」
 考えることもなく即答していた。
 その答えに厚志は満足そうに笑う。腕をつかまれたままだった若菜はためらいつつその腕を外した。
 嬉しそうに笑う島田から逃れるように、厚志の影に入った。

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