5周年記念企画小説
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10.

 荷物は厚志たちが散歩から戻る前に積まれていたようだ。若菜たちが外に出ると車にはエンジンがかかっており、運転席から一歩出たところに純一が立っていた。由紀子は美嘉と名残惜しげに話をしているが、その場の三人を包む雰囲気はとても優しくなっていた。
「お、来たな」
 真っ先に気付いた純一が声をかける。由紀子と美嘉も振り返り、笑みを向けた。
「ごめんなさいね、若菜ちゃん」
「いいえ……」
 美嘉の視線が若菜の指に落ちる。彼女の瞳に罪悪感がよぎるのをはっきりと確認し、若菜は小さくかぶりを振った。再婚の偽話を持ち出した彼女には特別、複雑な感情があったのだろう。口には出せず推測するしかない。勘付いてしまう自分の鋭さも嫌だった。
「義之もいれば良かったのにね」
「久々に四人で話したかったな」
 由紀子がため息を吐き出せば純一も頷いた。聞いた美嘉は苦笑して肩を竦める。
 由紀子と美嘉が親友なのは分かるにしても、美嘉と義之の接点が見つからずに若菜は首を傾げた。東京に住んでいた頃も義之は大工の仕事が忙しく、帰宅は若菜が眠るような時間帯だった。休日などないに等しい。そんな義之はいつ美嘉と会っていたのだろうか。
「美嘉さんもお父さんと知り合いなの?」
 夜空の下に集う皆は、思えば奇妙な顔ぶれだと思う。会社の代表と、それに準ずる会社役員の厚志。幼馴染という接点を除けば若菜と厚志の繋がりは何もないのだ。純一との繋がりは尚更だった。人生とは何があるか分からない。
 訊ねた若菜を振り返って、美嘉が頷いた。
「私は転校生だったの。由紀子とほとんど入れ替わるようにして純一たち幼馴染メンバーに入ったのよ」
「美嘉と一緒にいた時間って、そういえば一ヶ月……二ヶ月? それぐらいしかなかったのよねぇ」
「本当。普通ならそれだけの関係なのに、まさかこうまで発展するとは思ってなかったわ。不思議よね」
 由紀子たちが昔を思い出すように瞳を細める。そんな姿を若菜は不思議な気分で眺めた。親たちにも過去があるのが普通なのだが、若菜にとって由紀子は母親でしかないため、そのような思い出話をされると落ち着かない。
「次に会えるのは、まぁ、そう遠いことじゃないでしょう。厚志と若菜ちゃんにその気があればね」
 笑みを含ませながら純一が若菜たちを見た。促されるように由紀子と美嘉も若菜たちに視線を移し、微かに瞳を緩ませる。
 若菜は唇を引き結んだ。
「まだ、決まったわけじゃありませんから」
 早くこの居心地の悪い話題を終えたくて、ぶっきらぼうに言葉を切る。隣で聞いていた厚志がため息を零したのが分かった。繋いでいた手が離れる。
「義之さんに会いたければ、俺をダシにしないで親父一人で来いよ。俺の都合をねじ曲げんな」
「ふん。お前の都合なんて知ったことか」
 厚志は車に近づきながら低い声でうなった。
 若菜はその後ろ姿を見ながら後悔に眉を寄せる。誤解されただろうかと思ってしまう。背中が寂しげに見えるのは自分の願望だけか。美嘉が気遣わしげに視線を向けてくることに気付き、若菜はあからさまにならないよう気をつけながら視線を逸らした。
「俺の都合がつかなきゃ、親父だってのちのち苦労すんだからな」
「その頃には俺は引退してるさ」
「ふっざけんな。絶対ェ引退なんかさせてやるか。定年間際になってもこき使ってやる。その頃には俺は社長だ」
「社長命令か? 嫌な世の中だねぇ。引退間際になったら組合長にでもなってストライキ起こすかな」
「どこの会社に足引っ張る社長がいんだよっ」
 あまりにも二人のやり取りが自然で、若菜は気まずさも忘れて笑みを零していた。厚志はブツブツと文句を言いながら運転席側に立つ純一と位置を交代する。代わりに純一が歩き出し、助手席のドアを開けると美嘉を招いた。
「担当には連絡入れてあるんだろ?」
「小田島さんのこと?」
 促されて歩きながら美嘉は首を傾げる。
「編集長にも」
 美嘉は頷いた。
「それは大丈夫よ。朝にホテルから原稿送ったから。差し迫ってる締め切りはないわ」
「そうか。ネットさえ繋がってりゃどこにいても仕事はできるからな。じゃあこのまま海外に飛んでも平気か」
「え」
 驚いて固まる美嘉を後部座席に押し込み、純一は自分も乗り込んだ。
「若菜!」
 純一たちの様子を眺めていた若菜は顔を上げる。運転席から厚志が顔を出していた。
「年末に一度来る。それまでにまた事故るなよ」
「事故らないよ!」
 若菜は肩を怒らせたあとにため息をついた。また半年待たなければ会えないのかと落胆する。仕方のないことだが寂しさは拭えない。だが、仕事に打ち込んでいれば瞬く間に時間は過ぎるだろうと思うことにする。笑みを浮かべて片手を挙げた。
「厚志の方こそ、せいぜい忙殺されないように気をつけてよね」
「どうやって気をつけろってんだ、それは。どうせなら親父だけここに置いてきゃそんな心配も」
「却下。置物にもならないような存在、阿部家には不要です」
 厚志は笑って一度車を駐車場から出した。直ぐに発信できるようにギアだけを変えて車窓を開ける。
「気をつけてね、三人とも」
 由紀子が進み出ると、純一を押しのけた美嘉が窓際に顔を出した。
「今回は迷惑かけて、本当にごめんなさい。時間が取れたらまた来るわ」
「無理しないで。美嘉が元気になったら、それでいいから。たまーに報告の電話くれれば嬉しいから」
「善処するわ」
 美嘉は苦笑して頷いた。
「若菜ちゃんも。ありがとうね」
「いいえ。これからも、よろしくお願いします」
 言った直後に妙な挨拶だと顔をしかめ、まぁいいかと頬を緩める。美嘉が手を振った。
 それを合図として車は走り出し、若菜は由紀子と共に道路に出て赤い尾灯を見送った。車は突き当たりの角を曲がり、直ぐに見えなくなった。遠ざかる音が響く。
 隣に立っていた由紀子がため息をついた。
「あっと言う間に寂しくなったわねぇ」
 若菜は車が消えた方向を見つめるだけで答えない。
「美嘉はこれから海外旅行か。羨ましいわ」
 純一と結婚したからこそそんな贅沢も望めるのだ。今の阿部家にとってはとてもじゃないが、望んではいけない夢だ。由紀子の言葉尻に小さな不安を感じた若菜は振り返り、中に戻ろうとする背中に声をかけた。
「お父さんと結婚したこと後悔してるの?」
 由紀子はいつもと変わらぬ動作で振り返った。顔には小さな呆れが宿っている。
「馬鹿ね。結婚に後悔なんてしたことないわ。自分で選んだことですもの」
 若菜が唇を引き結んでいると由紀子は微笑む。
「お金がないから結婚したことを後悔するなんて、馬鹿にしてるわ。お母さんは楽するために結婚したんじゃないんだから、その点は安心してちょうだい」
 一体何を安心するのか。微妙に重点がずれているような会話だが、そこは親子のなせるわざなのか、若菜には充分意味のある言葉として聞こえた。由紀子も若菜が問いたい真意を自然に汲み取っているのだろう。
「今進んでる道はお母さんがちゃんと歩いてきた結果としての道なんだから。お金がないっていうのも、結果としての一つよ。それを結婚のせいにするなんてあり得ないわね。若菜だって分かるでしょう? そんな風に考えるように育てては来なかったわ」
 若菜は眉を寄せながら小さく笑う。
「当たり前じゃん。お父さんが散財してるならともかく、仕方ないことなんだから、分かってるよ」
「偉い偉い」
「適当な褒め方だな」
 由紀子の後に続いて玄関に戻る。明かりがついたままの玄関は少し眩しくて瞳を細めた。
「結婚する前も今も、そんな基本的なことが変わることはないの。お金がなくなればまた手段を講じればいいの。だからお母さん、若菜と厚志くんのお見合いを勧めたんじゃない」
「オチはそこかよ! 人の感情を手段にしないでくれるっ?」
「ふふふ。それで、若菜はどうするの? プロポーズされたんでしょう?」
 由紀子が非常に楽しそうに尋ねてきた。若菜は真っ赤な顔で睨み付ける。からかわれるのが気に食わない。それが身内からならば特にだ。
「お母さんは、私と厚志を結婚させたいんでしょう」
「人の意見に左右されるような結婚ならやめさせたい気持ちよ。今の質問は、単純にお母さんの好奇心から」
 若菜はうなり声を上げた。やはり非常に気に食わない。
「……お母さんはなんで結婚したんだっけ?」
 楽をするためじゃない、と言い切ったその理由は。
「お母さんとお父さんも、若菜と同じく遠距離恋愛だったのよ。会えるのは一年に一回か二回くらい。あの頃は今ほど交通機関も発達してなかったから大変だったわ」
「へぇ」
 初めて聞く話に若菜は軽く瞳を瞠る。両親の恋愛話など聞いたことがなかった。由紀子からそのような話題が出たこともない。年齢や状況が変わってきたということなのだろうか、と少々感慨深くなる。
「会いに来るのも行くのも大変だったから、結婚しましょうと合意したの」
 若菜は一瞬だけ声を失った。ずいぶんとアッサリ済まされた気がした。
「……そこに至る過程はなかったの」
「さぁ。あるにはあったと思うけど、それほど重要なことじゃなかった気がするわ。距離を縮めるには結婚という手段があるわねと結論づけただけよ。もしも地元に二人でいたら、きっとそうそう結婚話なんて出なかったと思うわー。もしかしたら今でも婚姻届に印鑑を押してなかったんじゃないかしら」
 さすがにそんなことはないと思うが、「二人でいる時間が自然すぎて義之からは絶対に結婚話なんて出なかったでしょうからねぇ」と軽く笑い声を上げる由紀子を見ていると、本当にそうかもしれない、と若菜は思ってしまう。あの気難しく無口な父が積極的に結婚話をする様子は想像できない。
 振り返った由紀子が含み笑いを見せる。
「早く返事してあげないと、盗られちゃうわよ。厚志くんはいい男なんだから」
「分かってるよ!」
 若菜は真っ赤な顔で怒鳴りつけると由紀子と別れ、階段を上がった。部屋に戻ってもまだ頬は熱く、両手で包んで熱を冷ます。ふと視線を落とすと磨かれたネックレスが視界に入り、おもむろに持ち上げてみる。改めて見てもやはり綺麗だ。とても自分には似合わないと思ってしまう。
「……似合うように、頑張ろう」
 若菜は小さく呟いて薬指も見る。これまでの様々なことが蘇って自然と笑みが浮かぶ。これからもまだまだ厚志には翻弄され続けるのだろうなと思うが、決して嫌な気持ちではなく、くすぐったいような気持ちだった。あまり長く待たせすぎては由紀子の言う通り、厚志の心が揺らいでしまうかもしれない。もう心は決まっていたけれど、それでも返事となると話は別。なるべく早く答えを言えるようにしよう、と若菜は笑みを浮かべたまま瞳を伏せた。


END
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