勢いにのって
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2.

 目的地は分かりやすかった。他の会社と形がまったく違ったからだ。
 通りに面してNWクリエイションと彫られた碑が設置され、そこから会社の玄関までは淡い色調の石畳が続いていた。子どもたちが遊び場にしたくなるような空間だ。
 闇が満ちていく時刻。他の会社には舗道に明かりが溢れているが、NWクリエイションには舗道沿いに暗い白色灯があるだけだった。けれどその意味には直ぐに気付く。帰宅する人たちが石畳を踏むと、その部分が淡く発光する。足元を照らすだけの光だが、多くの人が歩けばより明るく、歩くことに支障はない。どうやら踏むことで蓄電されるらしい。若菜も試しに舗道を踏むと微かに発光する。
「おお」
 瞳を輝かせる若菜に、帰宅する人々は怪訝な表情をしながらも通り過ぎる。
 若菜はその場で何度か足踏みして光を楽しんだ。
 ふと我に返る。こんなところで遊んでいる場合ではない。
 気を取り直して会社を見上げる。
 全面ガラス張りの巨大な建物だ。ただの四角形ではなく、空から見れば六角形に見えるだろう形をしている。明かりが灯っている部屋は半分で、ほとんどの社員が帰宅したのだろうと思わせた。
 あまりにも私生活とは程遠い建物や設備に、若菜はまるで自分が見知らぬ異世界に迷い込んだ気になった。
 衝動的にここまで来たが、これからどうすればいいか、実は何も考えていなかった。紗江に記された地図はあくまで会社の位置を教えるだけのもので、その後のフォローまではない。若菜もそこまで頼るつもりはないが、いざとなれば途方に暮れた。
「田舎者だ」
 内心で嘲ってみたが緊張は拭えない。
 そのとき、車道から会社の入口までを繋ぐ通路が一斉に同じ色に染められた。同時に道路沿いに光の筋が発生し、まるで手すりのように入口まで延びた。
 何事かと目を瞠る若菜の前を、一台の車が通り過ぎようとした。帰宅する人々は慌てて道を譲る。車に会釈する。
 車道から曲がってきたのは黒い高級車だった。その車に見覚えがあった若菜は息を呑む。言葉を発する前に車が急停車し、若菜の前に戻ってきた。後部座席の扉が開かれ、男の腕が伸びる。
 斎藤純一。
 引きずり込まれた若菜は彼の笑顔を見上げた。
 果たしてこれは幸運か不運か。まだ分からない。


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 そろそろ来るだろうと思っていたよ、と笑う純一から、若菜は視線を逸らした。
「ここまでは一人で?」
「当たり前ですよ。子どもの使いじゃないんですから」
 頭から爪先まで眺めてくる彼の視線を鬱陶しく思う。彼の登場を嬉しく思ったことなど直ぐに忘れ、若菜は憮然としていた。再会から今まで、笑い続ける彼を不愉快に思う。恐らく工藤が連絡をつけたのだろう。でなければこんなに都合良く彼が登場するわけがない。
「今日の仕事が思っていたより早く終わったんでね。ついてるな。すれ違わずに済んだ。若菜ちゃんも、俺に会えて助かっただろ?」
 若菜は鳥肌を立てて口を開こうとしたが、純一は強引に笑顔を近づける。助かったのは事実だが悔しい。否定はしないまま、彼の顔を平手で押し返す。純一は笑っただけだった。
「石川。今日は裏口で下ろせ。部屋までは歩いて行こう」
 運転手がバックミラー越しに視線を投げた。島田と同じ雰囲気の彼は穏やかに微笑んで頷く。
 若菜は居心地悪く身じろぎした。何しろ車内には護衛と思われる男が二人いる。彼らに挟まれるようにして、純一と二人並んで座っていた。通常より広い空間の車だが、後部座席に四人も座っていれば窮屈だ。護衛の男たちは一般人よりも体格が良く、余計に圧迫感がある。
「私、厚志に会いに来たんだけど」
 車のまま会社に入ると車内が暗くなった。そう思ったのも一瞬で、両側から直ぐに明かりが入ってくる。蛍光灯の光だ。ここには発電パネルが整備されていないらしい。地面が光ることはない。
 さり気なく周囲を観察しながら訴えた若菜だが、反応を見る前に車が停まった。扉が外から開けられる。
「お帰りなさいませ、斎藤様」
 まるでホテルのドアマンだ。
 扉を外から開けた彼は紳士らしく優雅な礼をする。けれど純一の後に続いて出た若菜に戸惑った。問いかけるように純一へ視線を向けるが、彼は何も説明しない。若菜を振り返って手を差し伸べただけだ。
「段差があるぞ」
「……どうも」
 いちいち気障な彼の行動に、若菜は毒舌を披露したい衝動に駆られながら手を取った。今日は動きやすいスーツに着替えている。そのようにエスコートされなくても、若菜が転ぶことはない。
 立派な扉はとても裏口だとは思えない。それは純一の進行を妨げることなく、直ぐに開かれた。お前は王子様か、と若菜は内心で突っ込む。
 社内に足を踏み入れた若菜は空気の変化を感じ取った。適温適湿に保たれた空気。浄化装置も働いているのか、喉の痛みが少し和らいで、呼吸も軽い。
「来るとしたら新幹線だよな。駅からここまでは歩いて来たのか?」
「そうです」
 喉を押さえた若菜に気付いて純一が問いかけた。若菜は軽く咳払いして頷く。
「省エネだ環境保護だと謳っちゃいるが、浸透にはまだまだ程遠いからな」
「お金がある人とない人との違いです」
「それを言っちゃ身も蓋もない」
 純一が楽しげに笑う。
 数メートル先にあるセンサーが反応し、まだ灯されていなかった部分の明かりがすべて灯された。自分中心に光の矢が走る。そんな光景に若菜は魅入った。瞳には好奇心が煌いている。
「楽しい会社だろ?」
 若菜の反応に満足したのか得意気に純一は囁く。先ほど車に乗っていた二人の護衛が距離を保ちながらついてくる。それを確認して、純一は歩き出した。
「厚志はまだ残ってるはずだ。ここ最近、家に戻ってないみたいだからな」
 少し歩くと前方が急に開けて明るくなった。
 若菜は瞳を細めて光に耐える。慣れた頃、再び視線を戻して驚いた。
「うわ……」
 突き当たりの壁がガラスのように透けていた。
 思わず駆け寄って触れる。手触りはガラスに程遠く、砂をまぶしたようにザラザラしていた。そのことにも驚いたが、何より目を惹かれたのはガラス向こうの大木だった。青々とした葉を茂らせ、横幅数メートルにも及ぶ大樹が空高く伸びている。本物のようで、下を見ると地面があった。緑苔が隙間なく生している。
「外国から取り寄せた木なんだ。天井がないから昼間は充分に光合成できる。この壁も特注で、夜でも光合成に必要な要素を作ることができる。外気が入り込まないようにすれば、高密度の酸素が補給できて仕事効率も大幅に増える」
 若菜に追いついた純一が静かに説明した。隣に並ぶ。
 会社が六角形に設計されたのは、中央に大樹を据えたかったからなのだと理解した。
「数世代前にある企業がでかい樹をシンボルにしていてな。思いついた」
 純一の声は楽しそうに弾んでいた。
 樹はどこまで伸び続けているのか、一階から見上げている若菜には分からなかった。けれど、外から見たときには気付かなかった。純一の説明通り、建物に覆われているのだろう。呼吸が楽になったのは浄化装置のおかげではなくこの樹による働きが大きいのだと悟る。
「枝が横に伸びてきたら? 壁を突き破りませんか?」
「そうならないようになってるのさ。最初からこうやって囲い込んでおけば、無理な場所には決して伸びない。最初から自分が伸びれる方向にしか伸びていかない。自然の驚異だな」
 やがて純一は若菜を促して歩き出す。若菜はもう少しその場に留まりたかったが、廊下を歩きながらであれば樹を眺めていられると気付き、大人しく従った。
 純一はとある透明な壁の前で足を止め、若菜を一瞥するとコントロールパネルを開いた。
「あ!」
 壁に額をつけて樹を眺めていた若菜は大声を上げる。それまで透けていた壁が、通常の壁に戻った。
 せっかく見惚れていたのに、と純一を睨もうとした若菜だが、その場にエレベーターが出現していて驚いた。更に、そのエレベーターの中は透けていて、再び樹を眺めることができるようになっている。
「どうぞ」
 言われるまでもなく、若菜は率先して乗り込んだ。二人いた護衛はここで一人になる。上下左右、すべてが透けているエレベーターは心許ない気がした。高所恐怖症の人間には向かないだろう。若菜は高所恐怖症ではないが、あえて下を見ないように努めた。
「さて」
 エレベーターを上昇させたあと、純一が振り返る。
「厚志に会いに来たってことは、覚悟を決めたってことかな?」
 若菜も振り返る。視線の先で純一は笑っていたが、瞳は笑っていなかった。
「厚志は麻衣子との結婚を承諾したんだし、俺としてはこのまま君をどこかに閉じ込めて、邪魔しないようにしたいんだけど」
 若菜は思わず純一から距離を取る。そのあまりにも素早い動きに護衛が動きかけたが、それは一瞬だけで、直ぐに沈黙した。純一も驚いたあとに苦笑する。
「害するつもりはないよ。それでは由紀子さんに怒られる」
 若菜を安心させようとしたのか純一は肩を竦めたが、彼への警戒心は跳ね上がった。
「邪魔はして欲しくないが、あいつがこのまま俺の言いなりになるっていうのも気に入らないんだ」
 純一はガラスに背中をつけて腕を組む。動向を探るように若菜に視線を向ける。唇は意味ありげに笑みを刻んだ。
「矛盾してるんですけど」
「そう。矛盾こそ成長への第一歩」
 意味の分からないことを告げながら純一は楽しげに笑った。若菜は呆れてかぶりを振る。頭が痛い。
「何より、ここまで厚志を導いてくれた若菜ちゃんの願いを一つくらい叶えてあげないと、フェアじゃない気がしてね」
「だから厚志に会わせてくれるって言うんですか?」
「さぁどうかな。自分のために、かもしれないな」
「分かんないです」
「君に分かって貰おうとは思ってないからね」
 沈黙が下りた。
 若菜は純一を意識しながら再び樹を振り返る。知らない間に結構な高さまで昇っていて、思わず下を見て眩暈がした。
 ポーンという低い音が響いてエレベーターの扉が開いた。
 パネルには『50階』の文字が光っている。
 大きなビル会社だと思っていたが、数字で表されるとまた違う。ますますエレベーターの下は覗けないなと思いながら、若菜はエレベーターを下りた。
 1階と違い、廊下は少し狭い。このフロアすべてが純一のオフィスのようだ。照明は落ちていたが、純一を認識したセンサーが次々と明かりを灯していく。
「企画書の締め切りを今日までにしてたから、待ってれば直ぐに来るよ。見逃さないように俺の隣にいるんだな」
 振り返った純一は笑って若菜の肩を抱いた。直後、頬を引き攣らせた若菜によって足を踏みつけられた。

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