嵐の前の静けさ
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1.

 豪雪襲来。
 若菜はそんなことを思いながら外を眺めていた。
「天気予報の嘘つき」
 昨夜の天気予報では曇りのち雨と報じられていたが、今朝の空模様は曇天。そして吹雪だった。昨日までは緩やかな気温下降に秋を感じていたのだが、今では冬の訪れを感じさせる。まだストーブに火をつけていないため、家の中でも吐息が白い。
 若菜は体を震わせた。鼻を啜り上げて廊下に出て、まだ薄暗い様子にため息をつく。
(日が昇らないと眠くなるから嫌なんだよな……)
 この季節、たとえ晴天であろうと朝の八時くらいにならないと太陽は顔を出さない。必然的に、朝が早い若菜には寒さに震える時間が長くなってストレスになる、という訳だ。
 居間へ入ろうとしてポストに気付いた。新聞には広告が分厚く挟まれている。いつもなら由紀子に任せて放置している若菜だが、何気なく手を伸ばした。重量のある新聞は片手で足りず、両手で引き抜いた。
 ヒラリと何かの手紙が宙を舞う。
「赤紙……」
 若菜は眉を寄せて呟いた。
 玄関に落ちたのは少し渋味を帯びた赤色の手紙だ。宛名が印字されている。何かの公式文書のようだ。赤い色から督促状や差押令状を連想した若菜は苦く舌打ちする。
(何よ。まさかまた払ってないなんてこと、ないでしょうね)
 さすがにまだ差押の経験がない若菜は恐る恐る手を伸ばした。薄暗い中で拾い上げ、眉を寄せながら宛名を確認する。
「私宛だし」
 もし自宅の料金関係で来るなら父名義だ。それがなぜ私になっているんだ、と怪訝に思いながら裏返す。個人情報保護のために手紙はピッタリと閉じられており、誰かが開けば分かるようになっていた。
 若菜はひとまず居間へ行き、ストーブをつけてその前に座り込み、新聞を投げ捨てると手紙を眺めた。宛名と住所以外には何も印字されていない。どこから発行された手紙なのか、どのような内容なのか、推測できなくなっている。
 一瞬、詐欺関係の情報を思い浮かべた若菜だが、まぁ開かなければ始まらない、とそれを開いた。ペリペリと音をさせながら両開きにし、真っ先に飛び込んできた華やかな絵柄に「は?」と呟いた。
 ――恋人と過ごす素敵なクリスマスを演出してみませんか?――
 貴方がたの明るい未来を恋人課がサポートします。
 という見出しが印字され、クリスマスカラーで飾られていた。専用のフリーダイヤルまで作られたらしい。そしてその下には街の主要施設の利用料金やセールスポイントが並べられ、歓迎ムードを漂わせている。
 若菜は思わず脱力した。
「勧誘は素直に封筒で来いよ!」
 ベチッと手紙を床に叩きつけ、緊張した私の時間を返せと叫ぶ。
 大きなため息を吐き出し、肩を落としてからもう一度手紙を拾い上げた。
 きっと、寂れてきた街の活性化目的もあるのだろう。記載された店舗はここ数年で売り上げが伸び悩んでいそうなところばかりが取り上げられている。
 利用するつもりはないが、興味本位で何気なく眺めていた若菜は、その料金の安さに目を細めた。地方とは言え、ペアでクリスマスディナーが三千円とは格安と言える。コースメニューを見る限り、量も豊富で文句ない。
(ペアとしか書いてないけど、恋人じゃなくて親子とか――無理に決まってるけど)
 よぎった考えは一瞬も検討されることなく闇へ葬られた。
 若菜は手紙をテーブルに放置して膝を抱える。
「バレンタインにも何かイベント……ていうかケーキが来てたっけ……。贅沢だなぁ……」
 クリスマスはまだ一ヶ月以上先であるのに、気の早い案内だ。
 暖気に包まれていると次第に眠気が襲ってきた。早く行動しなければ遅刻だと分かっていても、冬の朝とはこんなものだ。眠気を覚えながら新聞を開き、続いて時間を間違えたように鳴らされたインターホンに、若菜はため息を吐き出した。


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 迷惑な早朝の訪問客。
 それは言うまでもなく厚志だ。
 彼は眠たげな若菜の様子に苦笑して「よう」と挨拶した。腕を伸ばされ、前髪を整えられる。どうやら膝を抱えたときに乱れていたらしい。
 開いた玄関からなだれ込む冷気に頭が冴えた若菜は腰に手を当てた。
「なんでこんなに早いのよ」
「用事があったからだ。由紀子さんは?」
「まだ寝てるけど」
 玄関口から中を眺める厚志を怪訝に思いながら若菜は首を傾げた。
 厚志の視線が若菜に戻り、その口が開いた瞬間、頭上からとんでもない悲鳴が響いてきた。
「もう七時過ぎてるじゃない! どうして起こしてくれないの!」
 勢い余った由紀子が時計を蹴り飛ばす音が聞こえた。続いて由紀子の倒れる音。そして慌しく彼女は階段を駆け下りてきた。厚志に気付いて目を丸くする。
「お早う、厚志君。今日は早いのね? ごめんなさいね。若菜ったら、私が起きないと何もしないんだから」
「んな訳ない」
 ボソリと反論した若菜だが、強く否定することもできない。
 呆気に取られていた厚志が軽く笑った。
「どうせ面倒だからって、ご飯も食べずに行くつもりだったんでしょう? そんなだから背が小さいままなのよ」
「うるさいな!」
 二十歳を過ぎたというのにまだ引っ張るのかと苛立って肩を怒らせるが、由紀子は既に台所へ入り、聞いちゃいなかった。
 若菜はため息をつきながら厚志に向き直る。
「あー、もう……とりあえず、上がって。寒いから閉めて」
 絶対にまた何か厄介ごとを持ってきたんだと思いながら促し、背を向けた若菜は腕を引かれた。振り向きざまに抱きしめられて息を止める。そのまま額に口付けられた。
 何が起きたのか分からず、直ぐに解放された若菜は厚志を見上げた。
「……何?」
「別に?」
 まだ分かっていない若菜に苦笑を零し、厚志は若菜の背中を押す。
「それより着替えて来い。その服、でか過ぎて胸が見えそうなんだけど」
 厚志の視線を辿って自分の格好を把握した若菜は紅潮した。
 由紀子から贈られた大人しいパジャマは確かにサイズが大きい。素材は厚くて暖かいが、首周りが大きく開いているため、相手の立ち位置によっては確かに覗けてしまう。
「着替えてくる!」
 すぐさま自室に戻ろうとした若菜だが、再び止められた。
「だっ?」
 後ろから腕が伸びてきて、再び引き寄せられる。
「何するのよっ?」
 首に厚志の熱が当たったようで動揺し、上ずる声で若菜は叫んだ。
 由紀子が出てこないのは幸いだ。台所の扉を締め切り、音が聞こえないのだろう。
「若菜、さ」
 耳元で囁かれて体が震えた。
 下駄箱に腕を伸ばし、倒れないよう体を支える。
「誰かに何か言われたか?」
「は?」
 質問の意図が分からなくて眉を寄せた。
 振り向きたいが、動けない。厚志の表情を確かめようとしたが、視界に入らない。
 しばらく続いた沈黙の後、何かが差し出された。
「何?」
 いい加減に放して欲しいのだが、と思いながら若菜はそれを手に取った。
 渡されたのは封筒だ。白い表面にシンプルなリボンが描かれている。オシャレな封筒だった。
「ひとまず、それまでは付き合うって言ったよな」
 肩に回された腕に力が入った気がして若菜は顔を顰め、促されるまま封筒を開いた。中には少し厚い紙が入っている。
「……婚約披露の招待状」
 前々から聞いていたため、それほど驚きはしない。ただ、何だか理由の分からない空虚さを覚えただけだ。
 若菜は封筒を見下ろしたまま黙り込んだ。
 言いあぐねいていると腕を取られる。目線の高さまで持ち上げられ、指に何かが嵌められる。厚志の手が離れた後、そこには婚約指輪があった。
 政府から届けられた銀のリングとは違う。厚志から贈られた指輪には、宝石が加えられている。
 大きすぎない純粋なダイヤ一つと、その隣に小粒の淡いピンクダイヤ。多角形にカットされた二つは多彩な色を宿して煌いた。
「お前の好みだろう?」
「……良く知ってるね」
 左薬指に嵌められたそれを見下ろして、若菜は淡々と返した。心が重くなる。
 婚約披露さえすれば厚志から解放される。何十万、もしくは数百万するだろう贈り物は非常に重い。
 若菜は拳を握り締めて廊下に上がった。
 背後で扉が開く気配がする。振り返ると厚志が外へ出て行くところだ。視線で問いかけると笑われた。
「時間になったらまた来る。それ、失くすなよ」
「……失くさないよ」
 唇を尖らせると厚志は声を立てて笑い、頷いた。
 じゃあな、と手を挙げる。
 吹雪いている外へ出て、直ぐに扉を閉めた。
 残された若菜は視線を指輪に移す。宝石の形を確かめるように撫でる。
 何を考えたらいいのか分からなくて、ひとまずその場に腰を落とした。

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